第15話 Fear Of The Dark
十代に参加資格を限定したバンドコンテストは、大小合わせて全国に数多く存在する。大きい物は大手レコード会社が主催して全国で地区予選を何回か行い、最終的に都内などの有名なライブハウスなどで決勝が行われる。こういうコンテストは大賞の副賞としてCDデビューなどが約束されていたりする。
ちなみに小さいものだと地方のライブハウスが主催だったり自治体が主催してお祭りのイベントだったり、こちらは規模も副賞も大きい物よりもちろんしょぼい。しょぼいけれど、優勝できれば地方でのネームバリューにはなるし、その地方でのイベントなんかにゲストで呼ばれたりするというそれなりのメリットもある。
将来プロになりたいのなら、こうした全国区のコンテストにエントリーして、賞を取るのが手っ取り早い。知名度も上がるし、人脈もできるし、デビューの際箔もつく。
もちろん全国区のコンテストは莫大な数のバンドが応募するわけで、正直そんな夢物語が簡単に成立するほど世界は甘くない。そんなことは分かっていると沢山の若者が夢のために挑戦し、そして現実に挫折する。多分、多くのアマチュアバンドマンはその経験をする。
しかし、しかし例外はある。コンテストという戦いの後には、沢山の死骸の上に君臨するチャンピオンが必ず存在するのだ。
その例外が、今私達の目の前に居るバンド『Leno Weave』。
「ティーンズロックサーキット、っていうコンテスト知ってるか?」
「……何となく、聞いたことあるかもしれないです」
トモ先輩が今言ったコンテスト、音楽雑誌で見たことある気がする。
「一昨年、当時高校一年生だったレノは彗星のごとく現れ、地区予選を次々に突破して全国大会まで出場。そして全国大会、惜しくも優勝は逃したものの審査員特別賞を受賞……っていうサクセスストーリー」
「ふぁー、凄いっすねえ……」
誠二が感嘆の声を漏らす。
「ちなみにメンバーはドラム以外の三人はウチの高校だぞ」
なるほど、だからさっき先輩たちは私達に微妙な顔をしていたのか。
ステージ上でセッティングをしている四人を眺めてみる。特に派手な見た目の人はいなくて、普通の真面目な高校生といった感じ。ギターボーカル、ギター、ベース、ドラムの四人組。編成は私達と同じだ。そして奇しくもギターリストが女性というところも一緒。
「あのギターの人、上手いんですか?」
「清田さんのこと? ん~、どうだろ。奈緒ちゃんとは大分タイプが違うギタリストだし」
名前は清田さんというのか。ショートカットの似合う小柄な可愛らしい人だった。
「……まあそこそこ、じゃないかな」
トモ先輩とマサル先輩はまたしても微妙な顔。
しかし全国大会まで出場したバンドだ。きっと相当な実力を持っているに違いない。この地でバンドを続ける限りライバルとなる存在で、乗り越えなければならない壁だ。リハーサルもしっかりチェックしよう。
PAさんとの挨拶があって、リハーサルが始まった。まずはドラムの音取りだ。バスドラム、スネア、タム類とパーツごとにサウンドチェックを進めていって、最後にセット全体でリズムパターンを回す。
「……なあ、奈緒」
「ん、何?」
おお誠二のやつ、ライバルバンドのドラマーの演奏を見て何か感じるものがあったのだろうか。自分からそんなことを言い出すなんて珍しいじゃないか。感心、感心――
「……これ、一体何をやってるんだ?」
――と思ったが全然間違えていた。
「あ、あんたねえ……」
「だ、だってしかたないじゃんか! 俺だってライブハウス出るの初めてなんだし!」
思わずズッコケてしまったじゃないか、このアホが。
「ハハハ、そういや坂本と奈緒ちゃんはライブハウス初めてだったか。それじゃ、リハの流れについて説明しようか」
ライブハウスというのは普通練習スタジオより広い。だから当然ドラムの生音やアンプから出る音など、それだけでホール全体に響きはしないのだ。そのためにあるのがPAという役割なのだ。
