筆頭家令、ミモザ
「ミモザ、どうだい?娘の方は」
「家庭教師を迎えさせて頂き、順調に教育は進んでおります」
「君ではダメだったのかい?」
「……それは」
「ミモザ、ここに耳は無いわ」
フェロアオイ公爵家、本邸。私はソフィアお嬢様の動向を報告していた。お嬢様の居る別邸が多種多様な植物に包まれていたのに対して、紫と白の花、二種類だけの庭。
圧倒的な広さを誇る屋敷の庭に通され、待っていたのは当主様と奥様。周囲には家令が男女数人。元部下達、いつもの顔ぶれだ。何とも言えない規律の空気が滲む。私が作り上げたものではあるが、どうにも面倒だ。
お嬢様に影響されているのかもしれない。そう思うと、内心で少しだけ笑えて来る。
「では、僭越ながら申し上げますと……。お嬢様は思索の徒であり、信仰の徒では無いように考察しております」
「ほう?」
「故に家庭教師も魔法を知り、実地を知る者を選択させて頂いております」
「ふぅん……」
夫妻はそうぼやきながら、私が持参したアイヴィー・アトモスの経歴書を読む。その姿でさえ優雅で、生まれの違いをこっちに読ませてくる。茶を啜りながら書類を読まない、足を組まない、手は自然に置いてある。私とて学校を出て、それなりの社交や従者としての心得は持つ。しかし、上級貴族になると世界から違う。金や権力、力以外の何か。恐らく、品格と呼べる概念。
「書類上の経歴は及第点と言った所か」
「そうね。実地を知る者に家格なんて、求めても仕方ないものね」
「仰る通りです」
「伯爵より下は平民と変わらん。だろう?ミモザ」
「そのような事は……」
悪い顔を浮かべる当主様。こう言う所が恐ろしいのだ、冗談とは言え私がそれを肯定する事が何を意味するのか。そして、全部分かった上で冗談を投げて来ているのだ。
ソフィアお嬢様が恋しくなってくる。あの方は冗談に明るい、危険なラインを渡らせない知性がある。しかしこちらは、恐らく肯定した瞬間に“評価”が下がるだろう。
「アラン。意地が悪いわよ」
「冗談が過ぎたか。気を悪くするな、ミモザ」
「……とんでもございません」
数ヶ月に一度、動向報告の為に私はここに呼ばれている。ソフィアお嬢様の近況報告と、偶に神学の手ほどきを行わせて頂いてる。
当主様夫妻も悪い方ではないのだ。今の冗談にしても、他貴族なら肯定した瞬間、傍仕えに私が切られていただろう。無論、そのまま切られてやる気もないが。
「相性は?」
「よく質問し、質問されているのを見かけております」
「ふむ」
「楽しそう?」
「少なくとも退屈はされていないかと思われます」
「ならいいわ」
アトモスさんがお嬢様の質問を考えている時は暇そうにしているが、別に問題は無いはず。ダラダラさせておくより、よっぽど健全だ。
「貴女はどうして、あの子に入れ込んでるの?」
「……!」
急に、奥方様から飛んでくる言葉。思わず奥方様の目を見返すが、少しだけ垂れている目は凪いでいた。これは、間違えられない。
「それは……」
──────本来の理由は、言えない。
/////////////
私が神学校を卒業した頃、聖職の腐敗や修道会の乱立と教会は過渡期にあった。
万象たる天。生命たる太陽。安らぎたる月。浮動する運命である星。枢星教会、スタドラルと我々が呼ぶ教えは、どうにも星空のようにバラバラであった。
一つの神を信じる者たちが、無数に分かれて争い合う。あっさりと失脚した私は、気がつけば先代のフェロアオイ公に拾われていた。
「ミモザ、信仰は場所を選ばない」
「そう、でしょうか」
先代フェロアオイ公は敬虔な枢星教会の信徒であったのが幸いした。従者としての教育を受けながら、先代と神代についての考察を続ける日々。
当時の本家には青の花が多かった。万象たる天の色。地と空に青が満ちる光景は、今でも覚えていた。
「……先に星となる。ミモザ、息災で」
「『どうか、天において安らかに』」
先代が亡くなられ、現当主に変わられて以後、私は信仰の本義を失いつつあった。別に悪いと言う訳ではないが、敬虔ではない当主に仕えるのは、少し疲れた。
ご令息が生まれてからも、特に変わる事のない日々だった。彼は優秀だったが、何か飛びぬけたものを感じることは無かった。
それが変わったのが、二人目が誕生した後。そう、ソフィアお嬢様である。
変な子どもではあった。必要な時以外泣かない、目にどこか遠さを感じる。そして何より、疑問が強かった。
「ミモザ、なんで蝶は地面に落ちないの?」
「どうして太陽と月が同時に出ないの?」
「どうして?」
それを気にしてどうするんだ、と言わんばかりの疑問の奔流。最初は子どもの戯言かと流していたが、少し考えると私にも分からないことが分かってしまった。
