表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祝福の花吹雪をあなたに  作者: 武州青嵐(さくら青嵐)
3章 それぞれの事情

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/49

43話 どうしてわたくしはひとりなの!

◇◇◇◇


 ごぼり、と闇に飲まれたディーンだったが、すぐに光を感じた。

 明るい方に目をやる。


 自分の頭の上だ。瞬きをすると、それが火球だと気づいた。


 リンゼイの、炎だ。

 正直、どちらが「上」でどちらが「下」なのか見当がつかなかった。まるで水の中に放り込まれたように体の動きは悪く、まとわりつくようにもったりとする。


 ディーンは、火球があるほうを「上」と決め、両腕で掻く様に前に進んだ。

 一歩一歩が重く感じるが、ディーンは水流の中を進むように、足を蹴りだす。


「……セト……?」

 自分の前方を、背を向けて走る人影が見えた。


 ディーンは目を凝らし、眺める。

 銀の髪に、すらりとした四肢。ふわふわとした白いワンピースを着ているその人物は。


「セト、なのか……?」

 ディーンは呟く。


 その人影とは確かに距離があった。

 あちらは抵抗なく走れるのか、動きに無駄がない。そのせいで、ディーンは必死に足を動かしているというに、その距離が一向に縮まらない。


 遠くに、見えているからだろうか。


 なんだか。

 セトが、いつもよりか細い。


「リンゼイ、明かりを!」


 ディーンは火球に向かって声を張る。火球はその場で数回回転をすると、光量を増やして燃え盛った。


「セト!!」

 ディーンは声を張る。


 やはり。

 後姿はセトに似ている。


「セト! 待て!!」


 大声を上げ、必死に足を動かすと、セトらしき人物が足を止めた。

 きょろきょろと左右を見回している。ディーンは前のめりになりながら、あがくように歩を進めた。


「セト!」

 さらに大声を張ると、その人影は振り返った。


「……ディーン?」


 尋ねる声に。

 自分を見る顔に。

 相対した体に。


 ディーンは思わず動きを止めた。


「ディーン。わたくし、急いでいるんです。なにか御用ですか?」


 ぱっちりとした大きな菫色の瞳。急いで走っていたのか。上気している桃色の頬。おろした銀色の髪は長く、腰まで伸びている。


 その声は確かにセトで、姿形も、「おおよそのところ」セトだった。

 ただ。

 痩けた頬に、落ちくぼんだ瞳。ノースリーブのワンピースから伸びる足も腕も、まるで枯れ枝のようだ。関節がごろり、と浮き上がり、張りの無いなめし革のような皮膚が骨を纏っている。


