司教補佐、グルド・ザハリア
「司教。如何されるのです?」
「何がだい?」
「教育についてです。言われるがまま、通すつもりですか?」
「問題があるのか?」
「そういう訳では」
リードラル卿が去ってすぐの会議室。私と司教は残っていた。先程言われた内容が、まだ整理しきれていない。情報量が多すぎる、傭兵出の私には難しい内容もかなりあった。
そして何より、内容が問題だ。教科別の概念は悪くない、だが教会の主導権は失われる。これまでは二つであった内容が、一気に倍へ。そして、国学や魔法で教えが弱まる。これを本気で受け入れるのか。
「言いたい事は分かる。だけど、跳ね返す程じゃない」
「本当に、そう思っておりますか」
「思ってるさ、多少は予想外だったけどね」
平静を装っているのが伝わるが、机に投げられた手は震えている。司教も悩んでいるのだ。成り行きで就任した司教補佐、私はこれからその席の重さを知る事になる。フィグラス司教が悩んできた、その立場に。
司教の表情を伺おうとするが、高い身長のせいで覗き込めない。戦争では何度もこの体格に救われたが、こうなっては邪魔でしかない。とにかく、司教の真意を知らなければならない。
「国学は良いとしても、魔法を基礎に導入するのは……」
「分かってるさ」
「我々の持つ権勢の柱は祈祷です。魔法は、それを揺るがしかねない。違いますか?」
「だから、分かってる」
「では、何故」
「仕方ないんだ!」
バン!と大きく机を叩く司教。仕方ないとは何なんだ。クレアの件にて我々が不利な立場というのは分かる。だが、教会そのものに対する挑戦を通す程なのか。私には分からない、故に聞く事しか出来ない。
「仕方ないと仰られますが、中央へ連絡すれば良いのでは?」
「駄目なんだ……」
「なぜ?」
「……僕は中央の人脈を持ってないんだ」
「ですが、これ程の圧力を掛けられているのなら」
「向こうには枢機卿が付いてる。そもそも、彼女は七大の本家だ」
枢機卿が付いている?初耳だ。中央の情勢を私は知らない。貴族についても、七大が強大であるのは知っている。だが、フェロアオイ公爵家一つに中央教会、我々の教えが負けるとは思えなかった。
リードラル卿の名でさえ、西方鎮圧で畏怖を齎し、シリッサに熱狂を齎している領主。そこまでなのだ、私の知識は。
そもそも、教会の権勢が弱まることを中央が簡単に許すのか?シリッサは要衝にして、地方教区の中心だ。それをむざむざと明け渡すなど、普通に考えればあり得ないはず。司教には何が見えているんだ。
「教えの下で団結しているのが、我々では無いのですか?」
「それは、そうだ」
「使いを出せば、中央の真意は察せましょう」
「…………」
頭を抱える司教。何をそんなに悩んでいるのです。確かに、リードラル卿を裏切るのはリスクが高い。しかし、向こうが強く出ている以上……。疑念程度、構わないでしょう。
「……何が貴方を悩ませているのです?」
「全部だよ」
「クレアの件でしたら……」
「合ってるけど、違うんだ……」
クレアの件は部分でしかないと言うのか。確かに、民からの人気はリードラル卿が持っている。だが、我々が見捨てられた訳ではないはず。数日前の蜂起で、信頼が落ち込んだのは間違いないが。
民の被害は無く、首謀者と一味は軒並み処刑されたことで、信頼はある程度回復した。我々の派閥はこれまでに無いほどの隆盛を持っている。なのに、何が不安なんだ。
「怖いのですか」
「……違う」
「怖いのでしょう、彼女が」
「怖いのは、彼女を取り巻く全てだ」
静かに司教は言った。確かに武力は強大です。ですが、我々には信じる力がある。どんな苦難にも負けないだけの天が付いている。陽、月、星が我々を見守っているんだ。同じ信徒でしょう。
「……少し悩む事にする」
そう言い残して、司教は部屋を後にしようとする。会議室の扉に彼が手を掛けようとした時、逆に扉はノックされた。私が開けるべきかと扉へ寄ろうとするが、彼の手が横に振られた。そのまま、彼は扉を開ける。
扉の間から顔を覗かせたのは、異端審問官であった。名前はテレンスだったか、奥に部下二人も見える。
「御取込み中でしたか?」
「構わないよ」
「では、失礼します」
「「失礼します」」
テレンスが先に部屋へ入り、白髪の二人が後を付いてくる。異端審問官は苦手だ、教会の冷たい部分を詰め込んだ奴ら。出世欲の化身達、戦場で無実が何人死んだか。私を救ったのが天の教えであり、私の友人を殺したのも天の教えだ。
実際にテレンスの目はギラ付いているように見えた。白髪の二人の方は、よく分からない。一応、朋友なだけあって始末に負えない。政治の機微は苦手だ。
「それで、何の用かな?」
「出立しますので、そのご挨拶をお二方に」
「もう立つのか?」
「えぇ、今回の件を中央へ報告しなくては」
「そうか……」
丁度いいのでは?今回の件、ついでに伝えておけば話は上に上がるでしょう。そんなことを考えながら、司教の顔を伺い見る。今度は表情が見えたが、見えたとて複雑そうだ。
テレンスと司教が握手している。テレンスがにこやかに笑い、後ろの二人は司教へと頭を下げている。
「しかし、上手くやりましたな」
「え?」
「その歳で司教は、さほどおりませんよ」
「そうなのか……?」
「ご存じないので?何より、中央出身でないのが凄い!」
