46話 本当にあなたがいてくれてよかった
◇◇◇◇
数か月後。
リンゼイとセシリアは馬車の中にいた。
「そんなに緊張すること無いって、セト。じゃなくて、セシリア」
リンゼイは陽気に笑うと、向かいの席に座るセシリアに手を伸ばす。膝の上に組んだ指は、白くなるほど握りしめられ、リンゼイはその手を上からぽんぽんと叩いてやる。
指が何かに触れたと思ったら、どうやらセシリアは腕輪をしているようだ。目を向けると、安っぽいトンボ玉が見えて、リンゼイはくすりと笑った。
あの日、射的でとった景品だ。
「本当に、あなたがいてくれてよかったですわ」
そう言うセシリアの声は、揺れる馬車のせいだけではなく、震えている。ちらりとリンゼイはセシリアを見た。
絹の、白いヴェールをすっぽりと被り、俯いているせいで表情らしいものはうかがえない。ヴェールは長く、彼女の上半身を覆い隠しているが、その背が丸まり、怯えたように縮こまっていることは察せられた。
「前斎王さまが呼んでる、って聞いた時はびっくりしたけどね」
リンゼイは陽気に笑う。つられたように少しセシリアは顔を上げたようだ。「ふふ」と小さな笑い声が聞こえた。
「落ち着いたら、絶対あなたには声をかけようと思っていました」
悪戯っぽく笑うその声に、リンゼイは肩を竦めて見せた。
「声をかけてくれるのは良いけど、内容までちゃんと伝えてよね。僕、絶対なんか叱られるのかと思った」
「わたくしがリンゼイを叱ることなど」
セシリアは顔を起こす。ヴェールのせいで顔は曖昧だが、声に力は戻ってきたようだ。
「リンゼイがいつもわたくしを叱っていたのではありませんか」
「君があまりにもポンコツだったからね」
リンゼイとセトは声を合わせて笑う。
数ヶ月前の騒動は。
ようやく沈静化の動きを見せた。
ベッケルフと共に捕らえた異端者たちから憲兵が聞き出したかったことは、ただ一つ。
神殿からいなくなった、斎王の行方だ。
ベッケルフについては途中で逃げ出されてしまったが、憲兵は執拗に異端者から彼女の行方を探った。
その情報から、生け贄として使用された銀髪の少女が斎王だと知る。
地下のあの場所で。
自分の目の前にいたあの少女が斎王だと知り、マザランは真っ青になった。
なにしろ、彼は異端審問官に、その少女を『殺せ』と命じたのだから。
マザランは叫んだ。
『彼女を丁重にお迎えしろっ』
憲兵から極秘裏の命令を受け、斎王付の一角騎士団が密かに派遣され。
そして。
彼女は保護された。
一方。
『彼女が斎王だと、誰にも知られるな』
憲兵とは別に、教会からの指示は徹底された。
斎王が神殿から抜け出したなど、とんでもない醜聞だ。
異端集会からずっと彼女を守り続けていた、異端審問官とその護衛騎士にも、事情は伏せられた。
そして。
王都に着いたリンゼイとディーンが教会から命じられたのは。
「捕縛した異端者から、儀式を行った理由を聞きだせ」ということだった。
首謀者のベッケルフが死んだ今、明確で正確なことは分からないだろうと思っていたのだが。
「火刑に処するつもりはない」とリンゼイがきっぱりと告げたことから、捕縛者たちから意外な事実が知れた。
「国王暗殺により、王妃を自分の妻にしようとした」
そんなベッケルフの目的を聞かされたのだ。
「ベッケルフは、哀れな王妃のために、呪術によって、国王を殺そうとしたのだ」と。
王妃と国王の不仲は、王室関係者では知らぬものはいない。
国王は王妃の美貌や立ち居振る舞いに心底惚れ込んでいるが、王妃が国王を毛嫌いしていることは明白だった。
