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祝福の花吹雪をあなたに  作者: 武州青嵐(さくら青嵐)
1章 異端審問官と護衛騎士
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7話 そのまま殺してしまえ

「我に……」


 ふわり、と吹き上がる黒い靄から、気泡が生まれる。気泡が破裂すると同時に、声が漏れた。


「願いを……」


 ぶくり、と気泡が生まれ、また潰れる。少女が悲鳴を上げた。

 捩るように、這うように祭壇を移動するが、後ろ手に縛られている上に腰でも抜けたのか、立ち上がれない。

 あれほど気丈に振舞っていたのに、いまは自分の背中から吹き上げる黒い靄を顔に受け、泣き出していた。


「託す者は……」

 ぶくり、と気泡が弾けた。


「誰だ?」

 声が、問うた。


「取り消しだぁ、そんなものっ」


 リンゼイは言うなり、司祭服の袂をはためかせて腕を振り回す。連動したように炎の渦は回転数を上げて黒い靄を二つに断った。


 ぶつり、と。

 靄が、個体のように断絶される。


 地面に落ち、拡散するかと思われた靄は、乾留液(タール)の玉のように、ねっとりと広がった。どろり、と祭壇を浸食し、しかしまた、気泡を上げる。


「我に……」

「黙れっ」


 リンゼイが腕を振る。炎は乾留液を舐め、勢いを上げて燃やし尽くす。


「願いを……」


 少女の背中から。いや、魔方陣から吹きだす靄から気泡が割れる。ぼつり、と抑揚のない声がまた漏れた。


「しつこいぞ、おいっ!」


 言うと同時にディーンが剣を一閃させた。

 少女の背中の紙一重を刃が撫でる。靄は再び断たれ、祭壇に散り広がる。


「うまいっ」


 リンゼイが弾んだ声を上げた。

 ディーンの肩越しに炎がうねり、飛び出す。吹きすさぶ音を立て、火の粉を散らし、炎は襲いかかる。燃え尽くす。黒い、靄を。


「立たせて、その子を!」


 リンゼイの声は、彼の足音に重なっていた。ディーンは素早く立ち上がり、少女に駆け寄る。


「大丈夫か?」


 祭壇に俯せで横たわる少女に声をかけるが、声を無くして泣くばかりで反応がない。ディーンは剣を鞘に収めると、少女の体をまたぎ、両腰を掴んだ。「ひぃ」と少女が悲鳴を上げるから、何度も謝りながら両腰を持ってつり上げる。


 両足を地面につかせると、少女は頽れそうに上半身を倒す。

 慌てて前に回り込み、ディーンは少女を抱きしめた。ぐい、と。少女は額をディーンの胸に押しつける。


 嗚咽を漏らす彼女が話せないのはまだ猿ぐつわをしたままだからだ。ディーンは片手で彼女の腰を抱き、片手で彼女の猿ぐつわを解いてやる。


「もう大丈夫だから」


 そう言い、頭を撫でると、胸に押しつけていた彼女は顔をぐいと上げてディーンを睨み上げた。


「腕もっ!」


 掠れた声で命じられた。猿ぐつわのせいで口元から顎にかけて涎まみれだが、少女は目力強くディーンを睨み、怒鳴りつけた。


「腕も解きなさいっ」


 いきなり命じられた。


 勢いに飲まれてディーンはがくがくと首を縦に振る。腰ベルトに挿した短剣を抜き取り、片手で少女を抱きしめたまま、後手に縛られた荒縄を断ち切った。


 途端に。

 ディーンの胸から腹にかけて、圧迫を感じた。


 どん、と。

 押されるような勢いに一瞬よろめき、だけど踵に重心をかけて体勢を立て直す。


 そんなディーンに。

 少女は抱きついた。


 背中に腕を回し、軍服に顔を埋める。猿ぐつわを解いたというのに、「うぐぐぐぐ」と呻きながら泣いていた。肩は細かく震え、「ふぐう」と呼吸するたびに薄い背中は大きく膨らむ。魔方陣を書かれた背中は無残にすすけて黒くなっていた。


(そりゃ、怖かったよな……)


 ディーンは短剣を床に放り出し、両手でその背を撫でてやった。触れた直後こそ、びくりと大きく肩を弾ませたが、「大丈夫」と声をかけると、「うぐぐぐぐぐ」とまた泣き始めた。


 小さな躰だ、と思う。


 ディーンの腕の中にすっぽり収まるし、肩幅だって全然ない。背など、ディーンの顎にも届いていない。


(本当は、怖かったんだよな)


 凄み、唸り、暴れていたが、本当はこうやって誰かにすがって泣きたかったのかも知れない。少女の泣き声は、自身の心から恐怖や怯えや苦しみを吐き出しているように見えた。


「ようし、ディーン。そのまま、そのまま」


 背中を撫でてやっていると、いきなりリンゼイが祭壇に飛び込んできた。彼にしては機敏に走り、そしてその利き手には炎を纏わせている。


「なにがそのままなんだっ」


 思わずディーンは少女を抱きしめて庇う。腕の中の少女も、ギョッとしたように背後にいるリンゼイを見やった。


「魔方陣を封じる」


 言うなり、燃え上がる右手を掲げた。少女が悲鳴を上げ、ディーンにしがみつく。ディーンも少女を抱きしめたまま、体をよじってリンゼイの視界から隠した。


「何をする気だ!」

 思わずそう問うと、キョトンとした顔でリンゼイはディーンを見上げた。


「魔物が出てこないように、魔方陣の表面を炙るだけだよ」

「熱くないのか!? 痛くないんだろうな!?」 


 勢い込んでそう尋ねるディーンに、リンゼイは首を傾げて見せた。


「もやっ、っと熱い程度だと思うよ。痛くない痛くない」

「本当なんでしょうね!?」

「本当なんだろうな!?」


 ディーンと少女は同時に尋ねる。「平気、平気」とリンゼイは暢気に応じた。


「むしろ、このままにしておく方が危険だよ。だって、また、あの黒い気体が噴き出すんだよ? で、尋ねるんだ。『願いを言えー』って」


 リンゼイがおどろおどろしい声で言うものだから、思わずディーンは腕の中の少女を見る。


 少女は。

 助けを求めるように潤んだ瞳でディーンを見上げていた。


「……痛く、ないんだな?」

 改めてディーンはリンゼイに問う。


「平気、平気」


 返すリンゼイの声は軽い。にっこり笑顔で炎を右手に掲げて歩み寄る姿に、ディーンは怯えた。本当に、大丈夫なのか、と。


「今、ここでやっとかないと、大事になるよ」

 リンゼイがそういったときだ。


「そのとおりだ、異端審問官」


 マザランの声が空気を打った。


「その娘の中に悪魔が居るのなら、そのまま、殺してしまえ」


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