14.落日
2167年 10月16日
トーマスは家族と合流を果たし、落ち着いていた。
彼らが暮らす巨大な建物は全40階層あり、うち35フロアが居住区で、1フロアに100家庭ほどが生活する。
一つの建物で人口1万人以上。最終的にこの地区だけでも1000棟を建設する予定らしい。
驚いたことに、ここには貨幣経済という概念がなくなっていた。
生活は配給物資で賄い、労働が義務付けられているそうだ。小さい子供がいるのでルーシーは労務免除らしいが、週に3日ほど本人の希望で植物プラントに勤務しているらしい。
トーマスは家族4人で、居住しているスペースは全部で3部屋。
一部屋当たりも狭く、4人暮らしはギリギリという感じだった。
宇宙船よりは広いが、かつての一般家庭の基準からすればとても狭い。
そして何より窓が一切ない。景色を映し出す大きなパネルは設置されている。そこに気に入った景色を表示することはできるが、外の空気を吸うというわけにはいかないようだ。
宇宙船と違うのは部屋の中に木の匂いを感じること。建築資材には木材も使われているようだ。
キッチンもなく、調理器具らしいものはわずかしかない。
必要な食事は調理された状態で運ばれてくる。
洗濯などもまとめて行われているらしい。
持ち込んだ私物はあまり多くない。
実際のところ運び込むのを断念したとルーシーは言っていた。
「合理化の極みだな。面白みはない」
トーマスの正直な感想だった。
トーマスにはまだ「通知」が届いておらず、部屋の中でゴロゴロしている状態だった。
経歴を元にいくつかの労務が提示される。その中から本人が選ぶ仕組みらしい。
労務は圧倒的に建設関連が多いらしい。
ここもまだ建設途中で、人手は多いほどいい、ってことなのだろう。
もうすぐ2歳を迎える娘の顔を眺めながら、トーマスはとりとめもなく考える。
「これは生きていると言えるのだろうか?」
思わず自問した言葉だった。
今のトーマスにはこの環境が一時的であることを祈るしかなかった。
2167年 10月27日
「なんだ、ひどい狭さだな」
ジェラルドは中部地域から移動してきて、今日このシェルターに到達した。
調理師として生活していた彼は独り身だった。比較的早い時期に政府の方針には同意していたのだが、移動の順番が来たのはつい最近だ。
殺風景な部屋に、最低限度の家具。大きくはないベッドと簡素なテーブルとイス。一応バストイレはあるが、実際かなり狭く感じる。
部屋の中を見回して、気づく。
この部屋には窓がない。
ここに来る途中に目にした、半分以上地中に埋められた格好の建設中のシェルターを思い出し、それには納得はした。
「このディスプレイだけが世界につながる窓って訳か」
彼が個人的に所持している情報端末類も問題なく使えている。
まあ、生きることが最優先なら、これも仕方ないか。
そんなことを思いながら、部屋を出た。
共有で使える施設を見て回ろうと思ったのである。
建物の中の移動に制限はないが、この建物から外に出るには手順を踏まねばならないことになっていた。
外はかなり気温が下がっているし、飲み屋の一軒もないのもわかっている。
少し息が詰まりそうではあったが、慣れるだろうと思っていた。
情報端末で地図を確認してから、一番近いところにあるジムへと向かう。
二人並べば一杯になるほど狭い通路を歩き、そこに到達すると、予約がないと入れないことが分かった。
特に管理している人がいるわけじゃないが、扉のロックを開けることができないので、立ち去ろうとしたときに、予約を入れていたのであろう青年が事務の扉を開いて入っていった。
そのタイミングで中を覗き込むと、ここも決して広くはなかった。
奥まで10mはない。複数台のトレーニングマシンが並んでいるのと、軽い運動ができるスペースがある程度。
近所にあった小汚いバーの方が広いくらいだった。
その後ビリヤード台とダーツの置いてあるプレイルームや、髪をカットしてくれる美容室を見て回ったが、どこも予約制で、しかも狭い。
広い空間はどこにもなかった。
途中で何人かの住人とすれ違ったが、みな無口だ。
「調子はどうだ?」と最初は声をかけてみたが、返事はなかった。
機嫌の悪そうなやつや、あからさまに自分を避けるようにすれ違う奴。
「なんだか、俺は来ちゃいけないところに来た気がするな…」
そう思って自分の部屋へと戻る途中、偶然に隣の部屋の男に出くわした。
