18話 わたくし、なにかおかしなことを申しました?
「仕事、辛くない?」
ディーンはセトを伴い、方向を変える。
なだらかに斜面を作る丘を、馬を連れて登る。セトはその半歩後を付いて歩いてきた。
「問題ありませんわ。むしろ、いろんなことを学べてとても興味深いです」
その声音に嘘はないようだ。ディーンは「そう」と頷く。
「あのね」
不意に自分の隣に並び、下から顔をのぞき込むセトに、ディーンはぎょっとして背を逸らした。
「コニアには、好きな男性がいるのだそうです」
小声でそう告げるセトの服装は、村娘と同じコットとチュニック姿だ。
この村に来るまではディーンの着替えを着て男装をしていたのだが、村の娘達を見て、「わたくしも同じ格好が良いです」と言いだしたのだ。
「素材とかで文句言ってたじゃん」と怒鳴るリンゼイを無視し、「あの格好は機能的で可愛いです」と言いだし、仕方なくディーンが村民から買い取った。リンゼイはぶつぶつ文句を言っていたが、ディーンはむしろほっとしている。セトが納得するような素材の、淑女が着る服装は王都ぐらいにしかないからだ。
(それまで、男装させておくわけにはいかないし……)
男装は、極端に言えば、異端だ。
神から与えられた性別を偽ることは罪とみなされる。
そこを突かれれば苦しい立場にあることが分かっていただけに、セトが妥協してくれたことに、ディーンは詰めていた息を吐いた。
「コニアって?」
チュニックの裾を蹴散らして歩くセトに、ディーンは尋ねる。呆れたようにセトは彼を見上げた。
「あの中で一番可愛い女の子じゃないですか」
そう言われても、逆光と夕日の関係で、少女達の顔などまともに見られなかった。
「うん、なるほど」
適当にそう答えると、セトは頷いた。納得したかどうかは別にして、話を続けるらしい。芝が続く坂道を、ディーンの歩幅に合わせて歩く。
「その、コニアの好きな男性が、今晩、会おうって、彼女に声をかけたんですって」
「へぇ」
素直に感嘆の声が上がった。なるほど。今夜逢瀬をするのか。
「素敵でしょう!?」
意気込んでセトはディーンの顔を見上げる。ディーンが頷いてみせると、セトはうっとりとした表情で胸の前で指を絡める。
「今晩はきっと素晴らしい夜空ですわ。ご覧なさい。雲一つありません。満天の星空の下、二人は逢瀬を楽しむのです」
言いながら、夢見心地に空を眺めるセトに、ディーンはわずかながら違和感を覚える。
(……どこまで、理解してんのかな……)
脳裏をよぎったのはそのことだ。
年頃の娘が、年頃の男と深夜出会う。
そしてなんらかの言葉を男は囁くのだろう。親に嘘をついてまで深夜約束の場所まで娘は出てきたのだ。それ相応の覚悟があるのだろう。
その二人が。
満天の星空。
そのあと、どうなるのか。
「きっと、夜が明けるまで、詩を語り合うのでしょう」
キラキラした瞳でセトが言い切り、ディーンはひっそりと息を吐いた。
いや、どうだろう。そうかな。
好意的にそう思いつつも、それだけじゃあないだろうなぁ、と思う自分がいる。そんな自分は、薄汚れているのだろうか。
「……ねぇ、ディーン」
夢見がちに蕩けていたセトの瞳が焦点を結び、目力強くディーンを睨み付ける。
「……なにかな」
その意志の強さにたじろぐディーンに、ぐい、とセトは顔を寄せた。
「わたくしが先ほど、そのようなことをあの娘達に伝えたところ、ディーンと同じような表情をいたしました。わたくし、何かおかしなコトを申しましたか?」
眉根を寄せてそう問い詰める。ディーンは思わず噴きだした。なるほど。セトは自分だけではなく、同年代の女子にも同じ事を告げたらしい。
「全然。間違ってないよ。愛の詩を語り合うなんて素敵じゃないか」
ディーンが笑顔でそう応じると、しばらく凝視していたセトは、だが数秒後に破顔する。
「でしょう? きっと二人で、いつまでも互いを想いあった詩を紡ぎ続けるのですわ」
そう言って幸せそうに微笑むセトを、ディーンは彼女と同じぐらい幸せな気持ちで眺めた。
彼女の言う通りだ、と思う。
あなたのことが好きだ。
そんな言葉を満天の星空の元、語り合うというのは確かに素敵で、心躍ることだ、と。
「ディーンには、恋人がいるのですか?」
セトは軽快に丘を駆け上がり、それからくるりと振り返って尋ねた。
「恋人というか、許嫁はいる」
ディーンは手綱を引きながら、ゆっくりと彼女に向かって歩み寄った。白銀の髪に夕日の橙が、きらきらと乱反射している。セトは風になぶられる髪を手で押さえ、菫色の瞳を細めた。
「きれいな人なのですか?」
「どうだろうね。会ったことはないんだ」
ディーンが並ぶと、セトは再び歩き出す。
「会ったこと、ないんですか」
驚いたように目を見開いた。ディーンは苦笑する。
「会う機会がなかなかなくって……」
なにしろ、相手は神殿の奥深くに住む聖女だ。
リンゼイのような僧官であれば入ることは可能だろうが、ディーンなど足を踏み入れることすら許されない。
聖域から出てくれば会えるかもしれないが、父である国王の誕生日や、実妹の結婚式にすら出てこないのだから、もう会う機会どころか、存在自体の確認すらできない。
「忙しい人みたいだから」
冗談めかして笑って見せる。セトは口角を少し上げて笑顔を作って見せた。
「ディーンは会ったこともない人と、将来結婚するのですか?」
ディーンは若葉色の瞳をセトに向ける。
「会ったことはまだなくても、大切に、幸せにしたい人に変わりはない」
それは、ディーンの本心だ。
互いに顔を合わせたことがなくても、声を交わしたことがなくても、触れたことなど一度もなくても。
それでも、許嫁と決まり、妻や夫となったあかつきには、必ずその女性を幸せにしてやりたい。
母や。
姉のような。
あんな無表情に心を閉ざし、ただただ自分の世界に籠ることが幸せだと思う暮らしをさせたくはなかった。
結婚相手を自分で選ぶという自由はなかったかもしれないが、未来を放棄するという道は選択させたくない。
だから。
自分が誰よりも彼女を幸せにしよう。
ディーンはいつもそう思っている。
「ディーンの許嫁は、とても幸せ者ですね」
セトがディーンを見上げ、ほほ笑む。「そうかな」。ディーンは、はにかみながら応じた。彼女も、そう言ってくれるといいけれど、と。




