1話 だから、謝れと言ったろう?
薄暗い地下の一室。
集会参加者たちが明らかに異端の書を唱えていることを確認し、護衛騎士であるディーンは視線を移動させる。
その先にいるのは異端審問官のリンゼイだ。
視線が絡んだ。
リンゼイは騎士である自分とは違って随分と華奢だ。年は16歳。自分より2つ年が下だというのを差っ引いても小柄だ。
肌の色も不思議で、象牙に似た色をしている。ほっそりとした体躯は少女にも少年にも見える。中性的なのだ。そのことを誰よりリンゼイ自身が一番気にしているらしく、ディーンに隠れてこっそりと鍛錬をしていたり、ひげが生えてこないかと鏡とにらめっこしていることに気づいているが、見て見ぬふりをしている。それが人として正しいことだ。
「リンゼイ」
小声でディーンは相棒の名を呼んだ。
リンゼイの瞳はカンテラの光を帯び、薄暗い室内でも黒曜石のような煌めきを放つ。
「わかってるって」
リンゼイはうなずいて立ち上がる。ばさり、と羽ばたきに似た音を立てて外套を払った。
その下に着ているのは黒の僧服だ。丈はくるぶしを隠すほど長く、袖口も広く取ってある独特のデザイン。
「異端審問官であるっ!」
凜としたリンゼイの声が空気を打つ。
そう。
彼は教会で最年少の異端審問官だ。
そしてディーンも最年少の異端審問官付き教会護衛騎士だった。
ディーンは素早くフードをおろす。
外套の下には、紺色の軍服に、白布のサッシュベルトを巻いていた。
教会護衛騎士になり、異端審問官に同行するようになって3年が経ち、自分としてはこの制服もなじんできたが。
異例の若さでの抜擢であることはわかっている。
異端審問官の任務は過酷であるうえに秘密裏に動くことが多い。危険度も高い。
状況によっては護衛騎士に異端審問官の命を預ける場合もある。そのため、異端審問官たちが護衛騎士に望むのは、ずば抜けた剣技だ。周囲でこの制服を着ているのはみな、20代後半の男ばかり。あまり若いと「こんな子どもで大丈夫か」といぶかしがられてしまう。
10代で異端審問官付きの護衛騎士などディーンぐらいなものだ。
そんな異例同士の最年少ふたりが相棒になるのは自然ともいえた。
ディーンはリンゼイを神童だと思っているが、リンゼイはディーンのことを超人だと言う。
『ディーンの剣技は随一だもんね。だから抜擢されたんだ』
リンゼイはそんな風に自分に対してまっとうな評価をしてくれる数少ない人物だった。
たいていの人物は、ディーンの素性を知るや否や、「ああ、それで」と蔑むように自分を見る。
『あの成り上がり一族の息子か』『姉の色仕掛けで国王に取り入った』『浅ましい一族』
ディーンを、いや、ディーンの両親を指して、宮廷や教会の誰もがそう噂していることは知っている。
ディーンの両親は、娘であり、ディーンの姉であるアマルダを国王の弟に嫁がせ、そのコネを使って自分の親戚を政治の要所に送り込んだのだ。
十数年前であればその名は誰も知らない、しがない男爵家だったディーンの一族は、いまや伯爵を名乗り、着実に権力を増しつつある。
その一族の次男であるディーンは。
親の命令で教会付きの護衛騎士になっていた。
たぐいまれなる息子の剣技の才能を見込んでというより。
政治の次には聖域を手中に、とでも思っているのだろう。
実際。
ディーンは数年後、国王の娘との婚姻が決まっている。
その未来の婚約者は現在、教会の重要な祭事に関わる斎王位にいた。
聖域最高峰の斎王を息子の嫁に。
ディーンの父はそうやって次々と国内に自分の手駒を進めているのだ。
「みな、その場に控えなさい! 武器は床に置いて!」
ディーンも声を張る。佩刀に手をかけながら、油断なく周囲に視線を走らせた。
ここは地下。
当然窓はなく、照明といえば祭壇脇に設えられたカンテラと乱立する蝋燭しかない。視界は悪いうえに、参加者が一様に黒い頭巾つきの外套を着ているせいか、余計に闇が濃く見える。
そんなふうに視界が限定されているうえに。
音まで変だ。
天井がおかしなつくりになっている。
声や物音、音楽がやけに反響した。
微妙に半音ずらしたような違和感を残して、室内に揺蕩う。
だからだろう。
司祭らしき男が祭壇上で聖典を吟詠する間、両膝立ちになって頭を垂れていた参加者達は、酩酊したように上半身をぐらつかせていた。
音と光に酔っている。
ディーンにはそのように見えた。
「皆、大人しくその場に控えなさい!」
だが、リンゼイの声は司祭のような歪さを伴わなかった。逆に、参加者の背を打ち、意識を覚醒させる。
参加者が狼狽えたのは数秒だ。
あらかじめ、不測の事態が起ったときのことは、打合せされていたのかもしれない。すぐに彼らは立ち上がりそして祭壇の前にひとかたまりとなる。
代わりに参加者の前に飛び出してきたのは、抜刀した数人の男達だ。