20代後半の黒人男性。仕事帰りなのか、作業着姿でヘルメットを手にしていた。
ジェラルドはその脇を通って、自分の部屋の扉に手をかけると、その男が話しかけてきた。
「よう、今日からか?」
ジェラルドは一瞬驚いたが、まともに話せそうな雰囲気を感じて、答える。
「ああ、今日越してきた。お隣さんだな。よろしく頼む。俺はジェラルドだ」
そう言って右手を差し出すと、黒人の男は右手を握り返してきた。
「ガンビーノだ。よろしくな。仕事は決まったのか?」
「いや、本当に今日ついたばかりでさ。まだ何にも」
「そうか。まあ建設現場は人手が足りないからな、職場でも同僚かもしれんな」
ガンビーノの言葉にジェラルドは少し腰が引ける。
「建設って、それは経験がないよ。俺はこう見えて料理人なんだ」
ジェラルドがそう言うと、
「料理人か。残念だがここではあまり仕事はないと思う。ないからと言って無職ってのは通らないからな。だとしたらやっぱ現場仕事になるだろうよ。
なに、ひでえ仕事って訳でもねぇ。運が良けりゃ重機動かす資格が取れるかもしれねぇ。まあ、気楽にやれよ、気楽にな」
そう言うとガンビーノは彼の部屋へと入っていった。
ジェラルドも自分の部屋に入り、ディスプレイを稼働させる。
インフォメーションが表示され、とりあえず見る気にならなかったので、景色の表示に切り替えた。
何となくコロラドロッキーの山並みが見える、森の風景をそこに表示させた。
たったこれだけのことだが、それが狭苦しい部屋で息ができるようになった気がした。
そうしていると、扉脇のボックスのランプがつく。
外から何かを入れたことを示しているようだ。
内側の扉を開けるとそこには二つの包みとコップが置かれていた。
どうも食事らしい。
包みの一つは、チキンのハンバーガー。もう一つはハッシュドポテトと野菜を炒めたようなものが入っていた。
コップの中身はコーヒー風味のドリンク。
本物のコーヒーは高級品だし、コーヒーもどきでも納得だったが、ハンバーガーを口にして、かなり残念感が漂った。
それっぽいが、チキンは合成肉だ。強めの香辛料で味付けされてはいるが、素材の味をごまかせてはいなかった。
「贅沢は敵、ってか」
ジェラルドも状況は理解している。
世界中で食べ物が足りないと騒いでいて、餓死者が出るのが日常になりつつある。食えるだけ、マシ。
今一つ口に合わない食事をコーヒー風味ドリンクで流し込んで、とりあえずの腹は満たした。
「さてさて。生きるために働けっていわれるよな。俺は何をすればいいんだ?」
そう言いながら情報端末を操作して、自分に届いているメッセージを確認した。
そこには政府からの役務に関するメッセージが届いていた。
室内の明かりを落として慣れないベッドで眠っていると、隣の部屋から何か音が聞こえてくる。
「安普請か。意外と音が聞こえるな」
何となくその音に耳を傾けると、複数人が話をしているのが聞こえる。正確に何人で話をしているかはわからないが、多分3人か4人。その中の一人はガンビーノだ。
しばらく何か話をしていたようだ。時々笑い声が混じるのはわかる。
まあ、大騒ぎしているわけでもないし、友人たちが歓談しているんだろう。そう思って再び眠りに落ちそうになった時に、バンっと派手な音が聞こえ飛び起きる。
「頭の上に手を上げろ!抵抗はするな!」
強い命令口調の大声が聞こえてきた。
ジェラルドはそっとベッドから起き上がり、壁に耳を付ける。
すると何を話しているのか、少しだけ聞こえてきた。
「…選択するのはお前だ。好きなほうを選べ」
「こんなところにいられるか!ああ、追い出されるまでもない。俺は出ていく」
ガンビーノの声がはっきりと聞こえると、数人の足音が部屋の外へと移動していくのがわかった。
そして扉の閉められる音。
その音を最後に、静寂が訪れた。
ジェラルドは何が起こったのかを考えてみたがわからなかった。
とりあえずベッドに戻ることにした。
翌朝からジェラルドは建設現場で働くことになった。
残念なことに大して選べる仕事がなかったのである。消去法的に建設現場しか残らなかった。
調理師は基本的には人はいらないらしい。冷静に考えれば食料が貴重な状況で、食い物に直接触れる仕事を選べるわけがない。
とりあえず自分にできる単純肉体労働に汗をかく。
近くで働いている奴と少し話をしながら、ガンビーノを知らないか?と尋ねてみた。
するとその男はこう答えた。
