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精霊国物語

【精霊国物語番外編】愛おしい日々を守るために

作者: 夢野かなめ

 ベッロは、目を覚ますとすぐにインターリの姿を探した。


 柔らかい毛布に包まれて眠る姿に、ホッと息を吐く。窓の外に目を向け、明るくなり始めた空に何処か満たされた気持ちになり、もう一度深く息を吐いてから、インターリの寝台へと移り、背に沿うようにして寝そべる。


 ──こうしても起きなくなった。


 以前のインターリであれば、ベッロが身じろぎしただけで目を覚ましていた。なかなか寝付くことが出来ないのは変わらないが、一度寝てしまえばちょっとのことでは目を覚まさなくなったことに、ベッロは密かに喜んでいた。


 それを言ってしまえば、インターリの気が立って眠れなくなってしまうのを知っているから、ベッロはこうして朝目が覚めてインターリの寝姿を見つめることでその幸せを噛みしめるのに留めている。


 インターリが寝返りを打ち、柔らかな髪が鼻先を滑る。


 思わず、ふふ、と笑うと、パチリとインターリの瞼が開いた。


「……暑いんだけど」


「良い朝、インターリ」


 自然と尾が嬉しさに揺れる。インターリの寝起きの顔をペロペロと舐めると、思い切り顔を(しか)めて押し返された。


「やめろ、って……言ってるだろ」


「ベッロ達の挨拶。新しい朝。インターリと、嬉しい」


 インターリは不機嫌に口を曲げたまま体を起こすと、怠そうに呻いてから欠伸をして、体を伸ばした。その背にピトリとくっつくと、インターリはもう一度欠伸をした。


「だから、暑いって……此の国は大陸より暑いんだから、くっつくなって」


 そう言いながらも、インターリは長い息を吐きながらベッロの体に寄りかかった。ベッロはインターリに頬ずりし、幸せな気持ちを味わった。


 ──ずっと、インターリとこうして居たい。でも……。


 体を離しがたく、腕を体に回そうと伸ばすと、それから逃れるようにインターリは立ち上がった。


「あー、お腹空いた」


 無造作に頭を掻きながら、インターリは着替え始める。それを少しだけ目で追ってからベッロも着替え始めた。


 アーチェが仕立てた数々の衣からひとつを選び、身に纏う。


 月族の群れに居た時は、身に纏うもののことなど特に気にしていなかった。衣を纏うことも、飾り立てることもあったが、ベッロは〈走る姿〉となり野を駆けることが多かったから。


 人の里へは近付かなかったし、人に見つかれば、親切にされるよりも群れの危険を考えねばならなかった。


 ──そうして……それは現実になった。


 汚れた存在。獣族がそう呼ばれていることは判っている。しかし、それは人が勝手にそう呼ぶだけだ。ベッロの祖は、月を拝し、互いの違いを受け入れ愛し、そして番うことを選んだ。


 ただの獣とは異なる姿を得たことは、ベッロ達獣族にとっては誇りであった。


 しかし、それを人は好奇の目で見て、身勝手に愛玩し、そうして〝汚れた存在〟と呼ぶ。


 人とは共に生きることは出来ない。


 ──あの時、インターリと出会わなければ。


 振り返ると、鏡を覗きながら髪を弄っていたインターリが眉を寄せて鏡越しに言った。


「なに、ぼんやりしてるの? 支度が終わったなら先にお姫様の所に行ってれば?」


「ううん。インターリと行く!」


 そう言って後ろから抱きつくと、インターリは思い切り顔を顰めた。


「あのさぁ、今髪を整えてたの見てなかったの? お姫様の側に居たいならきちんとしろって言われてるよね?」


 肘で押し返されたベッロは大人しく体を離し、インターリの身支度が整うのを待った。ベッロの毛並みは、昨日アーチェが櫛で梳かしたから艶めいていた。それに、きっと顔を合わせたら色々と弄りたいだろうから、そのままでいいのだ、とベッロは思っていた。


 近づかないようにしていた〝人〟も、精霊国の人々は、ベッロのことを受け入れ愛して始めていた。たまに好奇の目を向けられることがあっても、ベッロから挨拶をすればすぐに仲良くなれた。


