審判の日 ~後~
聖卓の前にて祈っていたクレアは、静かに目を開く。彼女の胸中は一言、どうして。彼女の首はテレンスへと向き、開かれた口が静かに動いた。
「……なぜ」
テレンスの部下二人が、何も言わず彼の前に立った。テレンスはクレアの方を見たが、やがて目を逸らす。
「民意、論証、正当性。全てにおいてリードラル卿が勝っております」
「ですが審問官、見たのでしょう?」
テレンスの眉が、少しだけ動いた。だが、表情には映らない。
「分かりませんな」
「……」
絶句するクレア。だが、テレンスの返答は一つの真実を語っていた。もうクレアは身内では無く、切り捨てられたということ。
「審問官テレンス、公平な裁定です」
「裁定は、神の御心のままに。リードラル卿、貴女の潔白は証明されました」
「えぇ、良かった」
緊張感の混ざった沈黙の中、ソフィアがテレンスへと話す。彼女の表情はクレアと違い、薄く笑っていた。安堵が、少しだけ表情に滲む。
終始圧倒していたソフィアであったが、実際は綱渡りを強いられていた。テレンスの語った三要素、一つでも欠けていれば異端判定が彼女へ向かう可能性はあったのだ。彼女の与り知らぬ所ではあるが、実際に最後までテレンスは揺れていたのだから。
彼女は論戦において勝利したが、これで全てが終わった訳では無い。まだ、戦いは続いている。ソフィアは参列者の方を向き、声を上げる。
「列席する諸君、裁定は下った!私は潔白だ!」
高らかに宣言するソフィア。クレアは沈黙し、フィグラスは苦しそうにクレアを見ている。圧倒的な、明暗。
「私は真実のみを述べた!仕事を増やし、貧しさに救済を施した!違うか!?」
「そうだ!それで皆は救われた!」
「俺達にも、まともな飯を与えてくれた!」
ソフィアが語ると、後方に座っていた市民や貧民が声を上げる。仕込みか真実か、確かに民の声は上がった。にわかに騒がしくなる礼拝堂。
「自由を取り戻した!鉄を作り、銀行を作り、不当な寡占に対抗した!」
「そうだ!シリッサは富を産んでいる!」
「リードラル卿は自由の守護者だ!」
次にソフィアは商業を語った。今度は中ほどに座ってた、商人や職人が声を上げる。大きな流れが、この場を包み始めていた。
「悪に裁きを与えた!腐敗した貴族、ギャング、違法商人!私情ではない!法に則った裁きを!」
「リードラル卿の言う通りだ!我々貴族はそれを知っている!」
「然り!」
法の裁きを語るソフィア。続けて前方の貴族側からも声が上がる。熱が、信仰を焼き始めていた。
「これが何を意味するか!?私の統治に、間違いは無かったのだ!」
「そうだ!リードラル卿万歳!」
「万歳!」
参列者は立ち上がり声を上げる。湧き立つ礼拝堂。ソフィアの演説の力でもあるが、前提として完全なソフィアの反対派は少ない。貧民、平民、商人の圧倒的な支持を背景に、彼女は立っているのだ。そして、ここで彼女を叩こうものなら後で何が待っているか分からない。賛成派は湧き、反対派は黙る事しかできない。
熱狂が収まるまでソフィアは、彼ら全員を見渡し続けていた。やがて静かになる礼拝堂。熱がまだ残る中、小さい彼女はクレアを見上げた。クレアは、目を合わせようともしない。ただ、下を向いていた。
「さて、司教」
「…………」
クレアは何も言わない。いや、衝撃で思考が止まっているのだ。フィグラスは何も言わず、テレンスと部下二人はソフィアの方を恐ろしいような顔で見ている。
そんな中、参列者を囲む衛兵と修道士側に緊張が走り始めていた。クレアの失脚は確定、ならば聖女派の面々はどう動く?入り口の傍に立つ銃兵頭のクラリス、直衛の面々は警戒を強める。
「語らずとも聞け。虚偽にて私を告発した罪は重いわ」
「…………」
クレアは沈黙している。ソフィアはテレンスの方を向いた。ビクッとする彼。怪訝そうに首を傾げるソフィア。
