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司教、クレア・エウフェミア


──────あの女は、主たる神を殺してしまう。


「どうすれば……!」


 シリッサ大聖堂の素朴な執務室、私は頭を抱えていた。ただ一人の少女を殺すのに、もう三年が経つ。その間に、恐ろしい勢いで街は変わっていった。

 食が増え、鉄が増え、職が増えた。それが何を意味するのか、私は分かっている。教会の力が削がれているということ。されど、何もできない。


「手紙は?」


 中央の友人達に出している手紙も、もう数え切れない程になる。最初は良かった。皆はすぐ異端審問官を送ると言って、頼もしかった。正しさは裏切らない、そう思っていた。

 だが、途中で雲行きが変わってしまった。手続き、上を納得させるのに時間が掛かると言い始め、この有様。彼らも腐った上と戦っていると考えれば、悪いようには言えない。だけど。


「……味方もどれだけ居るか」


 やはり、ソフィアは怪物だ。私達を叩き潰すんじゃない、中から喰い壊していく。表面上は協力を謳い、金や権力で骨抜きにしてくる。力じゃないから、私達も戦えない。

 元々、私は人を治めるのが得意じゃない。シリッサの司教になれたのは、偶然。正しい事をやっているだけなのに、お金も人も集まらない。私は教会を二つに割ってしまった。

 

「神よ、どうして」


 両手を合わせて祈る。何故、私とあの女を引き合わせてしまったのですか。祈祷で覗き見た、それが私の罪であると仰るのですか。試練と仰るのなら、私は戦っております。あの怪物を、倒さんと。されど、我ら神を信ずる兄弟達が、知らぬのです。闇を、虚無を、虚空を。世に居る魔物よりも悍ましい、神を否定する何か。私一人では、余りに無力なのです。

 力で殺せば、フェロアオイ公爵家が出てきてしまう。長女暗殺が発覚などすれば、教会は瞬く間に窮地に立たされるでしょう。六年前の貴族を消した刃が、今度は私達に向けられる。だから、ソフィアを殺すに足る正しさが必要。

 思考がグルグル回っているのが分かる。そうしていると、ゴーンゴーンと鐘の音が鳴り響いた。


「もう、昼……?」


 炊き出しの、様子を見に行かないと。重い腰を上げ、部屋を出る。廊下を歩いて外へ向かう中でも、考えは止まらない。

 思えば、私達の救貧はとっくに食い潰されていた。今向かっている炊き出しなんて、一番酷い状態。向こうはメニューが日替わりで、パンの質も良い。鉄の大鍋は見栄えが良く、兵士が見張ってるから奪い合いにならない。一点だけじゃない、あらゆる面で超えられる。本質的に満たされる欲の前に、清貧がどれだけ声を上げようと虚しいだけ。私は、この三年で嫌というほどそれが分かった。

 

「……いい天気ね」


 礼拝堂を抜け、正面から外に出る。神たる天を見晴らす、祝福されし晴天。されど、私の心は迷いを表す曇り空。私は神の徒、それだけは変わらない。天よどうか、私に怪物を打ち破る力を。

 大聖堂の前は広場で、そこで炊き出しをやっている。この瞬間だけは派閥の垣根を超えて、救貧を行えているのが少し嬉しい。いつも私のやる事に文句を付けてくるフィグラスでさえ、これには文句を言わないのだ。


「調子はどう?」

「司教様!えっと、いつも通りです!」

「そう……。正しい行いは、神も見て下さるわ」

「はい!頑張ります!」


 ガヤガヤと並ぶ人の列、パンとスープを配る信徒の皆。偶然近くにいた黒の服を着ている、修道女へと声を掛けた。確か、名前はリタと言ったはず。困った様に伝えてくるその様から、状況の苦しさが私に届く。本当に、見て下さっているんだろうか。


「ねぇ、リタ」

「どうされましたか?」

「貴女はどうして、教えを共に?」


 思わず、問いかけてしまった。リタは少し考えて、私を見上げる。まだ若い少女、可愛らしい顔。何を思って、同じ空を見上げるの?


「……えっと」

「無理に言わなくてもいいわ。ごめんなさいね」

「違います!上手く、言葉にできなくて」

「大丈夫。ほら、空を見上げなさい」


 リタの肩に触れ、共に空を見上げた。生命たる日が私達を照らし、神たる天は今日も青く澄んでいる。リタの表情から影が薄まったように感じた。やはり神は見て下さっている。


「天の下に私達は平等。貴女の心のまま、教えてくれればいいわ」

「司教様……」


 二人でしばらく空を見上げる。少しすると、リタは私の方を向いた。くすんだ彼女の茶髪が振れる。


「何もわからないまま、追い出されて。弟を抱えて、スラムを行ったり来たりしてて。ご飯も、無くて」


 たどたどしく口にしてくれる、リタ。私は何も言わず、彼女の両手を握った。ごつごつとして、荒れている。働く者の手をしていた。もっと私に力があれば、よかったんだろうか。


「でも、教会の人が助けてくれて」

「それは素晴らしい事。名前を伺っても……いいかしら?」

「はい。えっと……」


 今度は顔を赤らめて、下を向いてしまうリタ。……なるほど、そういう事ね。私はしゃがんで、彼女の方へと耳を向けた。当然、秘密にするわ。私の口は固いのよ?