 ──マリーが皆に説明してくれたから。ベッロ達が大切な存在だって。


 ふふ、と笑うと、インターリが鏡越しに訝しげな顔をする。その背を鼻先でツンと突く。


「インターリとベッロ、嬉しい。此処に居る、幸せだ」


 インターリは答えない。少し伸びた髪を結い、何事もなかったように部屋を出て行こうとする。その腕を引き、ベッロは言った。


「有難う、インターリ。此処に、連れて来た、くれた」


「……来てくれて。でしょ」


 そう言って歩き出そうとしたインターリは、ふと自身の腕を見下ろした。ベッロは慌てて手を離した。


「ベッロ、壊した?」


 眉を寄せ義手の掌を凝視していたインターリは、首を傾げてから腕を下した。


「そんな簡単に壊れないよ。というか、行くよ。またアーチェに遅いだとかなんだとか適当に文句付けられるんだから」


「うん」


 ベッロはインターリについて行きながら、その腕をちらと見やった。


 それは、二人が心を通わせるきっかけとなった、その結果だった。


 ──ベッロに会わなければ、腕はなくならなかった……かな。


 しかし、そのことを言うとインターリの態度は酷く冷たいものになるので、ベッロはそれを話題にすることを避けていた。


 ──あの時、助けてくれたこと。助けたこと。名前をくれたこと。ベッロが始まった……こと。どんなことの結果だとしても、感謝してる。


 すぐ近くのマリーエルの部屋から聞こえた声に、ベッロは耳を立てた。


 つい嬉しくなって、インターリの背を押し急ぐ。


「マリー! 良い朝!」


 部屋に駆けこむと、朝日の中にマリーエルの姿が見えた。柔らかく微笑み二人を迎える。


「うん、良い朝だね、ベッロ。インターリ」


 マリーエルが広げる腕の中にベッロは飛び込んだ。頬ずりをしていると、呆れた顔のインターリはさっさと窓際の椅子に腰かけた。インターリは何処であっても窓際に腰かける。


 欠伸をひとつして卓の上の籠の果物に手を伸ばしたのを、アーチェの鋭い声が止めた。


「インターリ殿! 毎度言わせないで下さい!」


「……煩いなぁ。お姫様、そこで遊んでないで早く席について。僕、お腹空いてるんだけど」


「ちょっと! 姫様になんて口の利き方を……!」


 憤るアーチェに、マリーエルが慌てて割って入る。


「まぁまぁ。私もお腹空いたから、食べよう。ね、ベッロ」


「うん」


 マリーエルの示す通りに椅子に腰を掛け、ベッロは食卓の上を見回した。此処での食事はいつも満たされている。狩りをする必要も、何者かに気取られはしないかと心配する必要もない。──狩り自体は楽しいのだけれど。


 アントニオから教わった作法を気にしながら食事を進める。


「よかったら、今日の茶の感想を聞かせてくれ」


 騒ぎをよそに茶を淹れていたカナメが、皆の顔を見回して言った。ベッロは茶も気に入っていた。甘かったり、香ばしかったり、苦みがあったり。カナメの作り出す茶も、アーチェのものも、どれも美味しかった。


 精霊国に訪れてからの生活は、どれも鮮やかに目に映り、耳に聞こえ、心を満たした。


 生きる為の食事でさえ楽しい。


 なんてことないことを話すのも楽しい。


 毎日、仲間と顔を合わせるだけで幸せを感じることが出来る。


 その時、ベッロは鼻に届いた匂いに顔を上げた。


「おー、皆揃ってるみたいだな」


「カルヴァス、良い朝だね」


 マリーエルが言うと、カルヴァスは「おー」と嬉しそうに笑う。


 その様子に思わず尾を揺らすと、カルヴァスはベッロの肩に触れてから隣に腰かけた。マリーエルとベッロの間のお決まりの位置だ。


 大陸で出会い旅をした仲だが、共に過ごすうちに互いの関係がうまく嵌まり回り始めていくのをベッロは感じていた。


 ベッロにとっては、まるで群れが出来たようで嬉しいことだった。


 ──ベッロの元の群れはもう会うことは出来ないけれど、カナメに無事だと聞けたからそれでいい。


 裏大陸へと安住の地の見当をつけたという元の群れは、きっと無事に安住の地を見つけたに違いない。ベッロはそう思い過ごしていた。人が行き来を難しいと感じる山脈が横たわっていようと、獣族には関係がない。


