はるいろ
「あら? メールが来てる」
居間の夫婦共用パソコンのディスプレイにメール受信の通知を発見し、それが自分宛だと確認すると私は椅子に座りメールを開いた。孫からのメールには、近況と懐かしい風景を写した写真が添付されていた。
「あちらは桜が咲く時期なのねぇ」
かの地に行きっぱなしの孫からのメールには、懐かしい校舎と空を染める桜が写っていた。
そっと閉じた瞼の裏に思い出すのは、毎年、故郷の地を染めていた淡い薄紅の花。私と夫の卒業式にも、空を薄っすらと染めていた。
卒業式と言えば、本当にいろいろあった。主に夫の所為で。寧ろ、みんな夫の所為だ。18歳にもなってあんなに本気で泣いたのも、全部全部夫の所為だ。夫が全部悪い。
当時の私と夫とのやり取りを思い出し、眉間に皺を寄せる。今思い出しても恥ずかしい。当時からの友人たちに、桜を見ると思い出すとまで言われた私はどうすればいいのだ。
よし、今夜は夫の苦手なものオンパレードにしよう。大丈夫、デザートだけは好物を用意しておいてやる。せめてもの情けだ。泣いて喜ぶがいい。
しばし懐かしさに浸った後、私は孫に返信のメールを書き込んだ。
此方はそろそろ冬物の準備を始める頃だが、赤道を挟んで逆の位置に在る故郷は冬物を仕舞いこむ頃だ。
忙しそうな孫に、さてそんな暇はあるのだろうか。去年など、結局タンスの引き出しの底の方に押しやっただけで、碌に入れ替えも何もなかったとばつの悪そうな顔をしていたが、今年ははてさて。
高校教師もなかなか忙しいようだ。私は思い出し笑いを零しながら、無理して倒れないようにだけ注意しておいた。
天気が良かったので、冬物の虫干しをする。
夫の分厚いコートやセーターをまだまだ早いと思いつつも、竿に掛けていく。季節の移り変わりなんてあっという間だ。分厚い冬の生地を干すなら、今くらい太陽が元気なうち干すに限る。太陽の熱をたっぷり浴びてふっくらとなったセーターに触れると、とても幸せになれる。
そんなこんなしているうちに、日当たりの良い庭の物干し竿が冬物に占拠されてしまった。布団のシーツも洗おうと思っていたのだが諦めることにする。少々撓んだ物干し竿が心配だが、きっと大丈夫だ。そう自分に言い聞かせてみる。
「良い天気」
今頃、あの子は桜を見ているだろうか?
吹く風に、袖を巻くっていた腕が少々寒さを覚える。そろそろ家に入ろうかと思った矢先、ふわりと肩に大きなシャツが着せかけられた。
「その格好は寒いだろう。風邪をひくぞ」
夫のシャツ越しに触れるシワシワでカサカサの手のひら。
でも、ずっとずっと私を守ってくれた誰より安心できる温かい手のひら。
「そろそろ風が出てきた。家に入ろう」
「ありがとう、あなた」
夫の温もりを肩に感じながら、二人で良く晴れた空を見上げる。
こんな日がこれからも続いていくと良い。
今、二人で見上げるのは、晴る色の空。
あの日、二人で見上げたのは、春色の空。
苦手な野菜がたっぷり使われた夕飯を残さす食べたご褒美は、
大好きな果実をふんだんに使ったケーキを召し上がれ。