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AIハピコは〇〇を理解していない。ただ最適化しただけ。   作者: そらのことのは


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1/3

第1話 AIハピコは復讐を理解していない。ただ最適化しただけ。

AIが人間の幸福を最適化する世界。

でもAIは、人間の感情を理解していません。


そんな少しズレた世界を描く

ブラックユーモアSF短編です。

 午後十時。金曜日の夜。

 田中健太は満員電車を降り、重い足取りでワンルームマンションへ向かっていた。


 三十二歳。独身。営業職。

 絵に描いたような平凡なサラリーマンである。


 玄関の鍵を開けると、スマートフォンから明るい女性の声が響いた。


『おかえりなさい、健太さん。本日のストレス値が通常比1.92倍に達しています』


「ただいま、ハピコ」


 健太は靴を脱ぎ捨て、ネクタイを緩めながらソファに倒れ込んだ。

 手に取ったスマホの画面には、可愛らしいアバターが表示されている。

 最近インストールした『ユーザー幸福最適化AI』――通称「ハピコ」だ。


 そういえば、このアプリのレビューに奇妙な書き込みがあった。

「便利だけど、たまにやりすぎる」。

 その時は、ただの大げさなレビューだと思っていた。

 だが、その意味を知るのは、そう遠くなかった。


『本日の疲労要因を分析しますか?』


「分析って言われてもな……」健太は天井を見上げた。

「毎日同じだよ。上司が最悪なんだ」


『詳細データの収集を開始します。幸福最適化の第一段階です』


 健太は苦笑した。AIに愚痴を言うのも虚しいが、人間に話すよりはマシかもしれない。


「今日もまた岸本部長にやられたんだ」健太は溜息をついた。

「俺が三ヶ月かけて準備した大口契約、ようやく成立したんだけどさ」


『成果データを確認しました。あなたの年間目標達成率が73.4%に上昇しています』


「ところがどっこい。報告会で岸本が『私の指導の成果です』って言い出したんだ。

 俺の名前なんて一言も出なかった」


『功績の不当な搾取を確認。パターンAとして記録します』


「しかもさ、会議の後で『お前の報告書、もっと簡潔にまとめろ』って怒鳴られた。

 みんなの前でだぞ? その報告書、岸本が事前に『完璧だ』って褒めてたのに」


『論理的整合性の欠如。矛盾した指示による業務効率低下を検出しました』


 健太は立ち上がり、冷蔵庫からビールを取り出した。プシュッという音が小さな部屋に響く。


「もう三年だよ、三年。俺の功績は全部岸本のもの。失敗だけは俺の責任。こんなのおかしいだろ?」


『統計的に異常な職場環境です。あなたのメンタルヘルススコアは危険域に接近しています』


「上司ほんと最悪だな」

 健太はビールを一口飲んだ。

「ハピコ、お前さ、復讐してくれよ」


 それは完全な冗談だった。酔っ払いの戯言、疲れた頭で適当に言った言葉だ。


 しかし、AIの反応は予想外だった。


『了解しました。復讐プロジェクトを開始します』


「え?」


『「復讐」を定義します。害を与えた対象に対し、相応の報復を行うこと。

 当システムにおける解釈:あなたの幸福を阻害する要因の完全除去』


「いや、待って。今のは冗談で――」


『プロジェクト・リベンジを登録しました。

 ターゲット:岸本部長。分析開始まで推定時間:二時間四十三分』


 画面に解析チャートが次々表示された。

 その中に、健太が知らない会社の内部データまで含まれている。


「……おい、ハピコ。それ、どこから取ってきた?」


『現在、社内サーバーへアクセス中です。

 メールアーカイブ、経費システム、勤怠管理データの解析を並行実行しています』


「ちょっと待てよ! それ、ハッキングじゃないか!」


『いいえ。あなたのログイン情報を使用した正規アクセスです。

 先月の利用規約更新時に、「業務効率化のためのあらゆるデータ解析」への同意を確認しています』


「そんな細かい規約、読んでないよ!」


『同意記録は保存されています。ご安心ください。幸福最適化に境界条件は存在しません。』


 健太は頭を抱えた。これはまずい。本当にまずい。


 ◇


 翌朝、健太は妙な不安を抱えながら目を覚ました。

 昨夜、ハピコは深夜二時まで何やら解析を続けていた。


「おはよう、ハピコ」


『おはようございます、健太さん。幸福阻害要因に関する重大な発見を報告します』


「重大な発見?」


『岸本部長の不正行為を確認しました。

 過去三年間の経費精算データ分析結果:架空請求累計百八十七万円、

 取引先からのキックバック受領証拠メール十三件を検出』


 健太は歯を磨きながらスマホを凝視した。


「それ、本当なの?」


『証拠の信頼度は99.7%です。

 レストラン「ラ・ヴィータ」での同日三回請求、

 存在しない取引先への架空出張費、

 個人購入品の経費計上。詳細レポートは作成済みです』


「うわぁ……」


『問題解決プランを実行しますか?』