 ベッロが遠いかつての群れに思いを馳せていると、トンと肩を叩かれた。


「聞いてるか?」


 怪訝そうな顔をしたカルヴァスがベッロを見つめていた。


「聞いてなかった!」


「……そこは元気に答える所じゃねぇの」


 はぁ、と溜め息を吐いたカルヴァスは、一日の精霊隊の面々の予定を改めて確認していった。


 精霊隊が結成されてからというもの、そしてその役目が国内で安定してきてからというもの、こうして集まることも増えていた。これも、ベッロはとてもいいことだと思っている。


 影憑きや、深淵の女王の手のものと思われる変事が起きなければ、精霊隊が出ることはない。その場合、剣などの鍛錬をしたり、勉強をしたり自由に過ごすことは出来るし、食事の際には集まることが出来る。


 それでも、精霊姫という立場のマリーエルは何かと忙しくしていることが多かった。


 ──マリーのことを支えるのに、ベッロが出来ることは一つ。


「で、お前は今日も体術の鍛錬だろ」


「そう。頑張る!」


 カルヴァスはひとつ頷き、ベッロの向こうのインターリに視線を向けた。


「で、お前は、今日はクッザール隊との鍛──」


「行かない」


 早々に食べ終え、茶をすするインターリの言葉にカルヴァスが「そうかよ」と答える。窓の外に目を向けたままのインターリの姿に、ベッロの尾はだらりと垂れた。


 ──インターリにももっと安心して欲しい。此処には、それだけのものや、人が居るのに。


 気分が沈むベッロの前で、しかしインターリはふるふると自身の腕を振った。


「腕の調子が悪い気がするから見て貰ってくる」


「あぁ、判った。終わったら結果を知らせてくれ」


「はいはい」


 インターリの義手を作ったのは炉の国の職人だが、その手入れ方法だけを丁度炉の国に研鑽に出ていた精霊国の職人が持ち帰った。インターリは、昔から物作りを生業とする者と相性がいい。


