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祝福の花吹雪をあなたに  作者: 武州青嵐(さくら青嵐)
3章 それぞれの事情

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34話 なぜわたくしだけが

 セトが礼を言うようになったのは、リンゼイの影響だとディーンは思っている。


 ご飯を受け取るとき、何かをいただくとき、セトは言葉を口にしたことはなかった。いつもただ、黙ってうなずくだけだった。


 それを注意したのがリンゼイだ。『ちゃんとお礼を言うまであげません』と叱るから、ディーンは笑った。『ときどき、セトのお母さんみたいだな』と。 


 確かに、リンゼイはセトにいろんな習慣を教えた。礼を言葉で伝えること。自分のことは自分ですること。できないことは、「教えて」ということ。


 それは今後、きっと彼女にとって必要な力になるだろう。


「あーっ! なんでふたりでジュース飲んでんのっ!?」

 ジンジャーエールで喉を潤していたら、背後から怒声が響いてきた。


「お前もいるか」

 のんきに尋ねると、憤懣やるかたないとばかりにリンゼイが「当然だよっ」と答えた。


「じゃ、どうぞ」


 ディーンは自分の持っていたゴブレットを差し出したのだが「新しいのが欲しい」とまたリンゼイは怒る。仕方ない、とばかりにディーンは肩を竦め、また屋台の方に行って新しくひとつ購入した。