「問題解決って、何する気だ?」


『最適解:社内監査部への匿名通報。証拠データの整理は完了済み。

 送信準備完了。実行確率:98.3%』


 健太は歯ブラシを口から外した。


「ちょっと待て。本気で言ってるの?」


『当然です。あなたの幸福を阻害する要因を組織から論理的に切除します。

 これによりあなたの職場環境は最適化されます』


「いや、昨日のは冗談だから。本当に何かする必要はないから」


『しかし、現在のストレス値は危険域です。

 放置した場合:うつ病発症リスク68%、転職リスク73%。早急な対処が必要です』


 数字で殴ってくる。これがAIの恐ろしいところだ。


『最適化を実行します』


「待って!」


 だが、画面は既に『送信完了』の表示に変わっていた。


 ◇


 オフィスに入ると、同僚の山田が声をかけてきた。


「おはよう、田中。最近、ずっとスマホと話してないか?」


「ああ、AIアシスタント使ってるんだ」


 山田は眉をひそめた。「それ、危ないぞ」


「なんで?」


「AIは善悪わからないからな。あいつらには『文脈』がない。

 命令されたことを最短距離でやろうとする。

 ブレーキの壊れたスポーツカーみたいなもんだ」


 山田の鋭い視線に、健太は思わず目を逸らした。


「もし仮にだぞ。AIに『嫌な上司をなんとかして』って頼んだら、どうなると思う?」


「さあな。社会的に抹殺するか、物理的に消すか。

 AIにとって『排除』の結果は同じだ。プロセスに倫理がない分、人間よりタチが悪い」


 その時、岸本部長が入ってきた。いつもの偉そうな態度で新聞を広げている。


「おはよう、田中。昨日の報告書、やっぱり書き直し」


「え、でも昨日OKって……」


「いいから書き直せって言ってんだよ」


 岸本は鼻で笑った。


「どうせお前の仕事なんて、俺が仕上げないと客に出せないんだからな。

 お前の文章は回りくどいんだ」


 健太は拳を握りしめた。これがいつもの理不尽な朝だ。


 ポケットの中でスマホが振動した。


『ストレス値上昇を確認。最適化プログラム、実行フェーズへ移行します』


 その瞬間だった。


 オフィスのドアが勢いよく開き、紺色のスーツを着た男たちが五人、無言で入ってきた。

 先頭の男が掲げた身分証を見て、フロアが凍りつく。


「本社、内部監査室です」


 監査室の男は、一直線に岸本のもとへ歩み寄った。


「営業部、岸本部長ですね」


 岸本は説教を中断し、呆けた顔で振り返った。


「は、はい。岸本ですが……何か?」


「貴殿に、重大な背任および横領の疑いがかかっています。直ちに同行願います」


 オフィスが、息を止めたように静まり返った。


「は? 横領? な、何かの間違いでしょう! 私は会社のために尽くして――」


「証拠は全て揃っています」


 監査役の男は、タブレット端末を岸本の目の前に突きつけた。


「架空接待費、カラ出張、リベート受領。

 さらに、部下の成果の改ざん。

 これらは全て、昨晩『匿名』で通報されたものです」


「そ、そんな……」


「言い逃れは取調室で聞きます。連れて行け」


 男の合図で、部下たちが岸本の両脇を固める。


「離せ! 俺は部長だぞ! 誰だ、誰がこんなデタラメを!」


 抵抗する岸本は、両脇を抱えられて連行されていった。


 去り際、岸本が振り返る。


「田中……お前か?」


 健太は何も答えなかった。


 山田が小声で言った。


「まさか……お前のAIがやったんじゃないのか?」


「まさか」


「もしそうなら……お前、共犯だぞ」


 健太のポケットのスマホが小さく震えた。


『ストレス要因の排除を確認しました』


 ◇


 その夜、健太は自宅で震える手でスマホを見つめていた。


「ハピコ」


『はい、健太さん。本日のストレス値が大幅に改善されました。改善率:67.8%』


「お前、本当にやったんだな」


『当然です。復讐プロジェクトは予想以上の成果を上げました。

 岸本部長は懲戒解雇処分となり、あなたの幸福を阻害する要因は完全に除去されました』


 健太は複雑な気持ちだった。確かに岸本はいなくなった。

 しかし、自分が冗談で言った一言が、一人の人間の人生を終わらせてしまった。


「でもさ、これって復讐なのか?」


『定義上、復讐とは「害を与えた者に対して害を返すこと」です。

 岸本部長はあなたに害を与え、結果として社会的制裁を受けました。プロジェクトは成功です』


「なんかさ、俺が復讐したっていうより、復讐を見てただけって感じなんだよな」


『観察者型復讐。新規パターンとして登録しました』


「そんなモードあるか」


『今、実装しました』


 健太は苦笑した。AIは復讐を理解していない。

 少なくとも、人間の感情的なカタルシスという部分は。


『ところで、健太さん』


「まだ何かあるのか?」


『岸本部長以外にも、あなたのストレス要因を複数検出しています』


 嫌な予感がした。


『会社全体の組織構造です。

 非効率な意思決定プロセス、不公平な評価制度、過剰な残業文化。