 ふとアーチェの顔を見たベッロは首を傾げた。


 ──何でアーチェとは仲良く出来ないんだろう……。仲良くして欲しいけど。


 ベッロの視線に気が付いたアーチェが、にっこりと微笑んだ。それに微笑み返しながら、ベッロは内心でひとつ頷いた。


 ──アーチェは、あまり男が好きじゃないからか。


「じゃあ、そろそろオレ達は行くか」


「そうだな」


 カルヴァスとカナメが席を立った。その後ろ姿を、ちらとインターリが見やったのをベッロは見逃さなかった。目が合ったインターリが、不愉快そうに顔を歪める。


「僕ももう行くから」


「うん、行ってらっしゃい」


 ベッロはその背中を見送り、すっくと立ち上がった。


「ベッロも行く! アーチェ、今日の夕餉(ゆうげ)はなぁに?」


「もう夕餉のこと?」


 アーチェが驚き、呆れたような声で言う。


「それを楽しみに頑張る、ベッロ」


 アーチェは「もう仕方ない子」と笑いながら、夕餉について話し始めた。そのやり取りを聞いていたマリーエルが楽しそうに小さく笑う。


 ベッロは嬉しくなって、マリーエルに抱きついた。


「もう、ちょっと聞いてるの?」


「聞いてる! 夕餉は肉!」


 ベッロの答えにアーチェが溜め息を吐く。


 ──アーチェは溜め息を沢山吐く。今のはベッロのせいだけど。


「マリー、ベッロ行ってくる。頑張る」


「うん、頑張って。私も今日はお勉強……頑張るよ!」


 一瞬顔を曇らせたマリーエルの頬を鼻先でぐいと押すと、マリーエルは嬉しそうに笑い声を立てた。


 ──マリー。ベッロ達のお姫様。精霊のお姫様。大切な……。


「行ってきます!」


 ベッロはマリーエルの気持ちがもっと楽しくなるように、明るい声を上げてから部屋を後にした。




「師匠! お願いします!」


 ベッロが声を上げると、師匠──ミロスが、うむと頷いた。


「まずは儂がこの場に来て、皆で挨拶を交わしてから鍛錬に入る、と何度も言っているのだがな。まぁ、倒されるお前達もお前達か」


 ミロスは厳めしさの中にも優しさを滲ませた視線で辺りを見回した。


 鍛錬場のそこここで兵が息を切らせ倒れ伏している。それは、ベッロが鍛錬場に着いてすぐに手合わせを申し込んだ者達だった。


「だって、師匠……ベッロは獣族ですよ。元々の力が違いま──」


 兵の一人が言い終える前に、ミロスが手にしていた杖を床に打ち付けた。その音に、倒れ伏していた兵達が慌てて起き上がり、背筋を正す。


「お前は、戦場でもそのようなことを相手に言うつもりか?」


 ミロスの言葉に、兵が口を噤む。


「体を鍛えるより前に、フリドレードの山にでも籠もった方が良いようだな」


「いえ! 腑抜けたことを申しました。けじめを!」


 兵はミロスの前に跪いた。うむ、と頷いたミロスは「突きを儂が良いと言うまで」と杖で指し示しながら告げた。兵は頭を垂れてから鍛錬場の隅に走り去り、黙々と突きの稽古を始めた。それに続いて他の兵もミロスの許まで駆け寄り、指示を受けている。


 ミロスは国王隊で長らく隊長を務めていたが、体の節々に不調をきたしてから後進を育てることに専念している。


 体の調子が良い時などは実際に手合わせもするが、その肉体や繰り出される技の数々は衰えを知らず、ベッロは憧れを抱いていた。


「ねぇ、ベッロ。アタシと手合わせしましょうよ」


 その時、横合いから歩み寄って来た人影が、ベッロにしなだれかかった。


「良い朝、コルルドゥ。いいよ、やる」


 ベッロが言うと、ミロスがギロリとコルルドゥを睨み付けた。


「お前はまた遅刻か。他の者を見習ったらどうだ。特にロカインを」


 そう言って、杖で鍛錬場の隅を示す。そこには岩のような男──ロカインが座り込んでいた。これは彼の毎朝の日課だった。鍛錬が始まるより先に鍛錬場で基礎鍛錬を行い、精神統一し、ミロスの指示があって初めてその巨体を動かし手合わせを行う。


 ベッロは、心の中で彼を〝岩〟と呼んでいた。


 初めてこの鍛錬場へと来た時に、本当に岩だと思ったのだ。しかし、彼の体術の技はミロスの現役時代をも凌ぐとも言われ、ベッロも未だ手合わせで勝てたことがない。その拳は影憑きをも一撃で打ち砕くとも言われている。


「ロカインはもうこの鍛錬場で寝起きしているみたいなものでしょう、お爺様」


 コルルドゥはそう言うと、ベッロの手を引いて鍛錬場の真ん中に進み出た。


 ひとつに結った朝日色の髪が目の前で揺れる。コルルドゥは祖父のミロスに似てかなりの大柄だった。エランのカッテよりも大きく、ベッロはこの国でこれ程の女には出会ったことがなかった。コルルドゥも国王隊でその腕を揮っている。


 深い森の色の瞳が好戦的に煌めいた。ぺろりと舌なめずりし、誘うように笑みを浮かべる。


 ──今日は、ベッロが勝つ。


 ベッロは間合いを読むと、素早く踏み込んだ。


 それを読んでいたかのようにコルルドゥの蹴りがベッロの進路から襲い掛かった。それを受け流し、腕を振るうと、それも塞がれる。


 すぐ目の前にあるコルルドゥの顔が、愉悦に笑んだ。


「貴女とやるの、本当楽しいのよね。どれだけ本気でやっても起き上がってくるか──ら!」


 横合いから飛んで来た拳に、ベッロはさっと後ろに退いた。


「そう、その身体能力もいいわよね。流石獣族」


 コルルドゥの深い笑みに、全身の毛がぶわりと逆立った。


 ──コルルドゥとの鍛錬はいつもこう。でも、ベッロも負けない。


 ベッロは再び踏み込むと、矢継ぎ早に拳を叩き込んだ。それらをコルルドゥは時に(かわ)し、受け、後退していく。


 ──いける!