「審問官テレンス。司教の告発は可能?」
「……可能です」
「では、彼女を異端として告発する」
「……罪は」
「"星彩"の不正使用、私に対する虚偽の告発、貧者救済の妨害、私に対する祈祷攻撃未遂。不足ですか?」
「貧者救済の妨害は分かりますが、それ以外は……?」
「司教補佐が答えてくれるでしょう」
凄まじい勢いでまくし立てるソフィア。テレンスは言われるがまま受け入れるしかない。この空気で、教会の劣勢で、逃げればクレアだけではない。教会そのものに対する権威が落ちる。
「司教補佐フィグラス。神に誓って、真実を述べて下さい」
テレンスに促され、フィグラスが口を開く。フィグラスもまた、流されるしかない。流されるがままに、真実を。
「……全て、事実です。神に誓って」
「司教クレア。反論は?」
再びざわつく礼拝堂。テレンスは、重くクレアに問いかける。クレアは静かに、顔を上げた。
「……神よ」
彼女の目は昏く、顔からは一切の感情が抜け落ちていた。
「司教……!?」
明らかにおかしい様子に、テレンスと部下二人は一歩後ずさる。クレアは、ソフィアの方を見た。数歩で手が届く距離。ソフィアは退かず、クレアに目を合わせた。
「神を何処まで愚弄するか、小娘」
「随分な呼び方ね、司教。周りを見られては?愚弄してるのは、貴女の方よ」
「ふざけるな……!」
昏い憤怒の貌、信仰者の憤怒。普通の人なら、走って逃げてしまうだろう。だが、ソフィアは笑ってクレアに相対する。ソフィアは分かっていた。ここで逃げればイメージとしての威信が下がる。貴族として、退けない。
「テレンス。司教はこの有様だけど、沙汰は?」
「……この場合は」
テレンスに判定を求めるソフィア。その瞬間、クレアの中で何かが切れる。本来はやる気では無かった、クレアを信じる信徒達が勝手に準備したそれ。憤怒、悲哀、絶望、全ての煮凝りが、彼女に一つの判断を下させた。
「……お前だけは、殺す!」
左手を大きく上げ、武装した信徒に合図を出す。その瞬間、各々の武装でソフィア側の兵士へと襲い掛かった。鈍い音、甲高い音が聞こえ、続けて銃兵の発砲音。
「逃げろ!」
「何が起こってる!?」
「正面の扉を開け!参列者を巻き込むな!」
「正面へ走れ!」
礼拝堂は、一気に戦場へと変わった。参列者は一気に立ち上がり、悲鳴と共に正面の扉へと走る。
クラリスは正面の扉に立つ兵士に扉を開けと命令を下し、兵士に襲い掛かる信徒を撃つ。パン!という音と共に、少し離れた女の信徒が倒れる。
間合いは銃兵が不利、だが実戦経験は圧倒的に銃兵が勝っている。信徒は奇襲で手傷を負わせたが、それもどこまで続くか。
「死ね!」
「……ハッ!」
聖卓側では、直衛が一気にソフィアの方へと走った。だが、辿り着くよりも早くクレアはソフィアへと襲い掛かっている。
「これだからヤダ!」
「『天に居られる、我らが日よ!』」
祈祷を唱えながら、ソフィアに殴りかかるクレア。明らかに体格は不利、ソフィアは後ろに跳ぶ。また一歩、クレアが間合いを詰める。明らかに距離は縮まっていた。
「あぁもう!」
「『眼前の神敵を撃ち滅ぼす、炎を下さい!』」
クレアの詠唱は続き、ソフィアの目の前へ寄る。ソフィアは背を向けて走ろうとした。だが。
「つぅ……!」
ソフィアの後ろ髪が、掴まれた。思いっ切り髪を引っ張られたソフィアは、後ろに戻される。そしてそのまま、首を絞められる。
「焼かれて死ね、神敵」
「ぐぅ……!」
クレアの腕に炎が立ち始める。当然、ソフィアの首と顔が焼け始めた。ジュゥゥ……!と嫌な音が鳴る。
「がぁぁ……!」
「お嬢様!」
「邪魔するな、兵士!」
直衛が、焼かれるソフィアの下へと辿り着いた。一気にソフィアごとクレアに組み付こうとする五人。それを察してか、クレアはソフィアを離し、一歩引いた。ソフィアはロブとシーラに抱えられる。
