悪役令嬢?前世は優しいおばあちゃんでした!
思いつきました。
ふわふわで、ふっかふか。
天蓋つきのベッドで、私はすやすやと眠っていた。
お部屋はほんのりとお花の香り。枕元には、執事のノアが選んでくれたラベンダーが置かれている。
「お嬢様、お水をお持ちしました」
お水なんて今はいらない。眠たいんだもの。もう少しだけ、この夢みたいな世界に浸っていたい。
……夢みたい?
本当に、夢の中みたい――でも、なんだか少し違う。
さっきまでいたふわふわのベッドではなくて、私は今、見たことのない場所にいた。
真っ白な床。白い壁。私以外なにもない。
しん…と静まり返った、不思議で音のない空間。
「ここ……どこ?」
ぽつりとつぶやくと、その声がやけに澄んだ音で響いた。
そのとき――足元に何かが落ちる音。
見ると、そこには一冊のノートがあった。くすんだ金色の文字で、表紙にはこう書かれている。
「コーデリア=ルクレツィア・ド・ベルフィオーレ様へ」
それは、間違いなく私の名前だった。
そっと開くと、見慣れない奇妙な文字がページを埋めている……と思ったら、ふと既視感。
「……これ、日本語?」
そう思った瞬間、頭の中にぱあっと光が広がって、映像が流れこんでくる。
――桜の木の下で、お弁当を広げる孫たち。
――手を取り、笑いながら散歩をする娘の姿。
――あたたかい布団の中、やさしく見守られながら迎えた最期。
私は……日本で、おばあちゃんとして、家族に囲まれて生きて……そして、穏やかに死んだんだ。
ノートには、こんなふうに書かれていた。
「この世界では、あなたは“悪役”としてとても多くの人々を苦しめ、最後は自業自得で大勢を巻き込んで死ぬ定めにあります。
けれど、優しく穏やかなあなたの魂をこの世界に招くことで、僅かでも世界が良くなることを願っています――
この人生を、どうか少しでも、善く導いてください。」
――えっ?
視界が眩しくなり思わず目を閉じた。
しばらくしてそっと目を開けると、私はまたあのふかふかのベッドの中にいた。
けれど、背中にはうっすらと汗をかいていて、夢とは思えないほど心がざわついている。
確かに、私はコーデリア。
わがままで、少しだけ気が強い公爵令嬢。今までの記憶も、ちゃんとある。
でも、それとは別に――日本で、普通のおばあちゃんとして生きていた記憶も、確かに存在していた。
……どうしたものか。
まぶしい朝の光が差し込む部屋の中、私はもぞもぞと身を起こした。
あの夢――あれは本当に夢だったのだろうか。けれど、頭の奥のほうがじんわりとあたたかい。
確かにあのノートを読んで、前世を思い出して、それから……。
ベッドの上でのんびりしていると、ノックの音とともに部屋の扉が開いた。
「お嬢様、おはようございます。お着替えのお手伝いに参りました」
いつもの侍女のエリーナが、にこやかに歩み寄ってくる。淡い水色のメイド服が、朝の光に透けてきれいだった。
前だったら私は「遅いわよ」とか「もっと柔らかいブラシを持ってきて」とか、小さなことで文句を言っていたかもしれない。
でも、今は――
「エリーナ、ありがとう。いつも手伝ってくれてうれしいわ」
「……っ!?」
ブラシを手にしていたエリーナの手がぴたりと止まり、目をぱちぱちと瞬かせた。
「お、お嬢様……いま、“ありがとう”と……?」
「ええ。いつもきれいに髪を整えてくれて、感謝してるの。……いままで、わがままばかり言ってごめんなさい」
私は、少しだけ首をかしげて笑ってみせた。
エリーナはしばらく固まっていたけれど、やがてふわっと表情をゆるめて、目を潤ませながら微笑んだ。
「……いいえ、お嬢様。そのお気持ちだけで、十分すぎるほどです」
そんなやりとりを、部屋の外からこっそり見ていた別の侍女が、そそくさと立ち去ったのを私は知らない。
そしてその数分後――
「えっ、コーデリアが“ありがとう”って!?」
「しかも“ごめんなさい”まで!?」
「熱は?熱は測ったんですか!?」
「夢でも見て人格が変わったんじゃ――」
「やめてくださいご主人様、怖がらせないで!」
コーデリアの両親――ベルフィオーレ公爵夫妻と使用人たちが、急遽執務室に集まって緊急会議を開いていた。
一方その頃、当のコーデリアはというと。
「お食事がいつもよりおいしい気がするわ。ありがとう、マリア」
「ひっ……あっ、いえっ!ありがとうございますお嬢様っ!」
「ふふ、そんなに驚かないで」
使用人たちの戸惑いにも、コーデリアはにこにこと微笑んで応じる。
その日の午後。再びベルフィオーレ家の執務室では――
「……つまり、どういうことなの?」
母であるレイナ公爵夫人が、眉間にしわを寄せてつぶやく。
父親のギルバート公爵は、何度目かのため息をついた。
「コーデリアは、今朝から“とてもいい子”になってしまったらしい」
「病気……ではなさそうね」
「神託を受けた可能性は……?」
「いや、それは騎士団経由で報告が来るはずです。確認しましたが、今のところなしと」
「うーん……」
一同は頭を悩ませながらも、コーデリアの変化に一縷の希望を見出し始めていた。
一方、当のコーデリアは――
「やっぱり、“ありがとう”って、言われると嬉しいのね」
紅茶を一口すすりながら、小さくつぶやいた。
日本のおばあちゃんだった頃に、よく言っていた当たり前の言葉が、こんなにも人を笑顔にするなんて。
「うん、これは……きっと、いいことなんだと思う」
まだ何もわからない。でも、心に残っているノートの言葉だけを頼りに、コーデリアの小さな変化は今日も続く。
続きを思いついたらまたかきます。