「ほれ」

「その言い方」


 差し出すとリンゼイがにらむ。まったく文句の多い男だと苦笑をしたら、リンゼイはセトの隣にどん、と座った。


「君のその魔方陣のことなんだけどさ」

 セトは両手でゴブレットを包みながら、緊張した面持ちで「はい」と答えた。


「最近、なんか悩んでる?」

 急に切り出され、セトは狼狽える。


「悩む、とは? そりゃあ、こんな状態になったことについては悩んでおりますが……」

「うーん。そういう感じじゃなくってさ」


 リンゼイは足を組み、その膝に頬杖をついてセトを見やった。


「誰かが妬ましい。誰かがうらやましい。誰かが憎くてたまらない、とか」


 黒い双眸に見据えられ、セトは背中をこわばらせた。

 その表情を見て、ディーンはなにか助け舟を出せないかと口を開く。


「その……セトは、お母上や妹君のことを思い出すとき、背中に異変を感じると言っていたぞ?」

「君、お母さんや妹さんに対してどんな感情を持ってる?」


 だがリンゼイの追及は止まない。


「……それが、なにかこの魔方陣とかかわりがありますの?」

 セトはリンゼイの視線から目をそらし、通りに顔を向ける。


「たぶん、君の中の悪魔が反応しているんだ。君の負の感情に」


 リンゼイの言葉が、セトの心に当たり、硬質な音を立てたように見えた。かつん。セトの心は揺れ、震える。


 その振動は身体をも揺らした。


「セト……」


 小刻みに震えるセトにディーンは声をかけるが、セトは強くこぶしを握り締めることでそれを抑え込む。


「……わたくしには、『思う』ことすら許されないのですか」


 爆発しそうな感情を押しとどめたら、今度は声が震えたようだ。

 セトはぎゅっと下唇を噛む。リンゼイが慌てたように続けた。


「そういうわけじゃないけど」

「では、どういうことですか。何も考えるな、ということですか。何も思うな、ということですか」


 セトはそこでひとつ大きく息を吸い込んだ。


「他の皆は、いろいろ思っているではないですか」


 そして吐き捨てた。


「誰かが妬ましい、なぜ自分はこんな目にあうのか、なぜあいつだけが幸せなのだ、憎い、つらい、しんどい、と」


 ぼろり、と。

 セトの目から涙がこぼれた。


「それなのになぜ、わたくしだけ……」


 ゴブレットを握る手に、ぽつり、とセトの涙がこぼれ落ちた。


「なぜわたくしだけが、妹をうらやむことも、母を憎むことも……。誰かに嫉妬することも許されぬのですか……」


「どうした? 何があった」


 ゴブレットを片手に持ち替え、右手で涙をぬぐい取っていたセトが、ディーンの声に、ゆるりと顔を上げる。


 ディーンは戸惑ったようにセトとリンゼイを見比べる。


 リンゼイは、というと。

 氷の彫像になる魔法でもかけられたかのように、硬直していた。


「リンゼイ、お前も大丈夫か」

 ディーンが柔らかく問いかけると、一気にリンゼイは首を横に振った。


「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん! 言い方がきつかった⁉」


 言うなり、真っ青になってセトの手を握る。


「泣かせるつもりも、責めるつもりも全くないよ。ごめん、違うんだ。ほら、ずっと男二人の旅を続けてきたからさ、なんかこう。鬱憤でもたまってんのかな、と思って」


 涙をぬぐうセトの前で、リンゼイは端整な顔をゆがめた。


「いろいろ無理させたかな、とか思ってさ。僕、いろいろ言ったしね。だから、早く王都に向かおうと思って。そっちのほうが、君、ラクだろう?」

「……早く?」


 セトはオウム返しに尋ねる。リンゼイはうなずいた。


「セトの体力とかよくわかんなかったから、結構のんびり来たんだよね、ここまで。だけどさ。さっきの郵便局で、僕宛に届いた手紙があったんだ。教会からの」


 セトは促すように瞬きをする。涙の残滓が散り、澄んだ紫水晶のような瞳がリンゼイをとらえていた。


「ベッケルフが、逃げ出したらしい」

「ベッケルフが?」


 セトは目を丸くするが、ディーンだって驚く。


「憲兵隊はどうしたんだ」


 やつらが連行し、尋問するのではなかったか。

 リンゼイは肩をすくめてゴブレットのジンジャーエールを口元に寄せる。


「あの村で、魔方陣を見たろ?」


 リンゼイは一息にジンジャーエールを飲み切った。


「あれ、変だと思ったんだ。カーレンの魔方陣なんて異端の中でも珍しいからね。それが、続けて二件も出るなんて、と思っていたし、それに」

「それに?」


 ディーンは自らもエールを口に含んで促した。


「あの、変なにおい。あったじゃん」


 ディーンとセトは顔を見合わす。小屋中に充満していた、あの腐臭。


「あれ、魔物が発しているっていうよりさ、化膿した傷の臭いに似てたんだよ。あいつの右手。ほらベッケルフの右手ね? 僕が焼いたじゃん」


 しれっとリンゼイが言い、ディーンは顔を顰めてソーダを煽った。

 確かにそうだ。思い出した。


「ではあの男。逃げ出して、さらに術を継続していた、ってことですの?」

 セトの言葉に、リンゼイはうなずく。


「ま。あとは贄を屠るだけで術は執行されるんだから、歯がゆかったんだろうね。なんとしても、君の命を奪おうと来るだろう。そうすれば術が発動できるんだから」


 リンゼイの双眸がまっすぐにセトを見据える。セトはその内容にたじろぎはしなかった。


 ただ。

 純粋に焦っているように見えた。


「教会にお願いして早馬を用意したんだ」

 リンゼイがディーンとセトに言う。


「セトの馬術の腕前なら、用意した馬でも乗りこなせるでしょ? もちろん、僕とディーンも同行するから安心して」


 ディーンも口角に柔らかい笑みを乗せてセトを見た。


「次の都市には護衛騎士たちがいる。後は彼らとともに王都に行けばいい。安全だ」

「次の都市で、二人とはお別れですの?」


 尋ねたセトの声は、震えてはいなかったが、かすれていた。ごまかすように、セトはゴブレットを口元に寄せる。


「そうだな。教会のほうが司祭も用意してくれているようだし……」

「動き早いよね。護衛騎士だって、あれでしょ? 一角馬騎士団が来るんでしょ?」

「一角馬騎士団?」


 セトが肩を跳ねるようにして驚いた。


「そう。異端審問官とはあんまり一緒に行動しないんだけどねぇ」

「俺も初めてお会いするな。聖域で活動することが多い騎士団なんだが……。セトは知っているか?」


 ディーンが尋ねると、セトは顔を青くして小さく頷いた。


「きっと……。なにもかも露見したのですわ」


 小さく小さく。

 か細い声でセトは言う。


「……セト?」

 様子が変だ、とディーンはいぶかる。


「なにが露見したって?」

「……なんでもありません」


 セトは首を振ってその質問を拒絶した。


「あの……今晩、発ちますの?」


 そのかわり彼女は別のことを尋ねた。


「いや。明日の朝にしよう。夜は危ない。俺とリンゼイだけでは君を守り切れないかもしれないから」


 ディーンの返答に、セトはゆっくりと息を吐いた。

 ようやく安心した。そんな感じだ。


「ねぇ、今日の夕飯って、宿?」


 リンゼイがぶらぶらと脚をゆすらせながらディーンを見上げる。


「いや、まだ確定じゃないが……。どっか食堂で食べるか?」


 そう提案すると、リンゼイはベンチから勢いよく立ち上がる。


「むっふっふ」


 そして人の悪い笑みを浮かべた。そのまま、セトの正面に向かうと、うつむき加減のセトの顎をつまみ、上を向かせる。


「気晴らしに、冒険してみないかい? お嬢ちゃん」

 挑戦的に、リンゼイはそう笑った。


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