なんとか答えたり、答えなかったりする日々が何年も続いた。お嬢様も悪いのだ、分からないと伝えると「そっかぁ……」と心の底から悲しそうにこちらを見てくる。ズルいじゃないか。
ある時、私の持っていた疑念をお嬢様に投げてしまった。分かるはずのない、天という名の神について。
「お嬢様」
「どうしたの?」
「神は、居るのでしょうか?」
──────しまった。そう思ったが、お嬢様はしばらく考え込み。口を開いた。
「どっちがいいの?」
「どっちが……いい?」
「ミモザはどっちの方がいいと思うの?」
予想だにしていない回答が、帰ってきた。そんなの。
「我々が決めることでは……」
「何でダメなの?」
「何故って……」
天の遥か先に居られるという唯一。我々は見守られる側であるのに、何かお嬢様は我々が神の存在を決めているような事を。
「見えてないけど、居る。居ないけど、見えている」
それは、天と神の関係そのものだ。
「でもこれは、私たちから見た時の話でしょう?」
「……!?」
「なら別に、どちらでもあるのでしょう」
明らかに異端。あってはならない冒涜的な思考だった。神の不在どころか、神は我々が定義するという傲慢すぎる思考。
だが、あの時私は心の奥底で、それに納得してしまった。だから。
「……お嬢様」
「どうしたの?」
「貴女に、忠誠を」
「……どうして?」
「今、私は一つの星を見つけました」
「そ、そうなの」
明らかにお嬢様は困惑していたがそんなことはどうでもいい。白髪交じりで老いた年齢になってようやく、信仰とは何であるかの扉を開いたのだ。
そして、この偉業を何となくで成し遂げてしまったお嬢様の、底知れない才能を感じ取ってしまった。
「お嬢様、お勉強をしましょう」
「え、嫌」
しかし、本人にはその自覚が一つもないのが悪い所だった。何とか勉強をさせようと頭を捻った結果、取り敢えず当主様方に中身はぼやかしながら話を通す。すると。
「ではミモザ、君に教育は一任しよう」
「よろしいのですか?」
「その熱意、伝わったわ」
「ありがとうございます!」
こうして当主様一同の後ろ盾も得たところで、無事にお嬢様を教育へとぶち込むことが出来た。
本人は嫌々だが、その才能を腐らせるのは余りに勿体ないし、恐らくお嬢様はいつか世界に見つかる。この才能が見つからない訳がない。
「また勉強~???」
「はい。そうです」
──────お嬢様、私は最後まで傍に居ります。
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「お嬢様は慈悲深く、従者に対しても礼節を忘れない方であるからです」
「ふ~ん。なるほど」
私の目を見る奥方様。貴女方には分からないだろう、お嬢様の凄さが。数十年の疑問に、齢十前後の子どもが答えられたということを。分からなくていい。
これは、私とお嬢様だけの答えなのだから。フラットな表情に努めて、顔を見返す。
「ミーゼル。やりすぎだ」
「あら、ごめんなさいね。娘の事だから、熱くなっちゃって」
「当然の事と思います。疑念を抱かせてしまった事を、ここに謝罪いたします」
「受け入れるわ。これで元通りね」
あぁ、帰りたい。帰ってお嬢様のどうでもいい話を聞きたい。勉強の愚痴や、アトモスさんが抱えてしまった宿題の話。
別邸は居心地がいいのだ。それは、お嬢様の纏っている空気もあるだろう。お嬢様は、真の意味で失礼を気にしていない。怒る時も、必要だからやっているのだろう。
「あぁそうだ。話はもう一つあってな」
「はい」
「そろそろ、ソフィアを社交界に出そうと思っている」
「素晴らしい事かと思われます」
「問題なさそうだな」
「全てにおいて」
よしよし、と顎髭を撫でる当主様。奥方様も右手を口に当ててふふっ、と嬉しそうにしている。
実際、礼法についても問題なくこなされている。別に優秀なのだ、お嬢様は。
「詳細は確定次第、そちらに送る」
「承知いたしました。お嬢様にも伝えておきます」
「それでよい」
お茶会という名の半尋問会はまだ続く。お嬢様は、真面目に勉強されているだろうか。サボっていたら説教しなければ。従者が主人を説教なんてあり得ないが、お嬢様は妥当であれば心から受け入れる。それがなにより、凄まじいことだと思う。
「ソフィアと家庭教師の方、どんな話をしているの?」
「ぜひ、聞かせてくれ」
夫妻もお嬢様のことは親として情を持っている様に思う。だから、私も何だかんだ言いながらずっと話してしまうのだろう。
そんなことを思いつつ、何を話そうかと練り続ける午後が、流れていく。青色の空が、私たちを見下ろしていた。
──────神よ、貴方はそこに居られますか?




