下級貴族、ミリゼ・フィッツァー・エデロル
「魔法とは何を指すのか、覚えてますね?ソフィア様?」
「世界を人で解釈する……でしたか?」
「……違います!ミリゼ様、ご存じですか?」
「塗り替える力、ね」
「正解です!」
アタシとソフィアが隣り合わせで座って、その対面に立つアイヴィーが杖を空に振っている。今の質問は、魔法の概念だ。魔力で世界を塗り替える。アタシはウチに居た流れの魔法使いに、そう聞いた。
てかソフィア、何て言った?全く別のこと言ってなかった?気のせい……?まぁいいわ。というかソフィアがアイヴィーに敬語使ってるせいで、距離感が難しいわね。どうしようかしら。
「私たちは体内の魔力を使って、属性を呼び出します」
「例えば……『風よ、我が身を回れ』」
「ふむ……」
「凄い……」
アイヴィーが唱えた瞬間、風が手の杖から吹き出して、彼女の全身を撫でるように一周し消えた。魔法使いなら誰でも出来るとは言え、会話の途中で何となくやるには錬度がいる。やっぱり優秀で、巧い。
「お二人とも、ちょっとよろしいですか?」
「どうされましたか?」
「勿論です」
「敬語、外しましょうか」
「「!?」」
「専門的な話になると、敬語が枷になりますし……」
「ですが、ソフィア様」
「何より、ここは非公式な場です。私が気にしないと言っているのですから……いいでしょう?」
アイヴィーの揺れる三つ編みを眺めていると、ソフィアが悪い笑顔で言い切った。いや、嘘でしょ?王国最賓の一角と対等に話すの?アイヴィーも明らかにあわわ……と言わんばかりの焦り様。分かるわ。
「ミリゼ、問題ないわね?」
「え、はい……」
「はい?」
「…………分かったわよ!これでいい!?」
これでいいんでしょ!と目線を向けると、ソフィアは二ヤリと笑った。せっかく綺麗なのに、恐ろしい顔ね……。
「大変結構。先生は?」
「あの、本当に大丈夫なんです……?」
「フェロアオイ公爵家に誓いましょうか?」
「とんでもないです!でも、私はこっちで……」
「それでも構いませんわ」
えっ。じゃあ私が失礼した意味ないじゃない。アイヴィーは明らかに安心して、風魔法で額の汗を乾かしている。余裕そうで腹立つわ。ちくちょう。
「では先生、続けて?」
「あ、はい」
「お願いするわ……」
ソフィアの口調が一気に変わった。こっちが素なの?丁寧で可愛い子から一変して、どこか、怖いような。
「ミリゼ、大丈夫?」
「え、えぇ」
「ならよかった」
また気を遣われてしまった。今度は優しい顔。あの気配も、きっと気のせいだろう。アイヴィーの講義が再開する頃には、すっかり忘れていた。
「ですから、四節以上の詠唱は感覚が重要になってきます」
「なぜ、四節詠唱から?」
「曰く、現象が重なるからと言われています」
「三節でもなるわよね?」
「えぇと……」
「なぜ二節の『火よ、放たれよ』は左右に放射展開できるのに、三節の『火よ、右に、左に』は一本の火線しか出ないの?」
「う~ん……と……」
付いていけない。始まって最初の方はよかった。アイヴィーの教え方も上手く、ソフィアものんびりと聞いていた。でも、少しずつソフィアの質問が増えて来て、今ではこの有様。
アイヴィーという才媛でさえ、もう答えることさえできない疑問の奔流。アタシ?何言ってるのかすら、分からないわよ。悲しくなるわ。
何となくわかるのは、普通の疑問じゃないってこと。だって普通なら、アイヴィーが答えられるでしょ?アタシはチラッと胸元から見えた冒険者証を見逃さなかった。ミドルの銅、つまり実戦経験も豊富ってこと。
「持ち帰ります!!!」
「あ、はい」
「どういうことよ……」
「分かりません!」
「な、なるほど」
「ミリゼ、いつもの事なのよ」
ある訳ないわ、そんな事!滅茶苦茶じゃない!アタシがウチの魔法使いと学ぶ中で、一回も持ち帰りなんて単語出たこと無いわよ!