「お嬢様!大丈夫ですか!?」
「大丈夫……。司教は殺すな、捕えてくれ」
「……了解」
ソフィアの首元と、下顎は焼け焦げていた。大丈夫というが、声を出すのさえ苦しそうな様子であった。クレアの憤怒に比肩する程の怒りと殺意が、直衛から放たれる。
「……殺せなかったか」
「捕らえるぞ。モーリス、デレク、行くぞ」
「「了解」」
シーラとイリルがソフィアの護衛に残り、後の男三人がクレアの方へと向かう。クレアは祈祷で呼び出した炎を直衛へと放つが、鎧で受けられるか篭手で弾かれる。
気がつけば、クレアとの間合いはほぼ無かった。
「離せ!」
腕を抑えられ、クレアは炎を上げるも、あっさりと首を絞められて気絶する。どうにもならない武力の差が、そこにはあった。
「殺してないわよね……?」
「確かに気絶です」
二人に支えられながら、気絶した司教の傍へ寄るソフィア。クレアは腕を縛られ、口にも猿ぐつわが嵌められた。
「リードラル卿!」
「大丈夫ですか!?」
「……遅い」
フィグラスと教典派の司祭。テレンスと部下二人がそれぞれ逆の方向からやってくる。直衛は剣を抜き、双方へと相対する。特殊な状況下、ソフィアを除いた部下の教会への不信は極まっていた。
「フィグラスとテレンス。貴方達は敵?」
「傷をお見せ下さい。私は味方です」
「当然、私も味方です。リードラル卿」
フィグラスはソフィアを気遣う。悩むが故に優柔不断だが、ソフィアは彼に敵意自体は無いように見た。
一方、テレンスからは少しの敵意を見た。ソフィアは悟っていた、彼が"星彩"を使ったことを。判断は単純だった。
「……フィグラス。私の傷を診て頂戴」
「勿論です」
「テレンス、貴方は蜂起した信徒の鎮圧をお願いするわ」
「……承知しました」
フィグラスがソフィアの傷を見て、祈禱にて治療し始める。テレンスは部下二人を引き連れて、鎮圧へと向かった。
「イリルとシーラ以外は鎮圧へ」
「よろしいので?」
「損失を減らしたいの。殺していいわ」
「了解」
ソフィアが直衛へと命令を下し、ロブが答える。戦場ながら、いつもの光景であった。三人はソフィアを置いて、戦闘へと入っていく。
「『天に居られる、我らが日よ。ガッ」
礼拝堂での戦闘は、少しずつ銃兵が押していた。信徒側は、祈禱を唱え始める度に頭を撃ちぬかれる戦術に苦しんでいた。その中で、更に彼らを追い詰める敵が来る。
「死ね」
「ぎゃ」
そう、直衛が戦いに加わったのだ。圧倒的な練度に武装、信徒は武装の上から叩き切られる。敬愛する主人を傷つけられた怒りが、そこにはあった。
なます切りにされ、撃たれる敵信徒。だが、彼らは降伏しない。クレアを信じる彼らは、ソフィアを殺そうとする。だが、その全ては直衛と銃兵に阻まれた。
時間だけが過ぎ、信徒が死ぬ。奇襲の有利も消え、勝ちの目も消えた。そして。
「動くな!我々は警邏衛兵である!」
衛兵隊が正面より突入してきた。その数、数十名。ソフィアが大聖堂の周囲に仕込んでいた銃兵と、彼らが呼んだ応援。
「武器を降ろせ!」
なおも戦おうとする信徒達であったが、数の暴力には叶わず。全員が取り押さえられた。
クレアを信じた蜂起信徒は、九割方死んだ。正確な射撃が頭が心臓を抜き、即死を生み出した。銃兵は僧侶との戦い方を心得ていた、即死でなければ治される。
銃兵は数人が重傷だが、戦闘後に行われた治療により死者は無い。原因は単純で、信徒側は対人戦経験が少なく、強みの祈禱を殺されたから。蓋を開けてみれば、一方的な虐殺に近い戦いとなった。
「……戦闘は嫌いだ」
フィグラスに治療されながらボヤくソフィア。何はともあれ、戦闘は終わった。それ以外は何一つ、片付いてはないが。
─────割れたステンドグラスから射した日が、気絶するクレアを静かに照らしていた。




