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巻の八 アナタは何しに後宮へ?

 ――皇帝陛下の妃(仮)として、〈菫青宮(きんせいきゅう)〉で暮らす。


 このことに、後宮はまた、上へ下への大混乱となった。

 どうしてあの子が?

 もっと身分ある姫もいたでしょうに。

 あんな、どっちが前か後かわからないような体形の女に!!

 皇帝はブサイクがお好みだったの?

 というか、どうして〈菫青宮(きんせいきゅう)〉?

 

 ……まあ、散々な言われようである。


 (言いたいことは、わからないでもないけどね)


 三年もの間、まったく女に興味を示さなかった皇帝が、イキナリ女を所望した。

 三年目にして、ようやく女に目覚めたか。

 とすれば、あんなチンクシャより、わたくしのほうがいいに決まってる。

 次にお召しになるのは、このわたくしよ――。

 で。

 「次」がない。「お召し」がない。

 それどころか、最初にお召しになられたあのチンクシャが、よりにもよって〈菫青宮(きんせいきゅう)〉の主……じゃあねえ。

 納得いかないのも当たり前。不満爆発なのも当たり前。

 仕方ないっちゃあ、仕方ないけど、「チンクシャ、チンクシャ」扱いされるわたしの立場って。

 自分でも、美人だとは思っていないけど。


 「陛下には、お嬢さまの魅力が通じたんですわよ!! さすが、皇帝陛下。素晴らしい慧眼をお持ちですわっ!!」


 香鈴(こうりん)、ウットリ。


 「それにしても……、宴を抜け出したお嬢さま、それを追いかけて現れた武官。実は武官は皇帝陛下で、突然、お嬢さまをお召しになってって……。ああ、なんてステキな物語……」


 いや、物語じゃないし。

 まあ、物語っぽい展開ではあったけど。


 「でもこれ、ウソのお召しだからね。お金のためにやってることだから、間違えちゃダメよ、香鈴(こうりん)


 あくまでわたしは、皇帝陛下が仕事をしやすいように、後宮からの売り込み防止役。わたしたち熱愛中だから、他の妃に用はないの作戦だから。


 「え~っ。でも、そういうところから始まる恋っていうのもあるじゃないですかぁ。見せかけだったはずなのに、一緒にいることで、なぜか気になる相手。高鳴る胸、トキメク心っ!!」


 香鈴。お願いだから、物語脳から戻ってきて。


 「そんなんじゃないってば。五百五十貫もの大金を出してくださるって言うし。そのお礼として妃(仮)を務めるだけなんだから、そんな期待をしないの」


 わたしが選ばれたのは、後腐れなく別れられるから。

 後ろに面倒な家とかないし、権勢欲もないし、子種も求めてないし。

 それだけの理由。

 わたしとしても、借金を帳消しにしてくださったし、父さまがこれ以上騙されないように助けてくださるって言うし、次の嫁ぎ先も斡旋してくれるって言うし、なにより手を出さないって約束してくださったし。

 だから、お引き受けしただけであって、皇帝陛下にどうこうされて、皇帝陛下とどうこうなりたいわけじゃないのよ。

 

 「とにかく。このことは、他言無用だからね。他の妃候補とかにバレたら、皇帝陛下にご迷惑をおかけしちゃうんだから」


 「わかっておりますよぉ。でも、はあ……、ステキ」


 どこまでわかってるんだか。

 香鈴の興奮は収まりそうにない。


 〈菫青宮(きんせいきゅう)〉は、皇帝の暮らす〈紫宸殿(ししんでん)〉、皇帝の寝所である〈思清宮(しせいきゅう)〉から真っすぐ後宮につながる線上に存在する宮。

 よく〈後宮〉と十把一絡げに言われるけど、その入り口に存在するのが〈菫青宮(きんせいきゅう) 〉。

 後宮の一番奥、妃候補となった宮女(きゅうじょ)(候補の正式な呼び名)が暮らすのが、〈玻璃宮(はりきゅう)〉。大勢が住むという性格上、これが後宮で一番大きい建物になる。

