猫の逃避行
猫という生き物は、いつも不機嫌である。
不機嫌を見て楽しむための愛玩動物だともいえる。
嫌そうに撫でられるあの顔を見るたび僕たちは癒される。
しっぽを叩いて返事をする彼らに、微笑む。
キスしようとしたときに、顔を遠ざけようと必死に伸ばす手を見て、僕たちは幸せを感じる。
では、猫にとって僕はどんな動物だったのだろう。
世界からいなくなった猫は、どんな気持ちで地球を去ったのだろう。
我慢ならなくなったのか、何かに挑戦するためなのか。それとも、もっとおいしいものを食べたくなったからなのか。なんにせよ、僕たちには想像もつかない、素っ頓狂な理由なんだと思う。
猫缶を開けても、誰も寄ってこない世界は少し寂しい。炬燵に足を入れたときの、もさっとした感覚がないのも、ちょっとだけ物足りない。そんな生活に慣れてしまうのも、なんだかつまらない。
いっそのこと、僕たちもついていくべきだったんだと思う。
肉球の形をしたあの宇宙船は、とても大きく、全ての人間だってすっぽりと収まるくらいだった。
猫はいつだって無関心で、僕たちが船内にいたところで、何も思わなかったに違いない。不便は色々とあるだろうけど、もしも一緒に行っていたならば、きっと楽しい宇宙旅行の毎日を送っていたはずだ。
後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。僕たち人間は、失ってから初めて彼らの重要性に気づいた。
猫みたいな存在は、他にはいない。
互換性のない唯一の才能余りある動物だった。
犬や兎なんかは今でもそこら中にいるけれど、やっぱり全く違う動物だ。嬉しいときにしっぽを振ったり、体を丸めて目を見開いている姿は、可愛いかもしれないが、愛おしいわけじゃない。
好意をまっすぐに表現されても、時には邪魔になるし、自分の世界を干渉してくるようで苦手だ。
愛を教えてくれるのは、猫だけだ。見返りを求めない深い愛情というものは、猫にしか注げない。自分の子供でさえ、立派になった姿を見たいだとか、孫を見せてくれるだとか、なんだかんだ期待をしながら育てる。猫のようにはいかない。
猫は、ただ存在してくれるだけでいいのだ。それだけで十分だった。
僕は、ただ猫を愛していた。
もしもまた猫が地球に帰ってきたら、僕はうんと彼らを愛でようと思う。