場面9・夢のようで
少年は、薄汚い階段の一段一段に、足を乗せて歩いていく。その階段の終わりは斜めに差し込む黄色の光に染まっている。小さなほこりが照らされ、上に下に虫のように舞っている。淡い色の暮れの昇降口には、誰も姿も無い。下駄箱の影が、スノコの上に落ちているだけである。静まり返ったその場所の壁は、さらに白い。
少年は、白いコンクリートの柱によりかかると、ノートを取り出した。
僕は彼が死なないよう、願いをこめて毎日ノートに書き記しているのだ。
白い紙の上に、黒いインクの文字がそう躍る。この言葉に、何か意味があるのだろうか、否、真意などはない。思い浮かぶことばを、ただ並べただけなのだから。意義などあるはずがないのだ。
気がつけば、いつでも、白い壁の前。眼を開けば、また、壁の前にいる。
自らの死を夢見ている。
子供は綺麗な色の薬を飲んだ、子供は狂ったように走りだし、壁に赤いしみをつくりだす。実験は失敗し、生徒たちは霧に意識を失った。教師は狂い切りつけ、生徒たちは逃げまどう。男は女を捕らえ、少年は女を助け、少年は男を斬りつける。
しかし、その夢には続きがある。どこまでも続く廊下のように、果ての無い流れの始まりへと。さらに、少年はそう書き綴る。
まだ、おわらないのだ。その殺戮は、再び始まっている。
走り出す子供たちの群れ。
その謎の少年は、だれにも気づかれない。
その僕と彼は、終わらない。
どこかで見たような文字の羅列が、意味を成さない記号のように、並んでいる。単なる曲線と直線の黒い集まりが、そのノートには、描かれていた。
少年は、そのノートから目を離し、ふと顔を上げた。向こうに見える校庭に人が集まっていた。それは、ざわざわとざわめくことしかしない、木々の葉の囁きのように、風に揺れているだけである。西に傾く太陽の逆光に、人々の色は絵筆で書いたかのように、赤と黒の濃淡に染まり、長く影を伸ばしている。
それは、終わらない夢のようで、まるで、霧がかかったかのように、はっきりとしない。そう、彼は言った。彼は何を考えていたのか。これは、おそらく霧の中だろう。人は輪郭のはっきりしない事象、物事は全て霧のせいにする。それは、終わらない夢のようで、まるで、霧がかかったかのように、はっきりとしない。
そう、彼は言った。
彼は、何を考えていたのか。それはおそらく霧の中だろう。
人は輪郭のはっきりしない事象、物事は全て霧のせいにする。
それは、終わらない、
夢のようで、
まるで、霧がかかったかのように、
はっきりとしない……
そう、彼は言った。僕は、何を考えていたのか。それはおそらく霧の中だろう。少年は、それを、すべて見てきた。だから、知っているはずなのだが、まるで、霞のかかったように、何も思い出せない夢のようで。思い出せば、はっきりとしない、いつも同じ白い景色。それがすべてだった。
そして、少年は、ページを最後までめくり、まだ何物にも染まっていない無垢の白い場所に、かすれた文字で鮮明に、こうしたためるのだ。
さようなら、と。
――そして、少年は広場に群れる集団の方へ向かって歩き出す。その姿は、人混みが形作る霧の中に、融けていく。
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――そして、白い空間で眠りに落ちた彼らは、また、それぞれの悪夢の続きを見る。
「さようなら」のノート
作者:まいまいഊ
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場面1:まるで霧がかかったかのように
永遠とも感じられる停止したその風景は、まるで写真か絵画のように、赤と黒の構図が流れるような太い流線で描かれている。
移り変わっているのは、暮れの 空のみ。
夕空の色は、黄昏から、茜へ、そして群青に変わりつつあった。
その残照に染まる広い場所に、人が集まっている。それは、単なる野次馬と呼ばれているモノ。彼らは、集まってはざわめき、見守ること以外の行動は何もし ない集団である。
その取り囲む人々の中心に、二つの影が身動きもせず立っていた。
その影は、夕焼けの逆光にますます暗く影を落とし、そこにあった。
影の男は刃物を持ち、 もう片方の腕で、女の首を背後から押さえつけている。女は、目の前にある鋭い刃物の輝きに、声も出ず、ただただ震え、体を強張らせているだけであった。
数台の黒いカメラが、微動だにしない彼らの動きを、一つ残らず撮影していた。
彼らは、女が解放されることを、願っているものの、心のどこかで、殺戮の絵 を思い浮かべそれを切望し、絶望している。だから、カメラは回り、その情報に人々は集うのだ。
――今、人ごみの中から少年がひとり、霧の中から現れるように、いつの間にか、人の集団から少し離れたところに、その姿を見せていた。淡々と男の背後へ回ると、瞬時のうちに腕をねじ上げ、刃物を地に落とした。囚われていた女は、男の腕をかいくぐり、助かった喜びに泣きながら、人混みの中へと消えていく。
少年は、女の脱出を確認すると、ねじ上げていた腕をさらにしっかりと捕らえ、背負い地面に叩きつけるように、勢い良く投げつけた。
地に頭を打ち付けて、白く薄れ行く意識の中で、男は、その少年のやけに真っ赤な唇が、にぃっと嗤うのを見た。