 私の意図が伝わったのか、彼女は耳に口元を近づける。


「……秘密にして下さいね?」

「えぇ、勿論」

「…………フィグラス、司教補佐です」

「あら」

「秘密ですよ!」

「ふふ……二人の秘密、ね」


 あわあわと手を振るリタ。表情豊かで可愛いわね。そっか、フィグラスが……。今は少しだけ仲が悪くなってるけど、ソフィアの件が解決したら、私達は歩み寄れるはず。そう、信じてる。

 

「それで、あの、司教様」

「うん?」

「今、私は幸せです」

「それは、素晴らしい事」

「司教様のお陰です!」

「私ではなく、神の御力よ」


 私も神の力、教会の助けなくしては何もできない。神に仇なす、少女の一人でさえ手間取っている有様なのだから。そして祈祷が無ければ、私はとっくに死んでいただろう。今ここで、生きているのは神のお陰。


「すいません!天なる神の御業、でした」

「謝らなくていいのよ。言いたいのは、私も貴女と一緒という事」

「天の下に私達は平等、ですね」

「えぇ、共に頑張りましょう」


 流石にそろそろ捕まえすぎているだろうと思い、彼女を炊き出しの手伝いへと戻した。結構話し込んでしまった、炊き出し担当の司祭に申し訳なさを感じつつ、様子を眺める。

 ここに来てから随分と経つ、私は何を成し遂げられたんだろう。悩みが尽きない日々の中で現れた怪物、祈祷で覗いた私への罰。ならば、誅して償う。

 

「司教、こちらに居られたのですね」


 色々と考えが巡っていた所、気がつけばフィグラスが隣に立っていた。彼も疲れているんでしょう、表情に力が無い。私も多分、似たようなもの。考え方は違えど、同じ苦労と教えを背負った者同士。


「どうしたの?」

「……大丈夫ですか?」

「少しね。貴方も大丈夫?」

「私も少し……」

「そう……辛い時期ね」


 お互いに体調を気遣い合う。二人並んで、炊き出しを眺める。人が減り、教えを信じる者か、事情があって向こうに行けない者がほぼ全部を占めている、この光景を。


「司教」

「なに?」

「辺境侯の件、考え直せませんか」

「また、その話?」


 止めたくなるのも分かるわ。でも、これだけは譲れないのよ。ソフィアが齎すのは、教えが不要になる世界。弾圧じゃない、もっと恐ろしいもの。子どもが大人になって、玩具で遊ばなくなるような。

 

「教会を滅ぼすと言いますが、"星彩"で見ただけでしょう?」

「フィグラス、貴方は見た?」

「……いいえ」

「なら、見ない方がいいわ」

「言われずとも」


 教えに生きる聖職なら、ソフィアを見れば同じ感想になるでしょう。実際に彼女がやっている政策だけ見れば、私達を助けるように感じられる。でもね、見ちゃったの。だから、戻れない。


「理屈を超えた確信。私達はこれを、天啓と呼ぶ」

「ですが……」

「貴方は、知らないままでいい」

「一体、どういう」

「万が一、負けたら……次が、必要でしょう?」

「司教、貴女は」


 勝算はある。私はどうやっても信仰者に過ぎない。だが、異端審問官も同じなのだ。彼らは異端審問を行う時、絶対に"星彩"で相手を見る。教会法違反なのは、祈祷を事由にした異端判定。見るのは、問題ない。


「大丈夫。友人達が選んだ審問官なら、正しく審判を下してくれるわ」

「…………」


 心底苦しそうな表情で、下を向くフィグラス。そんなに考えてくれてるのは、素直に嬉しいわ。貴方が私をどうにか生かそうと頑張ってくれているのも、分かってはいるつもり。

 流石に三年も経てば、少しは落ち着いた。最初の錯乱で絶対に疑われてるだろう。そして、ソフィアが何かと裏で手を回しているのは察している。でも、最後には信仰が勝つ。異端審問官は、同じ教えを信じる仲間なのだから。


「だから、心配しないで」

「貴女を慕う者達はどうなるのです」

「それは……」

「今一度、考えて下さい」


 独り善がりと言われれば、何も言えない。でも、私が死んだとて教会は続く。ソフィアが齎す滅びがやって来るまで、続いていく。誰かが止めなければならない。私の関わる全てを守るために。


「それでも、私はやらねばならない」

「今で無くとも」

「三年経って分かったわ。もう、時間がないの」


 シリッサは凄まじい勢いで変わっている。三年で生活が変わりつつあるのなら、もう三年経てばどうなっているのか想像さえつかない。新しい技術をソフィアは当然のように導入する。まるで、成功するのが分かってるみたいに。


「どうしても、曲げる気は無いのですね」

「えぇ、これだけは譲れない」


 私達は黙って、終わった炊き出しの片付けを見守っていた。フィグラスは真顔だったけど、内心に色々渦巻いているのは分かる。お互いに色々話せない事が多いから、こういう感じになってしまう。

 片付けの終わった広場、フィグラスは何も言わずに、封筒を一つ、私に渡してきた。前を向いたままの顔は、これまで見たことが無いほど、苦悩に満ちた無表情だった。


「……フィグラス、貴方は優し過ぎるわ」


 何も言わない彼を横目に見ながら、封筒を開ける。中には手紙が一枚入っていた。あぁ、そうか。彼が色々話してきたのは、これが来たから。内容は単純、差出人は、友人。


────審問官の当てが付いた。時期はどうする?


 終わりが、来る。


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