3話 活きがいい生贄だね
「裏切りは、許されぬ」
決して男の声は大きなものではない。
しかし、奇妙な天井をした地下ではやけに威圧的に響き、リンゼイとディーンでさえ眉根を寄せて声をやり過ごした。
参加者達は更に肩を寄せてひとかたまりになり、地面に額をこすりつける。その姿勢で掌を上に向け、異端とされる『カーレン詩第五章』を詠唱しはじめた。
「往生際が悪い」
リンゼイが舌打ちする。ディーンは再び佩刀の柄に手をかけた。
「司祭を討とう」
端的にディーンは告げた。
この司祭の口を塞げば後は烏合の衆だ。ひょっとしたらなんらかの心理的圧力で強制的にこの異端の会に参加させられていた人たちなのかも知れない。
で、あればなおさら救わねば。
「援護するよ」
リンゼイが右拳を握り、開く。
その掌に現れたのは一握りの炎だ。
ディーンは長靴を蹴って駆ける。
祭壇までは数歩だ。大股に足を振りだし、そして柄を握り込む。
剣が鞘を走り出すその瞬間。
司祭の間合いに入る、あと一歩のその刹那。
司祭は足元の布を跳ね上げ、なにかをつかみだした。
びたり、とディーンは足を止める。
「それ以上、近づくな」
司祭はディーンに短く告げた。
彼が腕に抱えているもの。
それは少女だ。
10代後半ぐらいだろうか。ディーンやリンゼイと年は変わらない気がする。
司祭はリンゼイに向かっても少女の首に短剣の先を突き立てて威嚇した。
「そっちの異端審問官もだ。妙な業を使うなよ」
ディーンは背後でリンゼイのため息を聞きながら、司祭を見る。
さっきの武装した男達と同じように、この男も仮面をつけていた。
ただ、随分と値が張りそうな白磁の仮面だ。鼻から口元にかけてが晒されているが、その皮膚の状態や口元の皺から、50代前半のように見える。顎が張り、首が太い。肩幅もしっかりしていて、ぴんと伸びた背筋と立ち姿から、どこか軍人のように見せた。
(いや、実際この男、軍人かもな)
ディーンはそう感じた。
腕の中の少女が全身全霊で暴れ回っているというのに、全く揺るがない。体幹がぶれていない。ゆったりとした司祭服のせいで腕の太さは分からないが、それも相当なものかもしれない。
「ヴー―――――――っ」
激しく唸ったのは、腕の中の少女だ。
生け贄に使うつもりだったのだろう。
装飾品らしいものは全く身につけておらず、白衣を着せられていた。
白銀の髪は無造作にひとつに束ねられ、口には猿ぐつわをされている。そのため、喚こうが怒鳴ろうが言葉らしい言葉にならないようだ。激しく呻き、そして裾を蹴散らして暴れ回る。腕は後ろ手に縛られているようで、よじるように動いてはいるが、振り回せないようだ。
(これはなんというか……)
ディーンは思わず苦笑を口に浮かべる。
気の強い少女だ、と思った。
今まで異端の現場で生け贄の少女を何人か見たことがあるが、すべからく泣いていた。
絶望し、うちひしがれ、声も無く涙を流しているか、あるいは号泣しているか。
そんな状態の少女を救出してきたのだが。
今回のこの少女は。
「ヴー―――――――っ!!」
紫色の瞳に怒りを宿し、睨み上げながら司祭を蹴りつけようと必死に足をばたつかせていた。
「活きが良い生け贄だね」
背後でリンゼイが呟いている。
ディーンは思わず噴きだした。
「罪を重ねることはない。その少女をこちらに寄越し、貴殿も投降するがいい」
ディーンは司祭にそう言ったが、司祭は真一文字に引き結んでいた口をゆっくりと開く。
同時に。
「……やだなぁ、もう」
リンゼイがため息をつくのが聞こえた。
司祭が口にしたのは。
『カーレン詩第五章』の二節だ。
さっき、一節をすでに唱えていた。
カーレン詩第五章は全部で六節からなる。
すべてを唱詠し、手順通りに儀式を行うと『満願成就』を約束する悪魔が現れると言われていた。
司祭は。
最後まで儀式を執り行うつもりらしい。