8話 俺の相棒を侮辱するな
ディーンとリンゼイは首をねじってマザランを見やる。
ベッケルフは彼の部下が捕縛したのだろう。引っ立てていく姿がマザランの背後に見えた。
「そいつの尋問はワシがする! 決して自死させるようなことはするなっ」
マザランが怒鳴る。拘束した騎士が頷いた。
同時に、参加者達も順次捕縛しているらしい。リンゼイはその様子に嫌悪感をあらわにした。
「捕まえるのは勝手だけど、申し送りは僕からするからね」
ぶっきらぼうにそう言うと、ふん、と鼻で嗤われた。
「ついでに、その娘のことも伝えたらどうだ。悪魔を身に宿したから、殺した、と」
「殺すつもりはないよ。封じ込められるんだから」
言うなり、リンゼイはディーンに視線を送った。
「抑えてて」
短く命じる。
ディーンは深くうなずくと、力いっぱい少女を抱きしめる。少女もそれが最善の策だと知ったのだろう。抵抗はしない。ただ、ぎゅっと。ディーンの背中にしがみついた。
「三つ数えるから。覚悟して」
リンゼイの言葉に、少女はディーンの胸に顔を埋めて頷いた。肩が小刻みに震えている。ぼう、っとリンゼイが生み出す炎が勢いを増す。
「いいかい? 三!」
言うなり、リンゼイは右手に纏った炎を少女の背中に押しつけた。
「おいぃぃぃっ!!」
「にゃあああっ!」
同時にディーンと少女は悲鳴を上げる。
リンゼイが生み出した炎は少女の背中を舐め、そして霧散した。後に残るのは煤けたように灰色に汚れた少女の背中だけだ。
「はい、おしまい」
にっこりとリンゼイは二人に告げる。その顔はまさに天使そのものだ。邪気もなく、欲も感じられない。
「嘘つきぃぃぃ」
少女がディーンにしがみついたまま、首だけねじって叫んだ。
ディーンもそんな彼女を抱きしめて糾弾する。
「酷すぎるだろ、お前っ。三つ数えるんじゃないのかっ」
「だって、身構えるでしょー? それよか、こっちの方が断然いいじゃん」
しれっとそんなことを口にしたリンゼイの言葉は、喰い気味に消された。
「それで、消滅したんだな!?」
声を発したのはマザランだ。足音荒く近づいてくる。
「消滅は僕にはできない。封じたまま、大司祭の前に連れて行くよ」
両腰に手をつき、リンゼイはマザランを睥睨する。
「それでいいでしょ。無駄な殺生は嫌いだ」
「奴らは、陛下の命を狙おうとしたのだぞ!? それどころか、余罪もあるのだっ」
マザランが怒鳴る。
口から飛んだ唾がリンゼイの足下に飛び、リンゼイは慌てて距離を取った。
踝を隠すほど長い異端審問官服の裾を持ち上げ、汚れがないかどうか大げさに確認しながら、上目遣いにマザランを見遣り、「ってかさ」と言葉を投げつけた。
「古今東西、王だの天皇だの、皇帝だのは命を狙われるんだ。日常の一コマじゃん、こんなの」
「日常の一コマであってたまるかっ」
マザランが口ひげを逆立てて大声を上げるが、リンゼイは怯む様子もない。丸腰だというのに、大刀を佩いた大男との間合いを詰める。
「日常の一コマにしたくないんなら、憲兵たちがもっとしっかりしなきゃいけなかったんじゃないの?」
形の良い人差し指をマザランの丸くてぼってりした鼻に突き立てた。
「異端の儀式を防ぐのは僕らの仕事だ。僕らは僕らの仕事をした。異端の儀式は防いだ。この子は」
リンゼイはマザランに向けていた人差し指を今度は少女に向ける。
少女はディーンの腕の中で肩を跳ね上げた。
「被害者だ。だから保護した。僕らの職命において、彼女は僕らが王都に連れ帰る」
きっぱりとリンゼイは言い放つ。
「その通りです。憲兵長殿」
ディーンも少女を腕に強く抱き、若葉色の瞳をマザランに向ける。
「大司祭に指示を仰ぎます。もし、不服申し立てを行うなら、教会に向け、大司祭宛にお願いいたします」
きっぱりとしたその物言いに、マザランは燃えるような瞳でディーンを睨み付けた。
「後悔するなよ、小童」
唸るようにそう吐き捨てると、マザランは踵を鳴らして部下の元に歩き出した。
「ねぇ、ちょっと!」
その背に、リンゼイが声をかける。
「なんだっ」
怒鳴りつけて首だけ振り返るマザランを、リンゼイは斜交いにみやった。
「さっき引っ立てた参加者達に尋問するの?」
マザランは口ひげを歪めて笑う。
「それがワシの仕事だからな」
「じゃあ、順番は譲るよ。うちは先に、この子を王都に送りたいし」
リンゼイは肩を竦めて口をへの字に曲げる。
「だけどさ」
素早くそう言葉を継ぐと、黒瞳に険しい光を宿してマザランを見据えた。
「その後、教会が尋問するから。誰一人、傷つけないでしょ」
マザランは黙ってリンゼイを睨む。リンゼイはそれを真正面から見据えて言葉を発した。
「誰一人傷つけるな。誰一人殺すな。彼らの身元は異端審問官である僕の支配下にあるんだから」
凜とした声を、マザランは低い声で笑い飛ばす。
「教会の威光を振りかざしおって」
口元を歪め、瞳に好色の色を宿してマザランはリンゼイを見遣った。
「男ばかりの教会ではお前のような容姿の者はさぞかし出世も早かろう。何を使った? 体か。何を咥えて、しゃぶったんだ?」
どっと嘲笑が上がる。リンゼイの頬に血の気が失せた。
象牙色の頬は、だが次の瞬間には刷いたように朱が混じる。彼の手元から炎が立ち上がったからだ。
「……殺すっ」
低く呟き、半眼になったリンゼイだったが。
彼の目がとらえたのは倒れ込むマザランの姿に違いない。
なぜならディーンが。
マザランを殴り飛ばしたのだ。
「……ディーン……」
リンゼイのつぶやきが背後で聞こえた。
ディーンは殴り飛ばしてもなお収まらない怒りを鎮めるため、意識してゆっくりと呼吸する。
広く大きな背中が二度三度、上下した。
右拳を握りこんだまま、足下にはころがるマザランをみおろす。
なにが起こったのか理解できないらしい。
地面に尻をつけ、腫れ始めた頬に手を当てたまま、呆然とマザランはディーンを見上げていた。
「俺の相棒を侮辱するな……」
声を震わせてディーンはマザランに言い放つ。