もぎ取るように外套を脱ぎ捨てる。だが、顔を露わにはしていなかった。一様に布地の仮面を着用し、露出しているのは鼻から下だけだ。
「武器を捨てろ」
ディーンはリンゼイの隣で身構えた。
佩刀の柄を握り、低く唸る。足を肩幅に開くと、ゆっくりと腰を落とした。そして威嚇も込めてせいぜい皮肉っぽく笑って見せる。
「むざむざ死にたくはないだろう?」
だが抜刀した男達が一斉に嘲笑する。
たぶん、たがた若造ふたりとたかを括ったのだ。
「強がりか? 見たところ護衛騎士はお前ひとりじゃないか。それでなにができる」
「命乞いでもしてみるか? 考えてやらんでも良いぞ。ほれ、そこの審問官殿、あんたもだ」
覆面男のひとりがリンゼイを顎でしゃくった。
「あんたは生かしてやってもいいな。女みたいな顔をしている。その手の男には高く売れそうだ」
「違いない」
どっと覆面の男たちが笑い出すのを見て、ディーンは血の気が引いた。
やばい。
頭の中で警戒音が鳴る。
「よせっ、挑発するな!」
ディーンが怒声を張ったが、その声は男達の下卑た笑い声に消された。
「挑発? おい、あの異端審問官殿が誘惑してくださるそうだ」
「顔は女だが下はどうなんだかな。脱がしてみるか、あの僧衣をよ」
「下も女なら、俺がいただこう」
奇妙な興奮を帯びた、下卑た笑い声が上がる。
「誰が……」
ぼそり、と。
隣から聞こえてくるリンゼイのつぶやきにディーンは肩を震わせた。
「落ち着け、リンゼイ。な? 冗談だ。あいつらは冗談を言っているんだ」
「誰が」
リンゼイの地を這った声は、半円のドームを伝って室内を揺すった。共鳴を起こしたように空気は震え、一瞬にして覆面男達の声を圧する。
「誰が、女みたいだって……?」
黒い瞳が半眼になる。端整な顔から表情が消えた。リンゼイは拳を握りしめ、覆面男達を睥睨する。
「止せっ、リンゼイっ! ここは地下だっ」
ディーンは強い口調で相棒を制したあと、視線を男達に転じた。
「謝れ! リンゼイに謝れっ。リンゼイは男らしいだろっ!? な!? コイツは俺の自慢の……」
「見たとおりのことを言って何が悪い! そいつは女みたいじゃないか!」
「男だっていうんなら、見せてみろよ、俺と同じものがついてるのかどうかをよ!」
だが、ディーンの声を途中で断ち、覆面男たちはさらに揶揄しはじめる。
「なんなら、いまここでその僧衣を剥いでやろう!」
あろうことか覆面男のひとりは抜刀した剣を振り上げ、一歩前に進み出る。
その。
覆面男の右頬ぎりぎりを。
拳大の炎が勢いよく通り過ぎた。
「……え……?」
男が呟く。通り過ぎざま、炎が男の髪と皮膚をわずかに焦がしたのだろう。蛋白質が燃える匂いが立ち上り、そして消えた。
「……惜しい。外しちゃった」
ぼそり、とはき出された冷淡な言葉に、覆面男達は一斉に声の主を見る。
そこには。
リンゼイが立っている。
緩く肘を折り、握った拳を柔軟体操でもするかのように柔らかく回転させている。
その拳を彩るのは。
煉獄の炎だ。
薄暗い室内に、突如現れたその炎は、火の粉を散らせ、熱を纏い、赤い火を放ってリンゼイの顔を妖しく照らしている。
炎に彩られたリンゼイは、まるで名工が鑿を振るって削り出した彫像のようだ。
あらためてこうやって相棒の容姿を眺めると、女性的という表現は違う。
非常に中性的だとディーンは確信した。ある意味人間離れしている。天使のようでもあるし、両性具有的な神秘さを持ってもいた。
だが。
裏を返せば、「女々しく」「男には見え」ず、「ひ弱」で「卑猥」にさえ見えた。
そしてリンゼイの反応を見る限り。
どちらかといえば、「裏を返した表現」でしか、自分の外見を評価されてこなかったのだろう。
「ちょっと、じっと立っててよ」
リンゼイは男を指さして、冷ややかに命じる。片方の手には炎の球を宿したままだ。
「いままで僕の外見を侮った者は全部浄化してきた。それがルールだ。そしてそれは」
リンゼイは、半眼の瞳のまま、男に告げた。
「これからも同じだし」
告げると同時に、リンゼイの腕に巻き付いていた炎は、蛇のように伸びた。のたうった。意思をもっているようにうねった。
尾を引き、熱を放ち、滑るように覆面男のひとりに取り付いた。
「誰かっ!」
覆面男は悲鳴を上げる。
体にまとわりついた炎は、舐めるように勢力を広げた。男の上着はあっという間に燃え上がり、男は剣など放り出して踊るようにもがき、上着を脱ぐ。叩きつけるように床に放り出した燃えさかる炎を、周囲の男達は踏んで消す。室内には一瞬で焦げた匂いと、首元に火傷を負った男の呻きが広がった。
「貴様……っ」
抜刀した男のひとりがリンゼイとディーンを睨み付ける。リンゼイは平然とその瞳を見返し、ディーンはため息とともに肩をすくめて見せた。
「だから、謝れって言ったろう?」