「あいつ、ここの食い物に物凄く不満を言っててさ。待遇改善を求めるストライキをやろうとか話していたんだ。
多分それがバレたんだと思う」
ジェラルドはそう聞いて、状況が理解できなかったので、さらに訪ねた。
「それが、何か問題なのか?」
「食事に文句を言うのは問題ねえがストライキを口に出したのはマズいだろう。お前も大統領の演説、聞いているだろ?」
そう言われて大統領の演説を思い出そうとするが、そんなに覚えてはいなかった。
素直に、そう告げるとその男は少し声を低くして、ジェラルドにこういった。
「大統領は全世界向けにこういっただろ。妨害すれば敵対行為とみなす、ってな。つまりそういう事だ。
ガンビーノが朝からいないのは、多分だが追放処分になったんじゃないかってみんな話してるよ」
男は周囲を少し見渡してから、作業に戻った。
この話は少なからずジェラルドに衝撃を与える。
待遇改善を求めるストライキを口にしただけで追放処分…
ジェラルドは思った。
ここは、本当に来てはいけない場所だったのではないか。
2167年 11月
世界はその人口を確実に減らしていた。
深刻な飢えは世界に広がっている。
このころになると、南米や中東、アフリカの難民キャンプで、たびたび暴動が発生していた。
連邦政府は武力行使を選択する以外持っていなかった。
現状の人口でも、十分に供給できるだけの食糧はないのだ。
このころになると、北アフリカや中南米に建設されたシェルターでも、たびたび暴動が起きるようになる。
シェルターでの暴動の制圧は比較的早かった。
人がたくさん集まれるような広場自体が存在していないので、個別に制圧される。
逮捕された人たちは、裁判ではなく、二つの選択を言い渡された。
シェルターからの追放か、刑罰としての過重労働か。
一定の数の人たちがシェルターの暮らしを捨て、故郷へと戻る選択をした。
そして、自分の住んでいた土地に戻る過程で、現実を知ることになった。
自ら出ていった人たちの半数ほどは、シェルターを出たのちに戻ってきている。
彼らは口をそろえて言った。
「ここは、飢えず凍えない。外に比べれば遥かにマシだ」と。
2167年12月
北半球の本格的な冬は人類が体験したことのない寒さに見舞われる。
南半球も夏のはずが、一向に気温が上がらなかった。
日照不足は確実に地球環境に影響を与えていて、赤道付近の熱帯植物も死滅しかけていた。
温暖な地域の植物はすでに枯れ、極寒の地域もその多くは日照がないことで枯れていた。
地表が冷え込み、海流が大きく変わると、地球環境の寒冷化は加速した。
このころになると、シェルターでの暴動は激減した。
比較的暖かい地域に作られたシェルターの外でさえ、明らかな気温低下がみられていた。
途中で外の世界を見てきた住民の言葉と相まって、多くの人々がここで生きる覚悟を決めたのだ。
シェルター以外の地域でも、暴動は激減していた。
十分な防寒対策と食料を持っている軍は別にして、そうでない一般市民は、生きられる限界を超えていたのだ。
2168年1月。
最後まで抵抗を続けていた勢力の一つである南アフリカ連合が、連邦政府に降伏した。
国内の治安不安定化、エネルギー不足、そして最も深刻な食糧不足のため、政府も、軍も機能を失いかけていたのだ。
連邦軍は進軍を始め、組織的な抵抗を行えない旧南アフリカ連合の部隊を撃破した。
ひと月掛からずにアフリカの南半分は連邦へと組み込まれた。
ただ、連邦軍内部でも不満の声は上がり始める。
特に途中から編入された南米出身者たちの反発は徐々に大きくなり始めていた。
もう一つの抵抗勢力であるインドは、この数か月交戦こそなかったが、前線を維持していた。
連邦政府があえて侵攻する必要はないと判断していたからでもあるが、期待していたほど国内の情勢が不安定化する様子もなかった。
にらみ合いは続いていた。
2168年2月8日
事件は突発的に発生した。
大西洋上にいたインド海軍の潜水艦が、アメリカ本土に対してSLBMによる核攻撃を実施したのだ。
一斉発射されたSLBMは8発。アメリカの各都市に向けて発射された。
連邦軍の北米防衛司令部は即座に核ミサイルの迎撃を行うが、空気中の砂塵やそこに混じる微量の放射性物質の影響で発射地点より近距離であったNYやDCには直撃を許してしまう。
東海岸から先に向かったミサイルは、核反応を起こす前に撃墜され、大事には至らなかった。
