表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/11

場面3・そう、彼は言った

 白い壁の前にいる少年は、まだ座っていた。よく見てみると、『あいむスリープ』と書いてある紙を額につけている。おかしな映像ではあるが、誰もそのことに言及しない。それは、その紙の持つ不思議な特性というのではなく、ただ単に、他人を気にしているヒマなどないのである。まだ見えてこないが背後から確実に、赤い匂いを伴った気配がやってきているのだから。遠く続く廊下を、終わらない螺旋の階段を、駆け下りるので精一杯なのである。

 座っている少年は、子供たちが廊下を階段を駆け行き、斬られていく様を目に映していた。目は開いているものの、彼は騒ぎに全くと言って興味がないかのように、その目に光はなかった。もしかすると、この少年に見えるものは、単なる壁の染みなのかもしれない。続く廊下を逃げ惑う生徒たちも、朱の斑を足跡に残しながら歩いていく教師も、この奇妙な少年を見向きもせず、流れるように前を通り過ぎていったのだから。


 子供たちの集団が途切れた頃、少年は額の紙を取り外し、立ち上がった。そして、その紙を壁と一体になってしまったかのような、今はもう動かない赤い物体に貼り付けた。紙は、水を吸って、たちまち赤くなって、黒い文字はにじみ、読めなくなってしまった。

 少年は、濡れた足跡の駆けている廊下を歩き出した。窓から差し込む斜めの光は黄昏の黄色で、もうすぐ全てが夜に包まれてしまうことを知らせている。どこまでも続く白い壁、音もなくただ歩いていく。


 生気を欠いた顔色の先生は、覚束ない足取りで、獲物を探すように、誰もいなくなった廊下を歩いていた。ふと、向こうから歩いてくる少年と、その廊下をうろつく先生の目が合った。空ろな表情が、唇が、不気味にゆがむ。焦点の定まらない目で、手に持った凶器を振り上げ、少年に襲い掛かかる。

 しかし、少年は落ち着いていた。あわてることもなく、その手に持っていた刃物に向かって、足蹴りをした。それは、折れて、床に落ちる。単なる2本のさびた鉄の棒が、転がった。少年は、すぐにそれを拾うと、窓に向かって投げ捨てた。ガラスは割れ、校庭に落ちていく。砕ける硝子と、木々の葉の擦れて囁く声の中に、鉄のカランと鳴る音が、響く。

 凶器を失っては、怖いものはないと、教師のいる方に眼を向けると、その姿は、もうすでになかった。どこかへ行ってしまった。消えてしまったかのように、白い壁の続く通路は、閑散と蛍光灯に照らされていた。


 少年は、窓から校庭を垣間見た。見てみれば、そこは、校舎から出てきた人であふれかえっていた。先ほどまで外をめざし廊下を駆け、生き延びた者たちであろう。

 その集団は、漣のように陰影を細かく揺らし、二つの影法師を取り囲むように、並び始めた。人混みの中心に、男と女がいる。男は鋭い刃物を持ち、もう片方の腕で、女が逃げないようにしっかりと捕らえている。その男は、先ほどまで、ここにいた教師にどこか似ているような風体であった。囚われた女は、いつ開放されるとも知らない恐怖に、体が硬直していた。彼らは黄昏に照らされて、その長く伸びた影と同じ色に染まっている。

 夕焼けの迫る、赤い画布の上の、その赤と黒の対比コントラストは、油絵の具で書いたかのように、鮮やかに流動の線で描かれている。

 このまま、ずっと、変わらずに夕闇が世界を覆い、闇に消えてしまうのかと思われたが、一つの小さな影が、人混みの繁みから現れ、女を助けたのが見えた。女は、その場から、駆けて逃げる様子が見えた。それと同時に、ざわめく人の集団が動き出す。ざわざわと、木の葉を揺らす風のように、静寂の中に揺れている。


 ――そして、日没と共に、深く霧がかかったように、いつしかその人の群れは、闇に見えなくなる。彼らは全て融けて見えなくなった。その暗闇は、目の中に映りこんで、さらに深く世界を染める。何も見えない、すべてが霞に覆われて、ただ一つ、廊下の天井(そら)に浮かぶ蛍光灯の灯りが、近づいてくるように感じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