「PA? ……パーキングエリア?」
「違うわボケ」
ベタな間違いしやがって。どうして音楽に駐車場が関係あるんだよ。
「正解はパブリックアドレス、ね。大衆に伝達する、っていう感じかな」
マサル先輩が伝えたとおり、PAとはステージで演奏された音をマイクで拾って、バランスを調整して、大音量でメインスピーカーからホール全体に届ける。というのがトモ先輩とマサル先輩の説明だった。
「んで、これからやるリハーサルには大きく二つの目的があります。それぞれの楽器からどんな音がどれくらい出るかっていうことをPAさんが確認すること、これが一つ目。それと二つ目は中音、モニターのバランスについて俺達が確認すること、だな」
「はい先生。モニターって何ですか?」
「モニターていうのは返しのこと。ほらステージ見てみ、各演奏者の足元にスピーカー転がってるだろ?」
練習スタジオより遥かに広いライブハウスでは、自分以外のメンバーの音もいつもより聴こえづらい。そのためマイクを通って一度PAに送られたそれぞれの音を、足元のモニタースピーカーに返すのだ。
「ドラムは同じリズム隊のベースを強めに返すのがセオリーらしいから、参考にしてみ」
「あ、ありがとうございます!」
そんなこんなで誠二への講義は終了。まあ私は全部知っていた。この日のために音楽雑誌を何度も読んだのだから。予習に抜かりはない。
私達が話している内に Leno Weaveのリハーサルは順調に進んでいた。ドラム、ベースの音取りが終わっていた。ドラムもベースも安定した演奏力で、文句は特に無い。本音を言えばツーバスもベースタッピングもないのは不満といえば不満だけど。
続いていよいよギターの音取りが始まる。全国レベルのギタリスト、さあ一体どんなテクニックが飛び出してくるのか。
「基本の音でーす」
軽く歪んだストーロークからサウンドチェックはスタートした。彼女が使っているギターはテレキャスター、オーソドックスなサンバーストに白のピックガード。ストロークは、まあ、普通。
「次、ソロ用のブーストでーす」
おお、来たかソロ用。速弾きか、スウィープかタッピングか、それとも超絶ビブラートか――
「…………あの、先輩」
「ん、どした奈緒ちゃん?」
「この人のギターなんですけど」
「うん、ギターが何?」
「…………激しく微妙、です」
超絶技巧はどこにもない。運指もピッキングも普通、そこそこ、上手くもなく下手でもない。音色にもこれと言った特徴はない。無難なギター。これが全国レベルなのだろうか。だとするなら全国大会決勝というのも案外大したことはないのかもしれない。私のほうが技術的に数段上だ。
「ははは、流石厳しいね奈緒ちゃんは」
「でも、事実です。楽器陣のレベルはぶっちゃけそこまで高くないですよね。どうして全国レベルの大会で賞なんかもらえたのか、私には分からないです」
「確かに、ここまで見ただけならそう思うかもね。でもね近藤さん、レノは演奏技術で評価されたバンドじゃないんだよ」
演奏技術で評価された訳ではない、だったら何が評価されたのか。
私がそれを考えている内に、スタージのセンターに立つギターボーカルの音取りが始まった。細身の長身、前髪が長くて顔はあまり見えないけれど何となく雰囲気がある。携えたギターはカジノのセミアコだ。
リードギターがあれなのだから、ギタボの弾くギターにはあまり期待できないだろう。案の定、特筆すべき点は無いギター。まあセミアコだし、アルペジオは綺麗に鳴っていたかもしれない。
ギターの音取りが終わると、最後はボーカルのサウンドチェックだ。マイクテストのような要領でボーカルの声が発せられて、
「あ……」
私はその声に反応してしまった。歌っているわけではない、ただひとつの音を伸ばしているだけ。それなのに、何故だか人を引き付ける声だった。低くて、太くて、でも艶があって、通る声。響く声。なるほど、こういうことだったのか。今まで不可解だった謎が一瞬にして解けた。
