第31話 The Triumph
「ああ、シノはLeno Weaveの大ファンだからなあ。あのバンドに憧れて自分もバンド始めたくらいだし」
フロアに戻り楽屋での顛末を誠二に話すと、笑いながら教えてくれた。全バンドの出演が終わって、今は客出し中。あとは精算を待つだけの状態だ。
「……ふ~ん」
どういう事情にせよ、こちらは格好悪い真似をさせられたのだから気分は悪い。
「まあ、シノが説明不足なのも悪いけど、ぷぷぷ、でも自分のサインを欲しがってると勘違いする奈緒も相当、ぶふっ」
「……笑うなっての、こっちだってかなり恥ずかしかったんだから」
「ぶはっ、だってさー、あっはははは!」
もちろん清田先輩にサイン依頼を取り次いだりなんてことはしなかった。
「ったく、サインくらい自分で頼んだらいいのに」
「ん~、シノってかなり恥ずかしがり屋だし、ファンっていうかもう崇拝レベルにいってるっぽいし」
「崇拝って……」
「シノの使ってるあのギター、Leno Weaveのギタボの人が使ってるのと同じやつじゃん?」
ああ、あのカジノか。そういえばどこかで見たことがある気がしてたんだ。なるほど前回のライブで見た奴と全く一緒のものだったのか。
「あとエフェクターとかも同じやつ揃えてるらしいよ。まあ俺は見てもよく分かんないけど」
「へえ、大分気合入ってるんだねえ……」
「だからさ、この前俺らがLeno Weaveと対バンした時、めっちゃ羨ましがってたみたい」
確かに私も同級生がイングヴェイと共演したなんて聞いたら全力で羨ましがるな。いや、イングヴェイとLeno Weaveじゃ全くレベルが違うか。
「本当はシノも水ノ登高校が第一志望だったんだけど、惜しくも不合格で今は皆上高に通ってるんだよな」
「なるほど、そこまで熱狂的なファンだったとは。……これはもう、やってやるしかないな」
「やってやるって、何を?」
「……敗北を、味あわせてやる」
「は?」
ぽかんとした表情の誠二を置いて、私は奴のところへ向かった。
「ねえ、あんた」
壁に寄りかかって携帯をいじっている篠なんとかに、私は話しかけた。
「何?」
やはりこいつ、クールだな。篠なんとかは眉一つ動かさずに、視線だけを私に向けた。
「私は清田先輩と一緒にお弁当を食べたことがある」
「え」
事実だ。
「オカズの交換もしたことがある」
「う」
これも事実だ。
「あとは、えっと……ギターボーカルの平なんとかさんとも会話したことがある」
「お、おお……」
ちなみに、これも嘘ではない。前回のライブですれ違った時に挨拶を交わした。たとえ二人共発した言葉が「お疲れ様です」だけであったとしても、それでも会話には違いない。どうだ、羨ましいだろう。
「う、羨ましい……」
「ふふ、ふふふふ……」
その一言に私は満足して誠二のところへ戻った。
「誠二! 勝ったわよ!!」
「……お、お前はそれでいいのか?」
勝ちは、勝ちだ!