 銀の髪も。

 艶が無く、まるで薄汚れた毛束のようだ。


「……どこに。行くんだ?」


 ディーンはゆっくりとセトに近づいた。セトは焦れたように自分の背後を眺め、それから気まずく「ちょっと急いでますの」とはぐらかした。


「急いで、どうするんだ?」


 ディーンの歩みは遅々としているが、それでもセトが立ち止まっているから距離は詰まった。

 気づけば、セトの目の前に彼は立っていた。


「随分と、物騒なものを持ってるね」


 間近で見ると、本当に痩せこけている。

 まるで骸骨のようだ。


「そう、ですか?」


 セトは慌てて自分の背後にナイフを隠した。落ちくぼんだせいで、さらに大きく見える瞳をぱちぱちと何度か瞬きさせ、せわしなく視線を彷徨わせる。


「わたくし、本当に忙しくて……」


 セトは口をとがらせてそう言った。「みたいだね」。ディーンがうなずく。セトはほっとしたように顔をほころばせた。


「すぐに用事を済ませますわ。ですから、ディーンはここで待っててください」


 にこりと笑い、ワンピースの裾を翻す。さらに駆けようとした彼女の手首を、ディーンはつかむ。その細さに、堅さに、ディーンは一瞬怯んだ。


「なんですの?」 


 驚いたようにセトは振り返った。右手でナイフを持ち、左手をディーンにつかまれたま、きょとんと彼を見る。


「一緒に、帰ろう」


 ディーンはセトに微笑んだ。セトはにっこりと笑み返す。「ええ。帰りましょう」。そう頷く。


「ですが、今、わたくし急いでおりますの」

 セトは小首を傾げた。


「もう少し待ってて下さい、ディーン。そうすれば、わたくしも帰りますわ」

 ディーンは首を横に振る。


「今すぐ帰ろう。俺と」


 断言する。手を握った。そっと、力を込める。慎重に。本当に折れそうなほど細い腕を。


「本当に、すぐ済むんです。ねぇ、そうですわね」


 セトは紫色の瞳を宙に向ける。ディーンには何も見えないが、セトはそちらに向かってしきりに話しかけ、そして頷いたり首を傾げたりしていた。


「ですからね、ディーン」

 早口にセトはディーンに視線を向けて言う。


「もう少しだけで良いんです。待ってて……」

「ダメだ。帰ろう」


 ディーンは強い口調で言い切った。慎重に自分の方にセトを引き寄せる。


「俺と帰ろう」


 言った途端、大声で喚かれた。「いやよ!」。続いて、セトは悲鳴を上げる。


「いやいやいやいやいや!!!」

 片手をディーンに掴まれたまま、ナイフを握る手を振り回す。


「帰らない、帰らない、帰らない、帰らない! いやよ!」


 無自覚に振り回すせいで、ディーンは彼女の両手を握ることが出来ない。ただ、上半身を反らし、そして左手をしっかりと握ったまま、「セト」と名前を呼びかけた。


「あそこはいや!」

 セトは叫んだ。


「怖い、怖い!」


 セトの目に涙が盛り上がる。ふくれあがったガラス玉のような涙は、ぼろぼろと頬を流れる。渇いて、ひからびた皮膚を滑りきれず、滞り、ぬめりながら顎から滴を垂らした。


「どうしてわたくしだけ、ひとりなの!?」


 ひぃっく、としゃくり上げ、セトは目ばかり大きな顔をディーンに向ける。


「どうしてわたくしだけ、こんな目に遭うの!」

 嗚咽混じりに咳き込む。


「どうしてわたくしだけ、お母様に似なかったの!」

 セトは無茶苦茶に地面を蹴りつけた。


「どうしてわたくしだけ、醜いの!」


 彼女の叫びに、ディーンは気づいた。


 今目の前にいるこのセトは。

 彼女が自分自身で思い込んでいる姿なのだ、と。


 骨張り、痩せこけ、かさついた肌と糸束のような髪。


 思い起こせば、最初から彼女はどうにも、「自己像」に歪みがあるような気がした。

 いくらディーンとリンゼイが「教会関係者」であるとはいえ、無頓着すぎる。そんな肩書きの前に、「男」だという危機意識がいつも欠落しているように思っていた。


 もちろん、聖職者が女性である自分に何かするはずがない、という前提条件があるのだろうが。

 それにしても、無防備すぎるし、自分自身を守ろうという意識も薄い。


 それは。

 自分が醜い、と。


 そう、思い込んでいるからではないか。


 思い返せば、彼女自身、何度もそう言っていたではないか。「わたくしは、醜いですから」と。

 あれは、謙遜でもなんでもなく。


 心底、そう思っていたのだ。


 ディーンは、自分の腕をふりほどこうと、奇声を上げてもがくセトを見る。

 痩せて、衰えて、ただただ、目だけを見開いた少女だ。


 奇異な目で見られこそすれ、異性が声をかけようとは思わないだろう。ましてや、性的対象としてなど考えにくいかも知れない。


 だから、セトは無防備なのだ。

 こんな自分など、誰が振り向くのだ、と。

 誰が手を出そうとするのだ、と。


 だからこそ。

 政略結婚にしか使えない、と自分自身で思い込んでいるのだろう。


 持参金。肩書き。血筋。

 そんなものが欲しくて、男は自分に近づくのだ、と。


「セト」

 相変わらずナイフを振り回すセトに、ディーンは声をかけた。


「セト、帰ろう。大丈夫だから」

「なにが大丈夫なの!」


 セトが金切り声を上げた。「戻らない! 嫌よ!」。目から涙を溢れさせた。


「君は綺麗だ。誰が見てもそう思う女の子だ」

 ディーンの声かけに、引き攣れたように笑う。


「じゃあ、どうしてわたくしは一人なの!」

 セトは肩で荒い息をしながら、ディーンを睨み付ける。


「じゃあ、どうしてディーンはわたくしのことを好いてくださらないの!」

 怒鳴りつけられ、愕然とする。


「わたくしが醜いからでしょう!」


 肩を震わせて、泣きながら笑うセトに、ディーンは違う、と叫ぶ。


 心の中で叫ぶ。

 本当は好きなのだ、と。

 君のことが忘れられないのだ、と。


 他の男に触れさせたくは無いのだ、このままかっさらって逃げたいのだ、と。


 だが。

 開いた口唇は震え、結局閉じて噛みしめた。


 伝えてどうするのだ。話して聞かせて、どうするのだ。期待だけさせて、それで放り出す方が残酷ではないか。


『君のことが好きだ。だが、俺にも許嫁がいる。その人を大切にしたいから、この話はこれでおしまいだ』


 そんなこと、言えるはずが無い。


『ただ、君の好意は俺も嬉しいから、時々会って話をしようじゃないか』


 そんな卑怯な真似が出来るはずもない。


「ほら、やっぱり!」


 セトは無言のままのディーンを見てひとしきり笑うと、疲れたようにその場に座り込んだ。腕を掴んだままのディーンは、つられるように腰を折る。


「どうしても、わたくしを連れて帰るとおっしゃるのなら」

 セトは涙で濡れた瞳をディーンに向けた。


「わたくしの亡骸を連れ帰って下さい。わたくしはもう、あそこには帰れません」


 そう言うと、ディーンにはわからない宙を眺めやり、「もう疲れました。知りません」と言い放っている。


「それでは、宜しく頼みますよ、ディーン」


 セトは言うと、右手に握るナイフを自分の首に押し当てる。ぐい、と切っ先を細い首に突き立てようとした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