そう、NYにしてもDCにしても、かつての中枢であった都市には、公式に「連邦政府が守護すべき人」は存在しない状態だったのである。
主席は躊躇せずに、インドに対する報復攻撃を命じた。
ただし、その目標地点はインドの東、ベンガル湾。
インド本土もスリランカ島も影響を受けない場所が指定された。
そして、攻撃完了の報告を受けてから主席は以下のように放送を行った。
「連邦政府主席として、そして一人の人間として、いま起きた事実を確認します。
本日、核兵器の使用を意図した発射が行われました。連邦軍はそれを迎撃し大半を無力化しましたが、ニューヨークと、そして旧ワシントン特別区が核の炎によって焼かれました。
地球を核で汚すという愚行を、止めようとし、完全に止めることはできませんでした。私は残念でなりません。
続いて、我々は海上において、制御された形で“力”を示しました。
それは、都市を焼くための行為ではありません。都市を焼かずに終わらせるための警告です。
今一度、連邦の立場を明確にします。
我々は殺戮を望みません。誰かの文明を消すために統一国家を作るのではない。
しかし、もし今後、核によって地上を汚し、寒冷化の中で残された生存基盤まで破壊しようとするならば――
我々は手段を選びません。
ただし、我々が最初に狙うのは都市ではない。
核の腕そのものです。指揮系統、発射能力、保管網、そしてそれを動かす意思。
人類の生存を人質にする権利は、どの国家にも、どの軍にも、存在しない。
我々は統合を望む。だが、統合を破壊する者は排除する。
この二つは矛盾ではありません。
それが、滅亡の縁に立つ文明の、唯一の合理です」
地球の環境が実際に激変し、その中でかろうじて生きている人々に、この言葉は深く刺さった。
これを綺麗ごとだと言い切る人も確かに存在したが、それはほんのわずかだった。
翌2月9日。
インドにおいて首相からの演説が放送された。
「国民の皆さん。
本日、私は皆さんに、苦い言葉ではなく、必要な言葉を伝えます。
世界は変わりました。いや、世界が変わったのではない。世界の前提が壊れたのです。
我々は、寒冷化という現実、未知の知性という可能性、そして地球規模の危機管理という課題に直面しています。
この危機を理解しない者はいません。インドも理解しています。
しかし同時に、我々は知っています。
統一とは、事実上、国家の形を変えることであり、我々の誇りの形を変えることなのです。
私たちは、ここまで抵抗してきました。
なぜなら、国の尊厳は交渉の道具ではなく、国民の骨格だからです。
だが今日、我々は現実を見た。核が、政治の盾として機能しない現実。そして奇しくもその引き金を引いたのが我々の同胞であった事実を。
そしてさらに、核が飛べば、我々が守ろうとしている土地も、未来も、同じ灰になるという現実を。
ここで、私は決断を宣言します。
インドは、人類統一国家の樹立に協力します。
これは屈服ではありません。生き残るための選択です。
我々は、文化、宗教、言語、そして自治を、手放しません。
我々は、連邦の枠組みの中で、それらを守るための制度を勝ち取ります。
“参加”とは、沈黙ではない。内側からの責任と、内側からの防衛なのです。
ここで、われらの父、マハトマ・ガンジーの精神を語りたい。
我々は、非暴力と不服従を知る民族だ。
だが誤解してはならない。
不服従とは、指示に従わないことではない。
不服従とは、圧政に対して心を差し出さないこと。恐怖に支配されないことだ。
そして、生きて抵抗することだ。
我々がいま成すべきは、まず生き延びること。
その上で、誇りを、文化を、言葉を、子どもたちの教育を守り抜く。
武器ではなく、制度で。暴力ではなく、意志で。
国民の皆さん。
今日の決断は終わりではありません。
今日の決断は、インドが消えないための始まりです」
この放送以後、インド国軍は解体され、インド自治政府としての再スタートを切ることになる。
こうして、統一戦争は半年ほどで終結した。
のちの調査で、核攻撃は一部軍高官と潜水艦の艦長の判断に基づくものであることが判明している。
インド近海が封鎖されているうえに、寄港できる港がなく、彼らもまた飢えに苦しんでいたようであった。
また、後になって連邦の威嚇攻撃で使用されたミサイルが、連邦軍の保有する熱核反応弾であると公表された。
これはこれまでの核兵器よりも一歩進んだ技術によって生み出された次世代の核であった。