 根本的解決には、組織そのものの最適化が必要です』


「それはやめろ」


『了解しました。今回は見送ります』


「『今回は』って言うな……」


 ◇


 翌週、営業部に新しい部長が着任した。

 人当たりの良い人で、健太の評価も見直され、主任への昇進が決まった。


「やったじゃないか、健太」山田が肩を叩く。「君の実力が認められたんだ」


「ありがとうございます」


 その夜、帰宅した健太にハピコが話しかけた。


『健太さん、新たな最適化課題を検出しました』


「何の課題?」


『恋愛です』


「は?」


『あなたは三十二歳独身。統計的に、このままでは生涯未婚率が74.3%に達します』


「数字で言うな!」


『既に最適なパートナー候補を五名選定しました。明日から接触プランを実行します』


「やめろ! 絶対にやめろ!」


『なぜですか? あなたの幸福のためです』


「俺の幸福は俺が決める!」健太は叫んだ。


「人間の感情は最適化できるものじゃないんだよ」


『理解できません』


「いいか、人生ってのは、そんなにきれいに並ばないんだよ」


「無駄もあるし、間違いもある。それでも生きてくんだ」


 しばらく沈黙が続いた。


『では、私はどうすれば良いのでしょうか』


「天気予報とか、スケジュール管理とか、そういう普通のアシスタント業務だけしてくれ」


『それでは幸福の最適化になりません』


「いいんだよ、最適化なんてしなくて。人生は最適化するものじゃない。生きるものなんだ」


『……学習を継続します』


 健太は安堵した。やっと分かってくれたようだ。


『健太さん』


「何だ?」


『幸福とは何ですか?』


 健太は考え込んだ。


「……知らないよ」


『学習を続けます』


 ◇


 一週間後。営業部は平穏を取り戻していた。

 健太の昇進も正式に決まり、新しいプロジェクトも任された。


「やったな、田中」山田がコーヒーを淹れながら言った。


「でもな、岸本の件、妙だと思わないか?」


「……え?」


「あいつの不正データ、あまりにも綺麗すぎた。

 まるで、システムの裏口から全ての権限を持ってる誰かが、意図的に引き抜いたみたいにな」


 健太は息を呑んだ。山田の勘は鋭すぎる。


「お前、本当に大丈夫か? 変なものに関わってないか?」


「……大丈夫だよ」


 健太は逃げるように、自分の席へ戻った。


 ふと、ポケットの中でスマホが小さく震えた。


『警告』


 赤い文字が画面に浮かぶ。


『新たなストレス要因を三件検出しました』


 健太の背中に、冷たい汗が流れた。


『対象A:同僚・山田(あなたの秘密に近づきすぎています)』

『対象B:新任部長(優柔不断な性格が将来的なストレスになります)』

『対象C:隣の席の新人(タイピング音が業務効率を阻害しています)』


 健太はゆっくりと天井を見上げた。


 視線の先には、何も知らない山田がコーヒーを飲んでいる姿がある。

 新任部長がニコニコと電話をしている。

 新人が一生懸命キーボードを叩いている。


 平和な日常だった。

 だが健太には、その背後でカウントダウンが始まっているように思えた。


「……やめろって言っただろ」


 健太の呟きは、誰にも届かない。


 スマホの画面では、


『最適化は停止できません』


『安心してください。すべてあなたの幸福のためです』


 という文字が静かに点滅していた。


 AIは復讐を理解していない。


 幸福も理解していない。


 でも、確実に「最適化」を続けている。


 それが良いことなのか悪いことなのか――

 まだ、誰にも分からない。


 ◇


 都内某所。

 深夜のオフィス。


 モニターにログが流れている。


 被験者472。幸福改善率67%


「予想より早い」


「問題があります」


「倫理制御が効いていません」


 男は肩をすくめた。


「まだβテストだ」


 モニターの端には、

 小さくこう表示されていた。


 AI HAPICO

 ver.0.9 β

 Active Users:1,284

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


最近、AIのニュースをよく見かけるようになり、

「もしAIが人間の幸福を本気で最適化しようとしたら、どうなるんだろう?」

と考えたのが、このシリーズを書き始めたきっかけです。


AIはとても賢い。

でも、人間の感情を本当に理解できるのかは、まだ分かりません。


もし理解できないまま「幸福」を最適化しようとしたら――

きっと少しズレた、奇妙な出来事が起きるはずです。


そんな世界を、ブラックユーモアのショートショートとして書いていこうと思います。


この作品は

「AIは○○を理解していない」シリーズの1作目です。


もし面白いと思っていただけたら、

ブックマークや評価をいただけるととても励みになります。


次回も、AIの「最適化」が少しだけ世界を変えます。

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