15話 冒険はもう終わり
「まぁ、見ず知らずのオッサンに嫁ぐのは嫌だって、気持ちは分かるよ」
リンゼイががりがりと黒髪を掻きながら言う。「ですよね!?」とセトが同意の声を上げるから、ディーンは慌てた。
「そうはいかないよ。婚姻関係は重要だ。それによって、一族全員の命運が……」
「でも、僕がセトなら嫌だよ。ある日突然、毛むくじゃらのオッサンに抱かれるんだぜ? うへぇ」
口を曲げてリンゼイは呻き、セトは耳を塞いで「聞きたくないっ」と悲鳴を上げる。
「じゃあ、誰か他に結婚したい人がいるのか?」
ディーンが戸惑うようにセトに尋ねた。だったら、それを両親に言えばいい。家出するほど思い詰めたのだ。両親だって婚約を破棄してくれるかも知れない。
「そんなお相手、いません」
だがセトは首を振る。
呆れたように見るリンゼイとディーンに、セトは必死に訴えた。
「だって、今までは『殿方に近づくな』とか『男性と会話してはいけない。はしたない』って言われて参りましたのよ? できるだけ男性からも遠ざけられたところで暮らして参りました。それなのに」
セトは小さな肩を落とす。
「それなのに、今年に入った途端、殿方と引き合わせようとされたり、ベッケルフもそうですが、『紳士な方だから、話してみたらどうだ』と言われたり……」
セトは顔を顰め、二人を交互に見る。
「だいたい、ベッケルフ、紳士どころかとんだ食わせ者でしたわ」
セトは唇をかみしめる。
「ある日突然、見知らぬ男を指して、『あの人が夫になるのだ』と言われても困ります。今までずっと、侍女たちと暮らしていたのですよ? それが普通だと。それが娘らしいことなのだ、と教えられて」
セトは泣き出しそうな顔で二人の顔を交互に見た。
「それなのに、今日から、見知らぬ毛むくじゃらの男と一緒にベッドに入れ、と言われるんです。嫌ですっ」
悲痛な叫びにディーンはなんと言ってやればいいのかわからない。ただただ、困惑したようにリンゼイを見る。リンゼイはわしわしと前髪を掻き上げ、ふと尋ねた。
「男に不信感持ってる割には、僕らとは普通に話すよね」
リンゼイがいぶかし気に尋ねるが、セトは不思議そうにディーンとリンゼイの顔を見比べる。
「だって、お二人は教会の人間ではありませんか」
ディーンとリンゼイは再び顔を見合わせた。
なんだろう。この『教会に関する人は良い人』という先入観は。
「それで、ベッケルフが私に言ったわけです。父親には自分から上手くいっておく。海外の貴族にコネがあるから、そこに隠れていれば良い。あとは万事自分に任せろ、って」
セトは言うと、再びシチューの器を手に取った。
「で、それを信じたんだ」
呆れたようにリンゼイは言い、セトは肩を落として頷く。もそもそと木匙を口に運びながら、上目遣いにふたりを見る。
「だって。まさかこんなことになるなんて……」
セトが言うには、約束された日にベッケルフによって屋敷から連れ出され、馬車に乗せられたのだそうだ。侍女も伴わずたった一人で外出したのは初めてで、そのことだけでも心躍る体験だったらしいが。
行き先は、港ではなく、山だった。
この屋敷だった。
部屋に集められた人間の格好や儀式の道具、ましてや自分の背に描かれた魔方陣などを見て、異端だと気づいた時には遅かった。
なんとか必死に逃げ出そうと儀式の間中も暴れ回っていたら、参加者の中に異端審問官と教会護衛騎士が紛れ込んでいた、ということらしい。
「まずは君の中の悪魔を消さないといけないから、大司祭の所に行くけどさ。両親に連絡した方が良いんじゃない?」
黒パンとチーズを手に取ったリンゼイがセトに尋ねる。
「両親、心配してるんじゃないの?」
だが、返事はない。黙々と木匙を口に運び、器が空になったら、黒パンを千切って口に放り込むだけだ。リンゼイは視線をディーンに向けた。ディーンは口をへの字に曲げて彼女の様子を見ていたが、そろり、と声をかけた。
「大司祭様のところで用件が済んだら、どうする気なんだ? 両親のところに戻るんだろう?」
「その時、考えますわ」
ぱちり、と断つようにセトは言い切ると、菫色の瞳をリンゼイに向けた。
「次はわたくしから質問してもよろしい? 異端審問官殿」
「答えられることならねー」
リンゼイはあっけらかんと応じ、立ち上がった。どうやら鍋の方に向かうところを見ると、おかわりをするつもりらしい。
「審問官殿はどうやって異端の情報を?」
「教会から」
リンゼイは端的に答え、ディーンを見る。
「全部喰って良い?」
そう言うから、ディーンは頷いた。ワインを口に運び、チーズをつまむと、リンゼイが慎重に器を両手で持って帰ってくる。
「呼び出されたから行ってみたら、『異端の儀式が開かれる』って。行って阻止して来いって言うから、護衛騎士がディーンなら行くよって答えて……」
リンゼイは山盛りのシチューをそっと床に置くと、やれやれとばかりに自分も座る。
「で、教会から指示された場所に参加者として潜入して……。で。頃合いを見計らって、ばばーんと登場したってとこ」
「教会は異端の儀式を知っておりましたのね?」
不思議そうにセトが尋ねる。ディーンは肩を竦めた。
「教会どころか、王室側もね」
「そういえばそうでしたわね。あの失礼な、人語を解する熊も乱入して参りましたし……」
むう、と口を尖らせるセトに、リンゼイが言う。
「思うに、ベッケルフの失脚を狙う奴がいたんじゃない? ベッケルフ自身も王を呪殺しようとしたみたいだし……。敵がいたんでしょ。で、そいつに尻尾をつかまれたか……」
「内部告発にあったか、だろうね」
ディーンがハムに手を伸ばす。つまみ上げたのは、やけにペラペラなハムで、リンゼイはそれを見て笑った。
「世の中、なにがなんだか、ですわ……」
ぼそり、とセトが呟く。ディーンは薄切り過ぎるハムを口に放り込み、苦く笑った。
「だから冒険はもう終わり。大人しく家に帰ろう?」
そう促したが、セトが頷くことは無かった。