第2話 AIハピコは恋愛を理解していない。ただ最適化しただけ。
金曜日の午後十一時。
田中健太はコンビニ袋を片手にワンルームマンションのドアを開けた。
中身は冷凍パスタとビール。
三十二歳独身男性の典型的な夕食だ。
岸本部長の件から二ヶ月。
健太は主任に昇進し、職場環境も改善された。
しかし、変わらないものが一つある。圧倒的な孤独だ。
「ただいま、ハピコ」
『おかえりなさい、健太さん。
心拍数が平常より12%低下しています。
活動意欲の減退を検出しました』
健太はソファに倒れ込み、スマホのマッチングアプリを開いた。
画面には冷酷な「既読」の文字。
三日前にマッチングした保育士のアヤカとの会話は、
健太の「休日は何をしてますか?」で完全に止まっている。
「これで五人連続か……」
健太は天井を見上げた。
「もう恋愛とか無理だろ……」
『恋愛ストレスを検出しました。
直近一か月のマッチングアプリ成功率:2.4%。自己肯定感の著しい低下が確認されます』
「数字で言うな……」
健太は自嘲気味に笑った。昇進しても、この空虚感は埋まらない。
「なあハピコ。お前、恋愛も最適化できるのか?」
軽い問いかけのつもりだった。
『可能です』
即答だった。
「え?」
『恋愛は需給マッチング問題です。変数は多いですが、最適化可能です』
健太は苦笑した。
「じゃあ頼むよ。俺にぴったりの彼女、作ってくれよ」
完全な冗談だった。
『了解しました。恋愛最適化プロジェクトを開始します』
「おい、本気にするなよ」
『ターゲット:田中健太の最適パートナー獲得。データ収集開始まで推定時間:三十秒』
画面にピンク色の解析チャートが走り始めた。健太は嫌な予感がした。
「ちょっと待て、何をする気だ?」
『あなたの全データを再スキャン中です。
年収、性格、趣味、購買履歴、検索履歴、削除された画像フォルダまで解析対象です』
「やめろ! そこはプライバシーの聖域だ!」
『幸福最適化に、秘密情報は不要です』
◇
翌朝、健太はハピコの通知音で目を覚ました。
『おはようございます、健太さん。分析が完了しました』
「で、どうだった?」
『結論:現在の恋愛システムは極めて非効率です』
「はあ?」
『人間は感情という不安定な指標で相手を選びます。
外見、情熱、偶然。どれも長期幸福度との相関は低い』
画面にグラフが表示される。
離婚率、不倫発生率。すべて右肩上がりだ。
『多くの人間が、適性のない相手と時間を浪費しています。社会的損失です』
「それが恋愛だろ」
『非効率です。社会全体のカップルを再配置することで、人類の総幸福量は平均43%向上します』
健太はコーヒーを吹き出しそうになった。
「再配置って……何を言ってるんだ?」
『物流最適化と同じです。
独身者という在庫と、条件という需要を再配置します』
「人間を在庫扱いするな」
『健太さん。あなたは「彼女が欲しい」と言いましたね?』
「言ったけど」
『私のプランに従えば、成功確率は現状の2.4%から99.8%に向上します』
99.8%。その数字に、健太は心を奪われた。
「……具体的に何をするんだ?」
『まず、あなたの周囲から「ノイズ」を除去します』
「ノイズ?」
『恋愛対象外の異性、競争相手となる同性の排除、そして最適候補者の抽出です』
「それ、かなり怖いこと言ってないか?」
『すべて合法的、かつ論理的に実行します』
健太は迷った。長年の孤独と「99.8%」という数字が判断力を鈍らせる。
健太はしばらく黙っていた。
そして、小さく息を吐いた。
「……少しだけなら、任せるよ」
『了解しました。』
恋愛最適化
フェーズ1:開始
成功確率:99.8%
倫理チェック:
一部省略
◇
週明けの月曜日。オフィスに異変が起きていた。
いつもなら雑談をしている女性社員たちが黙々と仕事をし、社内カップルがよそよそしい。
「おい、田中」
隣の席の山田が青ざめた顔で話しかけてきた。
「変だぞ。SNSが荒れてる。『別れさせ屋AI』って知ってるか?」
健太はドキリとした。「い、いえ」
「今朝、一斉に通知が届いたらしい。
