酒カス天使とバリキャリ女悪魔に、試験勉強を邪魔される件
「うがー! 明日は英語のテストだって言うのにぜんぜん頭に入らねぇ!」
問題集を前に俺は吠える。
猛烈な勢いで過去が俺を襲っている。勉強をまったくしてこなかった、あの呪わしい日々が。
「ははは、少年。そんな物は放っておいて、わたしに酌でもしてくれないか? なに、人間なんてちょっとくらいやる気がなくて頭が足りないほうが、わたしたちも管理しやすいからねぇ」
かすれたハスキーボイスが耳に飛び込んでくる。
振り返れば、酒を飲みながらタバコを吸っている、いかにも怪しげな眼帯の女天使。俺のベッドを我が物顔で占領している。
「ベッド、汚すなよ」
「大丈夫大丈夫。それよりも、明日のレースは荒れそうだねぇ」
競馬新聞を片手に缶チューハイを煽るその姿は、頭の輪っかと真っ白な羽がなければ、どこからどう見てもただの酒カスだ。
「あんな天使の言うことを真に受けてはいけません。勤勉に勉学へ励み、科学の進歩に貢献するべきです。そして、ゆくゆくは大量破壊兵器を開発するべきです」
真面目そうな声がするほうを見る。
俺の部屋のローテーブルに、ヤギのような角を生やしたいかにもデキる社会人ふうのメガネ姿の女悪魔が座っていた。ノートパソコンをカタカタと高速タイピングしている。
「もう少し静かに仕事をしてくれないかい?」
「それは難しいですね。フォビドゥンフルーツ社のキーボードはこの打鍵音が売りですので」
女悪魔は言いながらも仕事の手を止めない。
「とりあえず、勉強の邪魔だから二人とも出てってくんないか?」
「ははは、少年。冗談よしてくれ。知恵の実を食べた人類がどうなったか、知っているだろう?」
「楽園を追放されるだろうけど、ここは楽園じゃなくて日本の普通のご家庭だぞ」
「ははは、酒とタバコが楽しめるなら、わたしにとってはどこでも楽園さ」
女天使は安酒を煽りながら実に楽しそうだ。
出てってくれねぇかなぁ、本当に。
「そのような戯言を聞く必要はありません。人間とは常に学び続けなければならないのです。そして、行き過ぎた科学による自然破壊……最終戦争……完璧な滅亡プランですね」
割り込んでくるな、女悪魔。
「そういうのは俺の前であんまり言わないでほしいんだけど」
「業務内容は契約相手への告知義務がありますからね。最近は『聞いてない』というクレーム対応が大変でして」
「魔界にもコンプラが重要なんだな」
「どんな状況にも対応するのが一流企業ですので」
「魔界の話だよな? って、そんな話をしてる場合じゃない!」
時間はどんどん過ぎている。このままじゃ、赤点間違いなしだ。
「勉強の邪魔だって言ってるだろ。いいから出てってくれ!」
「いやいや、困るんだよねぇ。ここで邪魔しないでいて、みんなが外国語をペラペラ話すようになったら」
「なんでだよ」
「ははは、少年。決まっているだろう? バベられたら、また雷を落とさなくちゃならないじゃないか」
「……え? 天界だとバベルの塔みたいな状況のことを、バベるって言ってんのか?」
「ああ、そうだが?」
タバコを吸いながら、女天使はさも当たり前のような顔をしている。
しかもちょっと語感がいいのが、妙にムカつく。
「でも、それなら今流行りの自動翻訳とかはヤバかったんじゃないのか?」
「ああ、もちろん。仲間内でもインターネットを滅ぼすかどうかで大激論になったさ」
「え? マジで?」
「ああ。ただ、ソシャゲの課金が無駄になるという意見が出た途端、議論は終了したけどね」
「ソシャゲって、天界でも人気なんだな……」
ありがとうソシャゲ。
って、そんな無駄話をしてる場合じゃない!
「ならば、私からは別の悪魔をご紹介させていただきましょう」
「悪魔の紹介?」
「はい、ソロモン72柱の筆頭であるバエルさんです。知恵を授けてくださいます」
「大丈夫なのか?」
「契約締結前の説明はしますのでご安心ください。あと、透明化の能力もございますので、カンニングしたい放題です」
「勉強させたいのか、ズルさせたいのかどっちなんだ?」
「まあ、それは置いておいて、とりあえず呼びましょう」
女悪魔が何やら呪文を唱えると、床に魔法陣が出現する。そして、その魔法陣から悪魔が姿を現した。
カエルと人と、猫の頭を持つ悪魔だ。
「バエルさん、お久しぶりです。こちらの方と契約をしたいので、重要事項の説明をお願いします」
女悪魔はペコリとバエルに頭を下げる。バエルは俺を見ると、ゆっくりと話しはじめた。
「ゲコゲコゲコゲーコ。ゲココ、ゲコゲコ……」
「我が名はバエル、ソロモン72柱が筆頭……」
「にゃあにゃあ、にゃにゃ、にゃにゃにゃにゃ……」
「いっぺんに喋るなうるせぇ! 誰か一人に絞ってくれ!」
話が全く入ってこない。本当に勘弁してほしい。
三つの頭が頷くと、一つの頭が口を開く。
「ゲコゲコゲーコ」
「お前が喋るんかい!」
「にゃーにゃにゃ」
「お前が喋ってもわからねぇよ! いい加減にしろ!」
なぜ俺は深夜に必死でツッコミを入れているんだろうか。
「バエルさん、すいません。今回はご縁がなかったようなので、また次回お願いします。……あ、3日後のバーベキュー大会は賽の河原です。閻魔大王様のところとの親睦会も兼ねますので、よろしくお願いします」
女悪魔がそう言うと、バエルは蜘蛛のような脚でサムズアップを決める。そしてそのまま、召喚陣の中へと姿を消してしまった。
バーベキュー大会かぁ。久々に肉が食いたいな……って、そういう場合じゃない!
「あー! もう無視だ無視!」
俺は机に向かい直すと、ひたすら問題集を解き続けた。
集中力は本物だった。二人の声も、競馬の実況も、電話越しの魔界の業務連絡も、何一つ耳に入らない。
「おお、今回のG1は地方からあの馬が参戦かぁ……これは注目だねぇ」
「はい、お世話になっております。バーベキューで地獄の業火を使いたいと……わかりました。申請書類をご記入の上、担当部署までご提出ください」
聞こえないと言ったら聞こえない。ひたすらに、ひたすらに問題集を解いていく。
――数時間後。
「よし! 全問正解! これでテストもバッチリだ! おい、お前ら……」
朝日の差し込む部屋で振り向くと、そこには2枚のメモが置いてあった。
「少年。今日はパチンコのイベントデーだから、夜明け前から並ばねばならない。寂しいとは思うが、頑張ってくれたまえ。あと、財布から一万円は借りた。終末までには倍にして返すから安心してくれたまえ」
「すみません。勤務時間を過ぎたので退勤させていただきます。労働基準法違反は困りますので。なお、私が働いたという証拠に判子もお願いします。三箇所あります」
メモを読んだ俺は、力なく膝をついた。
「お前らああああああ! 一言くらい『頑張ったな』とか言えねぇのかよコンチクショー!!」
静まり返った早朝の部屋に、俺のツッコミだけが虚しく響き渡った。




