第12話 Supernova
「……ふう、こんなところか」
自室でギターの練習を終えて、私は一人そう呟いた。疲労の溜まった両手を振りながら一息つく。
2週間後のライブで演る新曲4つの確認はすぐ終わった。ピロウズが2曲とエルレガーデンが2曲。自分にとっては技術的に一つも難しいところはない。1曲につき1、2回聞いたらすぐに出来るようになった。スコアなんていらない。楽勝だ。
しかし、エルレガーデン。うん、エルレガーデン。エルレガーデンなのだ。この私がエルレガーデンなのだ。
「……確かにまあ、ライブだと盛り上がりそうではあるけど」
つい数週間前までの私なら『エルレ? 何それ?』と鼻で笑っていただろう。しかしその私が2週間後にはステージの上でエルレガーデンを演奏しているのだ。全く、つくづく人生というのは分からない。
この調子で行くと、もしかすると1年後にはフリフリの衣装を着てガールズバンドを組んで、愛だの恋だの夢だの希望だのを謳ったポップロックスなんていうのを演っているなんてこともあり得る。今はジャージにメタルTシャツの私が、1年後には……なんて想像したら吐き気がしたのでこれ以上考えるのは止めにしよう。
さて、私のことはどうでも良い。このレベルの曲なら完璧に弾きこなせる。ギタボとベースの先輩二人も一度やったことのある曲だというし、そこもオーケー。そうなるとやはり問題となってくるのはドラム、誠二だろう。
新曲の内ピロウズの2曲、どちらもほとんど8ビートのみ。これは恐らく大丈夫だろう。だがしかし、エルレの内の1曲、確かスーパーノヴァという曲だ。それはテンポの早い2ビートが出てくる。テンポの速い2ビートはスラッシュビートとも呼ばれて、メタルやハードロックで多用される。8ビートか緩めの2ビートの曲しか演ったことのない誠二には難易度が高い演奏技術だ。あと2週間で対応しきれるか、微妙なところだろう。
ドラムはバンドの心臓だ。バンドで一番大切なのはドラム、というのは色々な音楽雑誌で見てきた。ドラムがしっかりしているかどうかで、バンドのレベルは大きく左右される。リズムがヨレたり転んだり最悪止まってしまったり、それらはギターが音を間違えたりボーカルが歌詞を間違えたりするのとは訳が違う。ドラムのミスは楽曲全体の大きなミスになり、ドラムの停止はバンドの死を意味する。
ドラムというパートはそれだけ責任重大なものなのだ。あいつはそれを分かっているのだろうか。
「…………よし、特訓だな。あいつには特訓が必要だ」
そうと決まれば明日からの特訓メニューを考えなければ。ライブまでの時間は決して長くない。その間に誠二をどれだけ鍛えられるか。ライブの成功はそこにかかっていると言ってもいい。
ライブ、ライブ、そう私の初ライブなのだ。絶対に成功させてやる。どんなちっぽけなステージだって、コピーする曲が簡単だからって関係ない。ここから私のサクセスストリーが始まるのだから、手を抜いていいわけがない。
ステージに立つ自分の姿を想像する。眩しい照明を浴びて、沢山の人の前に私は立っている。熱気や興奮に包まれたステージ、爆音。
「…………うん、いいな」
寝転がったまま、何となく開いた右手を天井に伸ばしてみた。そして、開いた手のひらを握りしめる。当然右手は何も掴んでいない、でも何となくやる気が出てきた。何となく、だけれど。
そして私と誠二の特訓は始まった。まず朝は7時半に部室に集合する。朝練という奴だ。
「うーっす……」
「おう、おはよう奈緒」
眠い目をこすりながら部室にたどり着くと、いつも誠二が先に居た。
「ふぁー……さて、朝練始めるよー」
「よっしゃあ!」
「……あんた、朝強いんだね」
「ん? まあそこそこかな」