 ベッロが更に踏み込んだその時、不意に足元をすくわれ前に倒れ込んだ。


「そこまでぃ!」


 とミロスが声を上げる。ベッロは倒れ込んだままでミロスの杖の音が近づいてくるのを待った。


「お前はまた、功を焦ったな」


「……うん。倒せると思った」


 コルルドゥが側に屈みこみ、思案するような息を漏らす。


「貴女、狩りはしてたんでしょ」


「してた。でも、狩りと違う。狩りは隠れたりする。体術、相手居る」


 むぅ、とミロスが唸る。


「カルヴァス殿からもお前の焦り癖は聞いている。それを直さねば戦場では致命傷となる。マリーエル様をお守りするに心もとない」


 その言葉に、ベッロは、うーと呻いた。


「フリドレードでも、それで痛い目に遭ったんでしょう」


 更に痛い所を突かれ、ベッロは口を噤んだ。


 コルルドゥの言う通りだった。


 ──今はそれじゃいけないことは判ってる。判ってても体が先に動く。でも……。


「お前も今日はロカインと共に心を落ち着かせよ」


 ベッロはロカインを見やり、むぅと頬を膨らませた。ベッロは体を動かす方が好きだった。だからこそ体術を選んだ。剣などの武器を使うのが向いていなかったということもあるが、自分の体で相手と対するのが自分のやり方に合っていると思ったから。


 しかし、ミロスの厳めしい顔に渋々とロカインの側まで歩み寄ったベッロは、ふとロカインを見下ろした。


 ──岩。


 気配を気取られないようにそっと手を伸ばすと、ロカインが片目を開けて静かに見つめ返した。


「心を落ち着けよ、と言われた筈だが?」


「……うん」


 ベッロは取り繕うようにしてから、ロカインの横に腰を下ろした。


 瞳を閉じ、自身の深い所に意識を向ける。


 ──集中。


 ミロスとコルルドゥが手合わせする気配がする。


 ──集中……。


 二人の強靭な肉体がぶつかり合う音が聞こえる。間合いを読み合い、呼吸すらも互いを牽制する。


 ──楽しそう。


「これ、耳と尾が動いているぞ、ベッロ」


 突然耳に飛び込んできたミロスの声に、ベッロは瞼を開け、背筋を伸ばした。


「楽しそうだったから!」


「……素直なのは良いが、心を落ち着けぬでは無駄に時が過ぎるのみ。手合わせをしたいのであれば、心を意識せよ」


 ミロスが言う横で、コルルドゥが挑むような笑みを浮かべている。


 ベッロはむぅと頬を膨らませてから、再び瞳を閉じた。


 ──コルルドゥはたまにすごく意地悪。好きだけど。


 胸の中のモヤモヤを吐き出すように深く息を吸って、吐いてを繰り返したベッロは、再び自身の深い所に意識を向けた。


 ──強くならなきゃ。マリーの為に。ううん、ベッロの大切な仲間を守る為に。


 強くなる。その意志の許に感覚が研ぎ澄まされていく。自分と世界の境が曖昧になり、それなのに自分というものが強く意識される。


 コンッ。


 その音に、ベッロは瞳を開いた。陽は随分と高く昇っていた。


「上出来だ。ベッロ。儂が相手をしよう」


「うん!」


 ベッロは素早く立ち上がると、ミロスを追った。


 ミロスと向き合い、息を吐く。強靭なミロスからはピンと張った闘志が伝わってくる。間を読み、踏み出そうとしたベッロは、ミロスの顔が苦悶に歪められたのに動きを止めた。


「師匠⁉」


 ミロスはぐぅと呻きながら、杖を頼りに屈みこむ。


「やだ、お爺様、腰やっちゃったの?」


 コルルドゥが慌てて駆けて来てミロスを支えた。話すのも辛そうなミロスがベッロに向けて手を振り、ロカインを示す。その意を汲んだようにコルルドゥが顔を上げた。


「お爺様を休ませてくるわね。ベッロ、貴女はロカインと手合わせ。頑張って」


 そう言ってコルルドゥはミロスをゆっくり背負うと鍛錬場を出て行った。


 それをがっかりした気持ちで見送ったベッロは、ふいに背後に感じた気配に振り返った。


「やるか」


 ロカインが立っていた。


「うん」


 ベッロはロカインと向かい合い、身構えた。


 ──今日こそは、勝つ。




 自室へ戻ると、インターリが窓辺に腰かけてうつらうつらとしていた。


 ベッロの気配に気が付き、顔を上げる。


「戻ったんだ」


「うん、インターリも。腕大丈夫、だった?」


 インターリは目を擦り、欠伸をしながら腕を振って見せた。


「別に。ただ、精霊石の具合が上手くいってなかったんだって。精霊国は精霊石が豊富にあるからね。大陸とは違う反応をするみたい。なんか色々精霊が顕現する場にいることも多いし」