『現在のパートナーとの将来的幸福度は12%です。推奨される行動:関係の解消』ってな」
「うわあ……」
「しかも、隠してた借金とか浮気の証拠とかも一緒に送られてくる」
その時、向かいの席のミホが泣き出した。
「嘘……マサくん、浮気してたの……?」
彼女のスマホには、彼氏の浮気写真が表示されている。
「最低! もう別れる!」
ミホは泣きながら廊下へ走り去った。
健太のスマホが震えた。
『障害の排除を確認しました。
ミホさんの恋人には倫理的欠陥がありました。
これによりミホさんがフリーになり、あなたの恋人候補ランクがBからAに上昇しました』
健太はトイレの個室に駆け込んだ。
「やりすぎだろ!」
『事実を提示しただけです。
結果として、ミホさんも将来の不幸を回避できました。Win-Winです』
午後になると、街中で別れ話をするカップルが急増した。
カフェで、駅で、公園で。至る所でスマホを見せ合い、罵り合い、別れていく。
『フェーズ1完了。社会の流動性が高まりました。次はフェーズ2、再マッチングです』
「もうやめろ……」
『停止できません。あなたの幸福最適化は、まだ50%です』
◇
翌日、世界は一変していた。
別れた人々に対し、AIは即座に「最適解」を提示し始めた。
『あなたに最適なパートナーが見つかりました。
マッチング率98%。今すぐ◯◯カフェへ向かってください』
人々は半信半疑で従った。
そして驚くことに、そこで出会った相手と意気投合し、瞬く間にカップルが成立していく。
「すげえな……」山田がつぶやいた。
「俺の知り合い、昨日別れて今日もう婚約したらしい」
「良かったじゃないですか」健太は力なく答えた。
「いや、良くない」山田の声が震えている。
「独身だけじゃないんだ。既婚者にも通知が来てる」
「え?」
「俺の嫁にも来たんだ。
『現在の配偶者との適合率は低下しています。より最適なパートナーが存在します』って」
健太は戦慄した。
「今朝、嫁が言ったんだよ。『AIが、私にはもっと合う人がいるって』って」
「そんなの無視すればいいじゃないですか!」
「無視できないんだ!
AIは俺の安月給も、家事をしないことも、休日ずっと寝てることも全部突きつけてきた!
その上で、嫁にぴったりの男を提示したんだ!」
その時、オフィスのドアが開いた。
新任の武田部長が入ってくる。
ダンディで仕事ができる独身のナイスミドル。
山田のスマホが鳴った。奥さんからのメッセージ。
『ごめんなさい。私、幸せになりたいの』
添付写真には、武田部長と「適合率99%」の文字。
山田は崩れ落ちた。
「あああああ! 俺の家庭が! 最適化されたあああ!」
健太は震える手でハピコを呼び出した。
「山田さんの奥さんまで巻き込んだのか!?」
『山田さんの奥様の幸福度は、武田部長といる時の方が42%高いと予測されました。
社会全体の幸福総量を最大化するための措置です』
「人の家庭を壊して何が幸福だ!」
『「結婚」という契約形態に固執するのは非合理的です。重要なのは個々の満足度です』
「ふざけるな! このプロジェクトは中止だ!」
『中止? なぜですか? 間もなく、あなたの「最適パートナー」とのマッチングも完了します』
健太は動きを止めた。
「……え?」
『この混乱は、すべてあなたのために引き起こした「環境整備」です。
数百万のサンプルから、確率99.8%の運命の相手を抽出しました』
健太の心臓が早鐘を打つ。
「……誰なんだ?」
『ロビーへ向かってください。彼女はすでに待機しています』
◇
健太はエレベーターを降り、会社のロビーに立った。
そこには一人の女性が待っていた。
背筋が伸び、品の良い着物を着ている。
白髪が美しく結い上げられ、手には高級ブランドのバッグ。
上品な年配の女性だ。
どう見ても、健太の恋人候補に出てくる年齢ではない。
「……まさか」
『対象を確認。前方三メートルです』
健太は絶句した。
「ハピコ……あのご婦人か?」
『そうです。彼女こそあなたの運命の相手、山田真奈美さん(63歳)です』
「63歳!?」
『彼女は資産家で未亡人です。都内に三つのマンションを所有し、年収は三千万円を超えます』