テレンスが大声で言う。困惑する私と司教。お互いに中央では無く、地方の叩き上げだ。何となく嫌な感覚がする。見落としていた敵が、急に視界に飛び出てくるような。
司教が返答しようとする、目が揺れていた。私の手も、細かく揺れている。
「なれないのか?」
「司教補佐も例外的ですが……司教位は、まずありえませんな」
「何故?」
思わず、私が問いかけていた。司教が聞いていただろうが、それより先に言葉が出てしまった。
私の疑問を聞いたテレンスは、顎髭を撫でた。
「暗黙の了解という奴です。教会法には書いておりませんよ、当然ね」
「なら、なんで、僕等は」
「……七大貴族というのは恐ろしいですな」
いやはや……と頭を掻くテレンス。我々は、言葉を失っていた。司教は蹴落としたのか、クレアを?いや、それよりも、昇進がリードラル卿によって?貴族が干渉できるのか?纏まらない、だが聞かねば。
「司教、貴方はクレアを」
「おや、ご存じなかったので?」
「どの道、彼女に消されていたんだ」
「ですがそれは」
「上手く利用したと思いますよ、私はね」
どうなってるんだ?クレアに罪があったのは間違いない。それは知っている。だが、それを利用した?自身が出世するために。合理とは言え、その一線は。
「グルド、聞いてくれ」
「……はい」
「財政を傾け、領主に非礼、その上、謀殺を企てた。それがクレアだ」
「どこまで、本当なのですか」
「全て本当だ」
「私からも一応言っておきますが、全部事実です。酷いものですな」
ではなんだ。クレアは悪人であり、ただ単に司教とリードラル卿で倒したと?そういう話なのか?何かが引っ掛かり続けるが、それを理解できない。
「ですが……」
「まぁ、良いでは無いですか。我々は利を得た、何も問題ないでしょう」
これ以上掘り下げる気も無いのだろう、テレンスが話を切ってしまった。得た勝利と昇進は、明るいものだったのか?信仰が認められ、悪を断じたが故に昇進したのだと、心のどこかで信じていた。
「テレンス、一つ聞かせてくれ」
「何でしょう?」
「この教育案、中央はどこまで知っている?」
机に置いてあった教科書を持ち上げ、司教はテレンスへとそれを渡す。テレンスはパラパラとそれを一通り見た後、ふっと笑った。
「先に申し上げておきましょう。中央は、動きませんよ」
「なぜ?」
「嫁入り前の公爵家長女に傷が残った。しかも顔に」
「その程度で……」
「司教、貴方は貴族を知らない。彼らにとって面子は、命より重いのです」
「だが、彼女は気にして」
「フェロアオイ公爵家は激怒するでしょう。運が良かったですな、フェロアオイで」
もはや私には何も分からない。されど、竜の尾を踏んだのだろう。しかし私がこれまで見て来た貴族は、そこまで恐れられるようなものでは無かった。力の無い割に声だけ大きい者、リードラル卿と会うまではその程度だった。
気がつけば、テレンスの我々を見る目は哀れみに近くなっていた。司教が質問を続ける。私は、黙って考えることしかできない。
「他だと、どうなるんだ?」
「皆殺しは避けられないでしょうな」
「馬鹿な……」
「法務卿は法に厳格です。王国でも珍しいのですよ」
「なら」
「地方出身の貴方達には分からないでしょうが……」
テレンスの表情は笑顔だが、声色には最早怒りさえ滲んでいる。リードラル卿が恐ろしいのは分かるが、教会が負けることは無いだろう?なぜ、そんなに怒られるのか見当が付かない。
「この国の頂点は王では無い、七大公爵家です。貴方達は、その怒りを買ったのだ」
「首謀者は死んだ。それ以上に何がある?」
「教会の者が傷を負わせたのです。中央の政情は動く。貴方達に掛けている時間は無い」
「だが、この教育や干渉は……」
「"通せ"、それだけでしょう。寧ろリードラル卿に楯突こうとする意志が驚きですな」
中央は我々を見捨てたと?何が起こってるんだ。我々の知らない場所で、一体何がどうなっているんだ。黙って見過ごすのが当然だというのか?
「従うしかないと?」
「何か勘違いしておられますな。もう既に、貴方達はリードラル卿に守られているのですよ」
「何だと?」
「市街には行かれましたか?教会に石が投げられてないのは、リードラル卿が率先して協同を示しているから」
「……」
「そもそも彼女の庇護無しでフェロアオイ公爵家を、どう相手するのです」
「枢星教会の力なら……」
絞り出すように、司教が言った。私も、同意見だった。もうそれしか、言えることは残っていなかった。
「ロンドリア王家と枢星教会が組んで、ようやく七大公爵家に抗せるんですよ」
「そん……なに?」
「王都を知らなければ、分からないでしょうがね」
もう言葉は無かった。テレンスは溜息をついて、一言も話していない後ろの部下二人を見た。彼らもまた何も言わず、テレンスへ一礼した。
「まぁ、身の振り方は考える事ですな。では、失礼いたします」
「「失礼いたします」」
そう言い残し、彼らは部屋を出ていった。我々だけが部屋に残され、ただ止まる。机に当たる日の角度が変わっているのが分かった。私の頭の中は混乱している。グルグル回る思考、答えは出ない。
司教は椅子に座り込み、項垂れて動けない。私も釣られて椅子へと座り、何もせずぼんやり景色を眺めてしまう。頭がもう限界だ。ただ、一つだけ分かる事がある。それは。
───我々はどうしようもなく、詰んでいる。それだけだ。