でもこれが、ソフィアとアイヴィーの関係性なのかもしれない。両手で頭を抱えるアイヴィーを見ながら、アタシはそう思いました。はい。
「それで先生、ちょっと試したら出来た事もあって」
「先生はお腹いっぱいです……」
「ソフィア様?」
「まぁ見てて……『火よ、重く、深く、燃えよ』」
ソフィアが持つ杖の先から、火が小さく上がる。いや、違う。
「何が、起こってるの……?」
「そんな訳ない!ソフィア様!駄目です!おかしい!」
──────火が、下に向かって燃え上っていた。
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「先生、まさか寝込んでしまうとは……」
「ソフィア様のせいでしょ……」
あの光景を見た瞬間、アイヴィーは白目を向いて倒れてしまった。あらまぁ、と口で手を抑えるソフィア。アタシは慌てて、ミモザを呼びに行ったわ。
書類仕事をしていたミモザに事の次第を伝えると、走って教室まで来てくれた。そしてアイヴィーを診ながら、溜息を一つ。アタシは全力疾走で疲労困憊、何が何やら……。
「お嬢様、余りアトモスさんを虐めないで下さい」
「気を付けるわ、本当に予想外だったの」
珍しくバツが悪そうにして、こめかみを指で叩くソフィア。アイヴィーは使用人数名に抱えられ、別室へと寝かされに行った。
アイヴィーにとって、魔法使いにとって、どれだけアレが規格外だったんだろう。アタシには、やっぱり分からなかった。
「お茶でも、飲みましょうか」
「そうさせて貰うわ……」
ソフィアがミモザに、いい?と聞く。間髪入れずに、えぇ。とミモザは返答して、使用人に幾つかを話した後、私たちを中庭へと案内し始めた。そろそろ現実味が無くなってきた。そもそも、最初から無かったのかもしれない。
中庭には薄紫のテーブル一つと、同じ色の椅子が二つ。白の小さい花々が咲き乱れる庭は、こんな感じになってなければ感動してたと思う。
「フィガティーでいい?」
「えぇ、勿論」
肯定すると、ソフィアは傍に立っている使用人に目くばせした。すると一礼して、そのまま調理場へと向かったのだろう。消えていった。動きがアタシから見ても、やっぱり洗練されてる。誰が礼をしても、全員角度が一緒なのは、ある種の恐ろしさを感じさせてきた。
「まず、謝罪させて欲しいわ」
「とんでもない!」
「貴女の体調が一つ。先生を倒した上に、貴女に助けを呼びに行かせたのが一つ」
「……」
「ゲストを迎える一人の貴族として、無礼を晒したことを此処に謝罪させて頂きます」
そう言って、両手を前に組んで、深々と頭を下げるソフィア。表情は見えないが、心底反省しているのだろう。アタシが心からそう思えるような、静かで重い謝罪だった。
「ソフィア様」
「……何かしら?」
「それなら、アタシも」
「……?」
不思議そうに首を傾げるソフィア。
「あの日、ギリギリだったの」
「そうね」
「ラックレ伯爵家と仲、悪くて」
「えぇ」
「アブラナの輸送路、止められちゃってて」
視界が少しだけ、ぼやける。本当に、ギリギリだったの。どうしていいか分からなくて、でもお父様とお母様はお披露目会を楽しんで来いって言ってくれて。だからヤケでも、役に立とうって思った。
「誰もアタシの話なんか、気にしてなくて」
「……そうね」
「このまま終わっちゃったら、エデロルも」
「その時、変なのに絡まれるソフィア様が見えたの」
「へ、変なの……そうね」
打算ありきなんです。何かしてくれるんじゃないか、今なら話を聞いてくれるんじゃないかって思った。アタシは醜くて、ソフィア様は綺麗だった。
「そしたら、解決してくれて」
「別に私の力じゃ……」
「ソフィア様と話してなかったら……」
「……そうねぇ」
ソフィア様は、静かに話を聞いてくれていた。しばらくアタシは自分の心を落ち着けるのに必死になっていた。こんなの、貴族として落第。化粧をした目元を拭うと、少しだけ黒が滲んだ。
「まず」
「……?」
「私が、貴女を情で助けていないこと」
「嘘」
「ごめんなさいね。事実なの」
じゃあ、何か利があって……?再び視界が滲みそうになる。
「違うわ、そっちじゃない」
「?」
「貴女が気に入ったから、ラックレを蹴落とした訳じゃないの」
「……え?」
「こんなに無様でも、七大貴族の一員よ?」
そう言って、薄く笑うソフィア様。美しくて、困ったような笑み。
「切っ掛けは貴女の言葉だったわ。でも、調査をやったのは法務府。本家の方」
「そうなんですか……?」
「私は報告を上げただけ。ラックレ伯爵に、違法規制の疑いありってね」
「でも」
「実際、黒だったのよ」
酷い貴族だとは思っていたけど、本当に?呆気にとられたようにソフィア様を見ると、バツが悪そうに頬を搔いていた。
「不当関税、押収品の横流し。現地の法務官にも汚職の疑いアリ。まぁ凄いわね」
「処分は……?」
「聞きたい?」
余り、聞きたい話題では無かった。良くてむち打ちと賦役、最悪処刑……。セシリーがいくら嫌なやつとはいえ、恐ろしくて考えたくない。
おずおずと、ソフィア様の方を見た。ソフィア様は、変わらず薄く笑っていた。背筋が酷く冷える。
「ご存じ、なんですか……?」
「えぇ、勿論」
なんでもないように、そう言い切るソフィア様。どんな酷い目に遭うのか、知っているのにその顔が出来るんですか……?瞬間、理解した。一気に背中へと怖気が走る。
「大丈夫?顔色、また青くなってるわよ?」
──────これが、本物の上級貴族。住む世界が違う人達。