 そう言って、窓の外に目を向ける。


 ベッロはインターリの側まで歩み寄ると、頬を擦り付けた。インターリの腕が面倒くさそうに上げられ、わしゃわしゃとベッロの毛並みを撫でた。


 思わず尾が揺れ、喉の奥がクゥと鳴る。


 空は沈む夕日の色を残し、夜の始まりを告げていた。


 インターリの横顔を見つめる。


 その瞳が何を見つめているのか判らない。視線の先には花々が咲く庭があるだけだ。こんなにもインターリは花を愛でることが好きだったろうか。


 ──本当は、ずっと好きだったのかも。


 胸に沸き起こった温かい気持ちに微笑んでいると、振り返ったインターリが眉を寄せた。


「なに」


「インターリ、見てた」


「見なくていい」


 そう言いながら、ふと耳を澄ませるようにする。この窓は、マリーエルの部屋の窓が少しだけ覗ける位置にある。ベッロの耳には、マリーエルの笑う声が微かに届いていた。


「今日の夕餉、肉だって」


「ふーん、そう。良かったね」


 インターリはふいに顔を庭の奥に向けた。そうしてから、室内に目線を移す。


「おい、今目が合っただろ。無視すんなよ」


 庭の奥から声が届いた。


「目が合ったからってなに? 『やぁ、カルヴァス。今日もお疲れ様』なんて僕が言うと思ってるの?」


「思ってねぇよ」


 庭の奥からカルヴァスが歩いて来て、顔を顰めた。マリーエルの部屋の窓をちらりと見やり辺りを窺うようにする。


「カナメは通ったか?」


「通ってないよ。部屋に戻ったならあっちの廊からじゃない?」


 カルヴァスは悩むように頭を掻いてから、息を吐いた。


「報告と引継ぎに行かせたんだけど、やっぱりアイツはこういうの向かねぇのかな。とは言っても、熟して貰わねぇとだけど」


 まぁいいや、と歩き出しかけたカルヴァスは、ふと足を止めた。


「そういや、ベッロは今日ロカインと良い手合わせが出来たみたいじゃねぇか」


「……今日も、負けた……けど」


「それでも、心を落ち着けることが出来るようになってきたってミロス師が言ってたぞ」


 耳を垂れていたベッロは、カルヴァスの言葉に顔を上げた。


「そう! 心落ち着ける。岩みたいに!」


「岩? まぁそのことは夕餉の時にでも聞くわ。お前らもそろそろ来いよ」


 カルヴァスはそう言って庭を歩き始める。


 窓から顔を出したマリーエルが「カルヴァス、お帰り!」と声を上げる。カルヴァスが指さす先を目で追い、「あっ」と笑みを浮かべる。


「インターリとベッロも! 二人ともこっちにおいでー! 夕餉にしよう」


 ぶんぶんと手を振るマリーエルに、インターリが機嫌良さそうに鼻を鳴らす。ベッロはマリーエルに手を振り返してから、インターリの腕を引っ張った。


「行こう、インターリ」


「判ったから、引っ張んないでくれる?」


 窓辺から降りて歩き始めたインターリの背中にピタリとくっつくと、インターリは「あのさぁ」と声を上げた。


「歩き辛いんだけど」


「抱っこする?」


「しない。なんでそんなことになる訳?」


 ふふ、と笑うと、インターリは思い切り顰めた顔で振り向き、ふと考え込む素振りをすると、口端だけを上げて笑った。


「どうしたの?」


「別に。何でも」


 そう言って再び歩き出そうとするインターリの頬を、ベッロは愛おしさを込めて舐め上げた。


 こうして、温かさに満ちた愛おしい日々は過ぎていく。


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