35話 夜遊び
◇◇◇◇
「はぁ、もう……。やれやれ」
悲鳴寸前のような声を上げてディーンはセトを宿屋のベッドに座らせた。
ずっと、右腕でリンゼイの腕をとって歩き、左腕で、セトの腰を抱いて歩いていたせいで、背中も腰も鈍く痛い。
「とーっても、おもしろかったですわ」
セトはベッドに座り、ぷらぷらと脚をゆすりながら笑った。ディーンは自分の肩を軽く回しながら、苦笑いだ。
飲みなれない酒のせいだろう。
セトの身体はふわふわと心もとない。
(まあ、座らせたし。大丈夫だろう)
こじんまりとした部屋を歩き回り、カーテンを閉める。
ついでにさっきセトが脱ぎ散らかしたサンダルを揃えて、ベッドの下においた。それから枕頭棚に置かれたカンテラの絞りを回し、光量を調節する。するとディーンの長い影が、床に伸びた。
「リンゼイは、本当にお酒が飲めませんのね」
くつくつとセトが笑う。ディーンも小さく笑い声を立てた。リンゼイは今、高いびきで部屋で寝ているはずだ。
『冒険してみないかい、お嬢ちゃん』
とリンゼイはセトに言っていたが。
言った本人も含めての冒険だったようだ。
大通りではなく、旅商人や一般市民が娯楽に訪れるような裏通りに向かった三人は、とりあえず、『入ってみたい店』に、入り、冒険してみることにした。
立ち飲み屋に行きたい、と一番に宣言したリンゼイだったが、カウンターが彼よりも少々高い位置にあったため、麦酒の受け取りが、リンゼイが思っていたものと違っていたらしい。
背伸びをして、「よいしょ」と受け取る姿に、周囲の客が爆笑し、「今日がデビューかい」とからかわれながらも、おごってもらったりした。
ちなみに、バーテンダーがカウンターにジョッキを滑らせて客が受け取る、というのをやってみたかったらしいが、麦酒がだばだばとカウンターにこぼれ、「……想像したのと違う」と、ここでも肩を落としていた。
次にセトが「あそこが良いです」と言ったのは、焼鳥屋だ。もくもくと煙が立ち込める店で、一見薄汚い印象だが、人気はあるらしい。ディーンがのぞくと、焼き場があるだけで、客はみな、立って食べている。大丈夫か、とディーンはセトに確認したが、彼女は目を輝かせて、うなずき、提供された焼鳥を受け取ると、立ったまま串にかぶりついた。
「たれが、落ちてる落ちてる」
慌ててリンゼイがハンカチで彼女の手を押さえる役に回る。ディーンはディーンで、べとべとに汚れたセトの口周りを拭くという、二人の世話付きで、彼女は思う存分『立ち食い』を堪能した。
「「あれをやりたい!」」
その後、ふたりが同時に指さしたのは、射的だった。
カウンター越しに景品が並び、それを弓で撃ち落とす遊びのようだ。「やりたい、やりたい」とディーンに手を伸ばすから、仕方なくディーンは彼らに小銭を渡す。受け取った二人はウサギのように駆けると、店主に何か言いながら争うように弓に矢をつがえた。
だが。
「……」
離れて見ていたディーンは肩を震わせて笑うのをこらえた。商品に届くどころか、まともに矢が飛ばない。「はい、残念賞」と店主に飴玉を握らされて、がっくりとふたりは肩を落としている。
「「ディーンっ」」
結局二人は振り返り、右手をリンゼイが、左手をセトがつかんで射的まで引きずって行った。
「なんだよ。無理だよ」
ディーンは二人にそう言ったが、目をらんらんと輝かせ、「ディーンならとれる」と励まされる。
「……どれが欲しいんだ」
ため息交じりにそういうと、セトはトンボ玉が数珠つなぎになったブレスレットを指さし、リンゼイは葉巻を指さした。
「葉巻って、おまえ……」
トンボ玉のブレスレットはともかく、葉巻など吸うのか、とディーンはいぶかしんだが、さっきの麦酒で気が大きくなっているのか、「もう僕は大人だ」とわけのわからないことを主張してくる。
仕方なく、店主に金を払い、弓を持つ。矢は三本もらえるらしい。弦を引いてみるが、「ま、これじゃあ飛ばないよな」と笑いだしたくなるほど、ゆるい。試しに矢をつがえ、弦を軽く引いた。手ごたえがまるでない。ディーンはそこからさらに引き絞る、弓が折れるかな、と思ったが存外強く抵抗した。
これならいけるかも、とさらに引く。ぎちぎち、と弦が鳴り、店主の顔が青くなったが、まずは「立っている」葉巻に狙いをつけ、矢を放つ。
簡単に葉巻が倒れ、リンゼイが両腕を突き上げて喜んだ。
次にブレスレットに狙いをつける。
ブレスレットは、木の棒に固定されていて、あの棒ごと後ろに押し倒すらしい。さっきの要領で木の棒の上部に二本、矢を当てると、意外にあっけなくカウンターからブレスレットは落ちた。
「ありがとうございますっ」
セトはディーンの腰にとりついて喜び、見ていた観客もやんややんやと歓声を上げた。
最後に、「ディーンはどこに入ってみたいんだ」とリンゼイに促され、「じゃあ」と、指さしたのは、綿菓子を作っている屋台だった。
「綿菓子!?」
リンゼイは素っ頓狂な声を上げたが、ディーンは、「食ったことがないんだ」と照れて笑い、セトは、私もだ、とばかりにうなずく。
セトとディーンは満足そうに綿菓子を堪能したが、リンゼイは「つまらん、つまらん」と言い続け、結局「カクテルが飲める店に入ろう」と、入った店で。
酔いつぶれた。
「本当に、楽しかった」
セトは笑った。
たぶん、リンゼイはセトの負の感情を発散させるため、気晴らしのためにこんな企画を申し出てくれたのだろう。セトは思う存分楽しんだ。腹の底から笑った。声を上げて。
ディーンにはそのように見えた。
ほんの数時間だが、自分の立場も、もう二人とは別れが近い、ということも忘れた。
セトが手を持ち上げる。手首を彩るのは、射的の景品でもある、トンボ玉だ。白地に花柄がつけられただけの簡易なもので、凝った細工も箔も押されていない。磨きだってなされておらず、トンボ玉を通す紐は麻紐だ。
だが。
「ディーン、ありがとう」
まるで高価なもののように彼女は幸福そうだ。