「このボーカルの実力、これがこのバンドの武器ってわけですか……」
「……声だけじゃないよ、平井さんの凄いところは」
各楽器、ボーカルのチェックが終わると実際に曲を演奏しての確認にリハーサルは移る。
ドラムのカウントで全楽器が一斉に入る。ゆったりとしたテンポのバラード。流石、演奏はカッチリ合っている。危なげない。
そして、ボーカルが入る。
歌が入る。主役が登場する。圧倒的な存在感を発揮して、Leno Weaveというバンドの世界が始まる。
「作詞作曲、平井慎也。この人の才能は、本当に凄いと思う」
マサル先輩は視線をステージに向けたまま、そう呟いた。
ギターボーカルの圧倒的な実力と才能、これが先輩たちの微妙で複雑な笑顔の理由だったのか。
ジャンルは完全な歌モノギターロック、ド真ん中ド直球。そんなところにボールを投げ込むのには、歌唱力と作曲・編曲能力に相当の自信がないとやっていけない。
私の目指す音楽とは方向性は大きく異なるけれど、それでもこの街で音楽をやっていくなら倒さなくてはいけない相手だ。メラメラとライバル心が燃え上がる。
「格好良いバンドだな……」
誠二はそう言った。全く、感心している場合じゃないのだ。こいつらは敵なんだからそう簡単に白旗を上げてもらっては困る。
「まあ、ギターは私のほうが上手いけどな」
「……やっぱ奈緒はスゲエな」
ケースからギターを取り出してチューニングを始める。
「んなの当たり前でしょ。さ、この次のリハは私達なんだから準備しときなさいよ」
いつもやっている基礎練で左手のウォームアップ。よし、今日も私はギターが上手い。左手も右手もいつも通り動く。まあ今日やる曲の難易度なんてたかが知れてるし、この私がミスする可能性なんてゼロなのだ。楽勝楽勝。
「それじゃあリハ行くぞー」
程なくしてレノのリハは終了し、私達の順番がやってきた。
ついに、来た。この瞬間がやってきた。
私は意気揚々とステージに上がる。夢にまで見た景色、やっと辿り着いた場所。
「…………おお」
一段高い、ステージからの眺め。今は開演前だから照明も普通の蛍光灯だし、フロアにもリハ前で待機している対バンのメンツしか居ない。
それでも、それでもいつもの景色とは全く違う。私しか居ない狭い自室とも、メンバーだけのボロい部室とも、ここは全く違う場所だ。
人がいる、知らない人が私を見ている。これから私の演奏を見る。そんな当たり前の事実を改めて思い知る。
「……あ、あれ?」
何だろうか、この感じ。
落ち着かなくて、お腹の奥がムズムズして、身体が熱くなってくる。
あれ、おい、何か手震えてないか。え、あ、何でだよ。
待て、ちょっと待て、どうしてだ。何でだ、何でここに来てなんだ。落ち着こう、一度深呼吸しよう。そうすれば大丈夫、きっと大丈夫。
大きく吸って、吸って、吸って、そして――
「おい奈緒」
「ぶおっほぉぉぉ!!」
そして盛大に吹き出してしまった。誠二、この野郎驚かせやがって。
「うわっ、どうした急に?」
「ごほっ、ごほっ……ど、どうしたはこっちの台詞だっての! いきなり話しかけないでよ、ったく……。で、何の用?」
「いや、何か準備の手が止まってるみたいだったからさあ。何かあったのかと思って」
全く、変な所で鋭いやつだ。糞が。
「……どうもしないっての」
そう言って話を切り上げるように、私はセッティングを始めた。
「そうか?」
食いついてくる誠二に背を向ける。震えてる手なんか絶対にこいつには見せられない。
「そうなの。ほら、あんたも早くセッティング終わらせなって。リハの時間も限られてるんだから」
「わ、分かった」
ふう、何とか隠し通せたか。
いやしかし、でもマズいのは変わらない。
こういう時どうしたらいいか分からないけれど、でも誰にも言えない。ここまで大見得きってやってきた以上、誰にも言えるはずがないのだ。
「…………ファーック」
緊張してきました、なんて絶対に誰にも言えないのだ。




