6話 我の望みは
「僕が魔方陣を! ディーンは奴を!」
リンゼイが怒鳴る。頷くより、返事をするより先に。
ディーンは駆けた。
ベッケルフの足下で少女がもがく。
押さえつけるようにベッケルフはさらに力強く、踏む。少女が悲鳴を上げた。
ベッケルフの短剣が少女の背中に吸い込まれるように、まっすぐ向かう。
魔方陣の。
中心へ。
「止めろっ」
ディーンのつま先が地面を蹴った。
飛ぶ。一息に翔けた。
柄を握り、抜刀する。神速と怖れられたその剣の切っ先は、鞘を軌道に勢いづいた。澄んだ音を立てて剣が走りでる。半弧を描いて振り出た剣は、少女の背中に短剣が突き立つ寸前に弾き落とす。
「くそっ」
ベッケルフが罵声を吐いた。落ちた短剣を視線が追うが、遠い。拾うには、少女から足をどけなければならない。
「それまでだ!」
祭壇に飛び乗ったディーンの長剣がベッケルフの視界を掠める。動きを止めた。切っ先はベッケルフの喉に突き立てられている。
同時に、轟音が鼓膜を撫でる。ベッケルフは目を細め、ディーンの背後を睨みやる。
旋風を伴う炎が彼の背後で蜷局を巻いていた。まるで蛇のように鎌首をもたげ、ベッケルフを上空から見下ろしている。
「動くなよ」
ディーンは鍔を鳴らして刃を立てる。峰じゃない。刃がベッケルフの首に押し当てられた。炎に彩られた緑色の瞳は、だがすぐにベッケルフの足下の少女に向けられた。
「大丈夫だ」
目元を和らげ、ディーンは少女に語りかける。少女は荒い息のまま顎を上げ、ディーンを見た。
紫水晶のような瞳が、真っ直ぐに自分を見ている。
いや、射抜いていると感じるほど強烈な視線だった。
「すぐに」
助けてやる。そう言ったディーンの声は、ベッケルフの咆哮にかき消えた。
「今、贄を捧げる!」
ベッケルフは力いっぱい少女の背を踏みつけた。甲高い悲鳴を少女は上げる。
「止せっ」
ディーンは怒鳴ると同時に、切っ先をベッケルフの首に突き立てる。
だが。
ベッケルフは咄嗟に首を捩って致命傷を防いだ。首の皮膚を破り、血を吹き出しながらもベッケルフは叫ぶ。拳を振り上げた。指を広げる。片膝をつくと同時に少女の背中に爪を立てる。
魔方陣を、爪で、掻いた。
少女の皮膚が破ける。
赤く。
細く。
痛みを伴った傷跡が。
少女の背中を。
その背に描かれた魔方陣の上に。
長く長く長く、刻みつけられる。
「伏せろ! ディーン!」
鋭いリンゼイの声に、ディーンは反射的にその場にしゃがみ込んだ。空気を揺るがせ、火の粉を散らし、炎は螺旋を描きながらベッケルフの手を急襲した。
「我の望みは、国王パルメトの破滅!」
ベッケルフは拳を燃やしながらも喚いた。
「国王パルメトを殺してくれ!」
ベッケルフはそれだけ叫ぶと、悲鳴を上げながら拳を振り回す。執拗に絡みつく炎をふりほどこうと、必死に、滅茶苦茶に振り回す。
「捕縛しろ、馬鹿共!」
リンゼイの声に、弾かれたようにディーンは彼を見る。リンゼイは司祭服の裾を蹴散らしながら地団駄を踏み、憲兵達を糾弾していた。
「なにやってんだよ、ぼっとすんなっ」
罵倒され、ようやく憲兵達は動き出す。
祭壇の上で焼けただれた拳を抱え込み、呻くベッケルフに駆け寄ろうとした。
その時だ。
真っ白な閃光が室内を覆った。
「なっ……」
ディーンは首を縮めて地面に低く身を伏せる。一瞬、何かが爆発したのかと思ったのだ。爆防体勢を取ろうとしたとき、リンゼイが「眼を開けろっ」と怒鳴る。
慌てて亀のように首を伸ばす。
顔を上げる。
目を開いた。
どろり、と。
いや、ぬたり、と。
粘着質な糸を引きながら。
床に横たわる少女の背中から、得体の知れない黒い靄が吹き上がり、飛沫を上げていた。