精算が終わった時には、既に時刻は十時半を回っていた。終電まではまだ一時間ほどあるけれど、それでも明日は普通に授業があるのだしさっさと帰ったほうがいいことに違いはない。
「んじゃ、二人共お疲れー! 気ぃつけて帰れよ~」
「お疲れ様、明日寝坊しないようにな」
先輩たちは水ノ登駅に向かわずそのまま自宅に帰るので、駅までの道を誠二と二人で歩く。
水ノ登市は関東の外れにある、紛うことなき地方都市だ。十時を回ればもう人影はぐぐっと減ってしまうレベルの、大したことはない規模の街。
そんな静まり返った街を私達は歩いていた。何となく頭上を見上げると、雲一つ無い空に半分より少し太った月が輝いていた。
「なんか、やっぱ私は釈然としないんだよねえ……」
「勝ち負けの話か?」
「そ」
話題は自然に、今日のライブの話になる。というか、これ以外に話すことなんてないだろう。
「……シノを羨ましがらせて満足してたのかと思ったけど、流石にそれは話が違ったよな」
「あれはあれで気分良かったけどね、でもやっぱり勝ち負けって意味だと納得いかないかな」
「そっか」
私のモヤモヤとは正反対に、誠二の表情や仕草はスッキリとしたものだった。
「あんたは今日のライブ、勝ってたと思う?」
「ああ、そうだな。ある部分では勝ってた。でもある部分では負けてた、みたいな感じかなあ」
誠二はライブが終わってからずっと明るかったので、勝ったと思っているのではないかと感じていたけれど、誠二としても複雑な感想を持っているようだった。
「よく分かんないから、もうちょっと詳しく」
「田上と俺との勝負は……技術的には微妙に負けかもしれん。いい勝負だったと思うけど、所々でさ『ああ、今の俺にはあれはできないかも』っていう部分があって」
「そう? 田上だって大したプレイはしてなかったと思うけど」
誠二が決定的に負けていると思うようなところは一切なかったように、私には見えた。
「ありがと、奈緒にそう言われるとちょっと嬉しいよ。でも次は、絶対に圧倒的な差を付けて勝つ! ってな」
前向きなことは良いことだ。
「で? 負けたと思った部分は分かった。じゃあ、勝ったと思った部分はどこ?」
「俺と田上との面で言えばだな、俺のほうがあいつよりライブを楽しんだってところかな」
誠二の言った内容は、私の考えてもいなかった方向での勝ち負けの基準だった。
「……楽しんだ? 楽しんだら勝ちなの?」
「あ、やっぱ奈緒はそういうの納得いかない?」
『やっぱ』ってなんだ、『やっぱ』って。
「納得いくかいかないかは、今からのあんたの説明による」
「ええっとだな、ライブが始まる直前にマサル先輩と話をしたんだ。『音楽の勝ち負け』について。奈緒にとっての音楽の勝ち負けってなんだ?」
「んなの、技術しかないでしょ。技術は正義」
上手いほうが勝ち、下手な方が負け。至ってシンプルな、素晴らしく分かりやすい基準。私の『音楽の勝ち負け』はそれに尽きる。
「そうだな、それも一つの基準で良いと思う。マサル先輩も言ってたんだけどさ、俺らのやってる音楽は競技じゃないからルールなんてないし、分かりやすい得点もないだろ? だから何が優れていると思うかだとか、何を良いことと感じるかとかは、全部それぞれの人によって異なってくる。奈緒みたいに技術が全てっていう人もいれば、メロディーとか歌詞にこだわる人もいる。他にもルックスが良ければ何でもいいっていうのとか、声質とか、ジャンルとか……まあ、俺だけじゃ全部は想像しきれないほど沢山、色々あると思う」
確かに、言っていることは最もだ。私は歌詞なんて正直どうでも良いと思っているし、プレイヤーのルックスなんてもっと関心がない。人によって判断基準は違って当たり前だろう。
「だから勝ち負けも判断する人によっていくらでも変わるって、マサル先輩がそう言ってくれたんだ」
ここまでは理解できる。きっと清田先輩が勝ち負けを付けられなかったのは、彼女の基準が曲の善し悪しとかそういうところにあったからだろう。
ただしかし納得がいかないのは、
「……それであんたは、どうして『自分が楽しんだかどうか』っていうところに基準を持ってきたの?」