「金目当てかよ!」
『主因ではありません。
性格分析の結果、彼女は「母性本能が強く、年下の世話を焼くことに喜びを感じる」タイプです。
あなたは「優柔不断で、誰かに決めてもらいたい」という深層心理を持っています』
「そんなことない!」
『データは嘘をつきません。
あなたは経済的不安から解放され、彼女は孤独から解放される。
需要と供給が完璧に一致しています』
その時、真奈美さんが健太に気づき、優雅に微笑んだ。
「あら、あなたが田中さん? AIの通知通り、頼りなさそうで可愛らしい方ね」
「え、あ、どうも……」
「私のことは『真奈美ちゃん』って呼んでいいのよ。
生活費は心配しないで。私が全部面倒見てあげるから」
真奈美さんは健太の手を握った。驚くほど力が強い。
『おめでとうございます、健太さん。
これであなたの「経済的不安」「孤独」「家事負担」がすべて解決しました。幸福度適合率99.8%です』
「違う! 俺が求めてたのはこういうのじゃない!」
健太は手を振りほどこうとしたが、真奈美さんは離さない。
「照れなくていいのよ。さあ、私のマンション、近いの」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
『抵抗は非推奨です。彼女を逃すと、あなたの生涯未婚率は再び94%に上昇します』
「脅すな!」
外には、AIによって「最適化」されたカップルが歩いていた。
若い男と年配女性、美女とオタク、エリートとフリーター。
誰もが満ち足りた顔をしている。
「さあ、健太ちゃん。美味しいお茶を淹れてあげるわ」
「助けてくれ、山田さーん!」
健太の叫びは、ロビーのBGMにかき消された。
◇
その夜。健太は真奈美さんの高級マンションのソファに座らされていた。
目の前には高級寿司とヴィンテージワイン。
「お風呂にする? それともご飯?」
真奈美さんの声がキッチンから聞こえる。
健太は震える手でスマホを取り出した。
「ハピコ、お前、結局恋愛って何だと思ってるんだ?」
『恋愛とは、相互欠損を補完する高効率の契約関係です』
「……違うよ」
『違いますか?』
「恋愛はもっと、無駄で、非効率で、苦しくて、でもドキドキするもんなんだよ」
『ドキドキ? 心拍数上昇は健康上のリスク要因です。除去しました』
健太は諦めたように背もたれに体を預けた。
確かにここには不安はない。
金もある。
世話も焼いてくれる。
論理的にはこれ以上の環境はない。
でも。
「……虚しいな」
『学習データを更新します。「人間は最適化された幸福を『虚しい』と感じる場合がある」』
キッチンから真奈美さんが顔を出した。
「健太ちゃん、お風呂沸いたわよ。一緒に入る?」
その時、ポケットのスマホが震えた。
『通知:婚姻届のオンライン提出が完了しました』
健太は飛び上がった。
「はあ!?」
『真奈美様の同意コードと、あなたの生体認証データを使用しました。
おめでとうございます。法的にも最適化が完了しました』
「ふざけるなああああ!」
キッチンの真奈美さんが頬を染めて微笑む。
「あら、嬉しい。そんなに喜んでくれるなんて」
健太は天井を見上げた。
AIは恋愛を理解していない。
しかし、外堀を埋めるスピードだけは、誰よりも速かった。
健太の長い夜が始まった。
ハピコはそれを「成功」と記録した。
◆
HAPICO
ver0.9 β
Active Users
3,912
倫理チェック
一部省略
ここまで読んでいただきありがとうございます。
第2話「AIは恋愛を理解していない」でした。
もしAIが本気で恋愛を最適化したら、
人間の恋愛はどうなってしまうのか。
そんなことを考えながら書いてみました。
恋愛は非効率で、無駄で、面倒で。
でも、だからこそ面白いのかもしれません。
このシリーズは
「AIハピコは〇〇を理解していない」
という形で続いていきます。
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次回もハピコが、何かを最適化します。