自慢じゃないが、私は朝に弱い方だ。いつも登校は遅刻ギリギリだったりする。でも自分から朝練を提案しておいてすっぽかすなんてのは出来ない。出来ないから毎日頑張って起きている。褒めて欲しい。
アンプのボリュームをいつもよりあげて、眠気を吹き飛ばすようにギターを弾く。
楽器はとにかく反復練習が命だ。今度のライブで演る予定の曲を何度も何度も練習する。納得行かない所があったら、その部分を出来るようになるまで何度でも繰り返す。
1時間ほどの朝練を終えると始業時間になる。
寝る。
居眠りについてうるさく言わない教師が多いのは助かる。
そして昼休み、誠二と昼を食べながら朝練の反省やこれからの課題などについて話し合う。
「やっぱりスーパーノヴァのサビの2ビートがまだ安定してないわね。そこは要練習」
「う~ん、分かっちゃいるんだけど中々上手く行かないよなあ」
「きっとあんたにはメタル筋が足りてないのよ」
「エルレはメタルじゃねえけどな。……それにしてもメタル筋ねえ。この前貸してもらった何だっけ……ええっと、スレイヤーだっけか? ああいう速いの叩けるのって、やっぱムキムキのやつなのか?」
「ハッハー! スレイヤーなんてお笑いだぜ!」
「……いや、強引に貸してきたのお前だろ」
「これさ、一回言ってみたかったんだよね!」
「……よく分かんないけど、まあ良いか」
そんな微妙に噛み合わない会話の昼休みを終えると午後の授業だ。
昼飯を食って眠たいので、寝る。
そして放課後、また部室で練習。先輩たちの都合もあるので毎日全体練習という訳にもいかない。先輩たちが来られない時は朝練と同様、誠二と二人だけで練習する。
部室での音出しは19時までと制限されているので、それまでギリギリ一杯練習する。
そんな日々を一週間ほど続けると、誠二のドラムも割りとマトモなものになってきた、気がした。懸念していた2ビートも、少しはマシになってきた。これも私との特訓のお陰だろう。うん。
ライブを3日後に控えた全体練習後、トモ先輩は言った。
「そういや、皆お客さんどんくらい呼べそう? 俺はバッチリ5人集めたぜ。これで俺の分のノルマは達成だな」
何気ないその言葉に、私は軽い衝撃を受けた。
「俺は今んとこ4人、かな。もしかするともうちょっと増えるかも」
トモ先輩に続いてマサル先輩が言った。
「う、俺はまだ2人しか呼べてないっす……」
「まあノルマ分呼べなかったら自腹切るだけなんだけどさ。お客さんは沢山居たほうがテンション上がるし、集客頑張ろうぜ?」
俯く誠二の肩をトモ先輩は叩いて励ます。その光景を見て、私は何も言えなかった。自分に話が振られないように、せっせと機材を片付ける。逃げよう、とにかくこの話題からは逃げなければ。一番先に部室を出てしまおう。そうしよう。
「んで? 奈緒ちゃんは何人呼べたの?」
と、思っていたところで私にもその問いが投げかけられてしまった。ついに、ついにこの時が来てしまった。
「え、えーと……」
「女の子一杯来てくれると、やっぱテンション上がるんだよな~」
「そ、そうですよねえ~。あは、あはは、はははは……」
笑うしかない、私はもはや笑うしか無いのだ。曖昧な笑顔でごまかして逃げよう。逃げられるかな、逃げたいな。逃げさせて下さい。
「おい奈緒、お前もしかして……」
止めろ誠二、気付くな。気付かないでくれ。頼む。
「は、ははは!! あっはははは!」
無駄に明るく笑う私とは対照的に、メンバーたちは黙りこんでしまう。
「いや、えっと、あはは! え? 何黙ってるんですか? ははは、もう、あれですね、うん、そう、あはは!」
夕方の部室に私の笑い声だけが虚しく響く。
「ははは、ホント、もう、黙んないで下さいよ。はははっ、嫌だなあもう~」
そう、私は、友達が、少ない。
ファック。