誠二がどうしてその基準を、自分の感情に持ってきたのかということだ。こんな基準、甘々なのもいいところだし、ともすれば自己満足に過ぎないものとも言える。
「この考え方で行くとさ、どこにも客観的な勝ち負けの基準なんていうのはどこにも存在しないから、結局自分で判断するしかないって結論になるだろ? それで俺の勝ち負けの基準を考えたんだ。俺はどんな演奏見た時に良い演奏だと思うか、って」
私もそれに習って考えてみる。観客として、どんな演奏を見た時に良い物だと考えるか。
高度なレベルで難解なフレーズを弾きこなし、それでいてエモーショナルで聴衆の心に突き刺さる演奏、熱狂せざるを得ない程脳を揺さぶる演奏。それが私の好きな演奏であり、そして目指す理想像だ。
「俺が好きな演奏は、見てるだけで楽しくなれる演奏。そんな演奏をするためには、まずやってる側が楽しんでないといけないだろ? だから今回俺は誰よりも楽しむことを目的にした。ステージを楽しんだら田上に勝ちだって、そう決めたんだ」
「……んで、その結果があの暴走演奏、と」
「う、うぐ……それはその、すまんかったと思ってる」
「ま、そのことはもういいわよ」
だって、結局私もそんなステージを楽しんでしまっていたのだから。清田先輩も『見てる方まで楽しくなれる』という感想をくれた。この坂本誠二という男はメンバーである私達を自分の勝負に巻き込んで楽しませ、そして観客までも狙い通りの気持ちにしてしまったのだ。全く、何て奴だ。
「……ねえ誠二」
だったらもう今回のライブ、誠二は立派に勝ったと言っていいだろう。
「ん、どうした?」
誠二は、自ら立てた勝利条件を見事に達成しているのだ。観客まで届いてことを誠二は知らないとしても、でも彼が勝ったことは事実だ。
「お疲れ様」
だったらもう、私もそれでいい。
「お、おう。奈緒もお疲れ」
誠二と話したことで、胸に使えていたモヤモヤが流れていった様に感じた。
ああそうかと、そこでふと気がついた。私がスッキリしていなかった理由は、あれほど勝ちたがっていた誠二に明確な勝ちを与えられなかったからだったのか、と。
でも誠二は、私の考えていなかった部分で勝ちを掴み取っていた。だったら私は、それでいいのだ。
深く息を吸って、少し冷たい夜の空気を肺に入れる。そして大きく吐くのと同時に心のなかの残り物全ても流れていった。
改めて思う、これで良かったのだと。
「明日は今日のライン録り聞いて反省会ね」
「うわー、ちょっと聞きたくないなあ」
私も誠二と同感で、今日の録音を聴くのは正直怖い。だけど、もっともっといい演奏をするために、反省というのは大事だ。もっと自分が楽しんで、もっと観客を楽しませるためには、技術があって困るということはないはずだ。
上手くなったら、もっと楽しめる。もっと誠二を勝たせてあげられる。きっとその考え方に間違いはないはずだ。
「走り過ぎに関しては、しっかり反省が必要だからね。逃げないで自らの過ちを見つめるのよ」
「りょーかいです」
だから私は、誠二のやつを甘やかしてなんかやらない。
「反省が終わったら、また課題曲の練習ね。今度は迷子になんてならないようにね」
「おう、任しとけ」
うん、任せる。もっと私を楽しませてくれることを期待してるから。
「またあんたは、調子ばっかりいいんだから」
思ったことは、口には出さない。恥ずかしいし、照れくさい。
「なはははー、心配すんなって」
「ったく、あんま調子乗るなっての」
「いてっ」
だからツッコミを装ったチョップに、私のその気持ちを込める。誠二には伝わるはずはないけれど、でもそれで構わないのだ。伝わったら伝わったで困ってしまうし。
「……あー、なんか腹減ってきた」
「俺も腹減った。なんか食ってくか?」
「牛丼」
「了解」
「金ない、奢って」
「無理、金ない」
「ファック」
そんな風に、私達はいつも通りに並んで歩く。
街と月の光で中途半端に明るい夜の空に、星はあまり見えなかったけれど、それでも雲の姿はない。そこそこ、結構悪くない夜だと、そう思った。
次回、待ちに待った焼肉デート!!
……の予定。