その王妃を、ベッケルフは。
自分の妻にしようとした。
自分が国王になろうとか、国王に個人的な怨みがあるとか。
そんな理由では無い。
国王が亡き後、未亡人になった王妃を妻として迎え入れようとした。
そんな動機は、様々な憶測を呼ぶ。
『国王をあそこまで拒否したのは、実は王妃に恋人がいたからではないか』
『その恋人がベッケルフではないのか』
『ふたりは画策し、国王を殺して正式に再婚しようとした』
『いや、そもそも』、『ああ、そうだ』、『なんだ、おなじことを考えているようだな』
だいたい、あそこまで不仲なのに、どうして三人もの子が成せたのだ。
誰もが改めてそう思ったという。
国王が王妃の寝室に向かうのは、実は年数回あるかどうかだ。三人目の女児が生まれてからは一度も訪問していない。
そして、と誰もが改めて王子と王女の顔を思い起こす。
顔が似ているのは。
第二子セシリアのみだ。
あとは王妃マチルダには似ているが。
誰に似ているのだ、と。
また、別の噂も流れた。
『王妃とベッケルフは通じていたが、その執着の強さに、王妃はベッケルフを罠に嵌めたのだ』と。
そもそも。
どうして、情報が流れたのだ。
異端の技を、ベッケルフが使うということを。
誰が流出させたのだ。
それは。
王妃では無いのか、と。
ベッケルフに異端を勧め、その口で教会に密告したのではないか。
罠に嵌め、ベッケルフの存在自体を消すために。
もちろん、誰も表だってはそんなことは何も言わない。
ただ、漣のように噂は王宮を駆け抜け、そして旋風を巻き起こす。
噂を知り、蒼白になった王妃マチルダが国王に弁明の機会を申し出たが、国王は彼女を「病気療養のため」という名目で他領の屋敷に閉じ込めた。
国王から白い目を向けられた王子は、その視線から逃れ出るように、『留学』という名目で、婚約者をおいて、他国へ逃げ出した。
他国に嫁いだ妹も、噂を聞いて嫁ぎ先に説明を求められているという。
そんな。
兄妹が不在の王室に、セシリアは戻ってきた。
数年ぶりの王宮はどこかよそよそしく、彼女を迎えてくれた。国王など、今まで見たことも無い笑顔で彼女の馬車にまで足を運んだという。
自分に似ている、というだけで盲目的にセシリアに愛着を見せた国王だが、セシリアはすぐにニールゼン伯爵の要請を受けて王宮を出る。
理由は、かねてより婚約中であったディアウィン・ニールゼンとの婚儀のためだった。
国王は婚約の破棄と婚儀の停止を求めたが、ニールゼン伯爵は受け入れない。逆に、そこまで愛着を示す姫君と自分の息子の婚儀を喜んだ。すぐに息子とその嫁となるセシリアの為の屋敷を急造し、侍女や執事を整え、万全の態勢で臨んだ。
新居に必要なモノがあるだろうか、とニールゼン伯爵がセシリアに尋ねたとき、彼女は首を横に振ったものの、ふと思いついたように、小太りで髭だらけの未来の舅に申し出た。
『屋敷に向かうとき、異端審問官を同席させて頂けませんか?』
きょとんと目をしばたかせたが、ニールゼン伯爵はすぐさま応じた。彼女は斎王として長年過ごしたのだ。聖職者を同席させたい気持ちがあるのかもしれない。それに、自分の息子も異端審問官付の騎士だ。別に断ることはあるまい。ニールゼンは鷹揚に頷き、それを認めた。
そして。
次の派遣を教会で待つリンゼイのもとに、王室から使いが来たのだ。
『前斎王が貴殿を呼んでいる。すぐにはせ参じるように』
そう言われ、慌ててやって来てみれば。
『久しぶりですね、リンゼイ』
にっこり笑って微笑むのは、セシリアだった。