 その手前にあるのが、宴などが催される〈玉髄宮(ぎょくずいきゅう)〉。皇帝陛下をもてなすこともあるから(ついでに女性を見初めることもあるから)、一番華やかで豪華。わたしが皇帝陛下に会った池があるのも〈玉髄宮(ぎょくずいきゅう)〉。

 〈玉髄宮(ぎょくずいきゅう)〉から先、左右に伸びる回廊でつながっているのが、〈翆玉宮(すいぎょくきゅう)〉や〈紅玉宮(こうぎょくきゅう)〉などの皇帝お気に入りの妃の暮らす宮。ここは、皇帝が生ませた子が母親と七つになるまで一緒に暮らす宮にもなる。ここで暮らすことになった宮女は、子を産めば〈貴妃(きひ)〉、子がなくとも寵愛を受けていれば〈(ひん)〉と呼ばれ、それぞれの宮を象徴する宝石を皇帝から下賜される。〈翆玉宮(すいぎょくきゅう)〉なら翆玉を。〈紅玉宮(こうぎょくきゅう)〉なら紅玉を。他の宮の妃や宮女がつけることの許されないそれぞれの宝石。贈られた側は、これみよがしに自分の宝石を身に着けたりする。

 他にも後宮には、皇帝が一回お手つきしただけの宮女が、妊娠の有無を確認するまで暮らす〈灰簾宮(かいれんきゅう)〉などがある。

 後宮と皇帝の暮らす空間である〈紫宸殿(ししんでん)〉の間には、閉ざされたままの門があり、皇后に選ばれた者は、後宮ではなく、〈思清宮(しせいきゅう)〉〈紫宸殿(ししんでん)〉と同じ内廷にある〈天藍宮(てんらんきゅう)〉で暮らすことができる。

 皇后は後宮の宮女とは違う、一線を画した存在ということなんだろう。

 内廷に一番近い宮、〈菫青宮(きんせいきゅう)〉。

 一度でいいからここで皇帝にお手つきされれば。そのまま気に入っていただければ。そして、子を孕み、立后されれば。

 誰もが目指す〈菫青宮(きんせいきゅう)〉。誰もが行きたい〈菫青宮(きんせいきゅう)〉。

 閉ざされた門を開け、後宮を出て、内廷へと願う宮女の目指す場所。それが〈菫青宮(きんせいきゅう)〉。

 菫青宮(きんせいきゅう)は、召しだされた宮女が一夜だけの伽をするという場所なので、なんというのか、そういう空気を盛り上げるために、どうにも桃色空間だったのだけど、これは皇帝自らの指示で、落ち着いた内装に変更された。

 ……正直、助かる。

 二人で寝ても余裕のありすぎる寝台だけはそのままだったけど。……これは仕方ない。


 「私は、あの麝香の匂いが苦手でね。どうにも気分が悪い」

 

 なるほど。

 そういえば、最初に菫青宮(きんせいきゅう)に訪れた時も、窓を開けて換気をしてたっけ。おそらく陛下もわたしと同じで、桃色空間が苦手らしい。

 陛下は、毎晩わたしのもとを訪れるけど、別にわたしとどうこういたすいわけじゃなくって、いつも大量の資料や書類を抱えて現れる。夜通しわたしを愛するのではなく、夜通し書類に目を通されるのだ。

 うーん、勤勉。

 ついでに、大勢にかしずかれるのも好きじゃないらしく、菫青宮(きんせいきゅう)に仕えるのは、最低限の者だけとされた。(もちろん、女性限定)


 「すまないね。見せかけだけだと気づかれるとまずいのでね」


 「大丈夫です。ある程度のことは一人でできますし。なんなら、香鈴こうりん一人でも構いませんよ?」


 どこから情報が漏れるかわからない。仕えてくれる人数は極力減らしておいた方がいい。

 お風呂なら一人で入れるし、料理だって家に居た時は自分で作ったこともあるし、掃除だって香鈴と手分けすれば、やれないこともない。華やかに装えと言われたら、さすがに香鈴一人じゃ無理だから手伝ってもらうことになるだろうけど、それ以外に誰か助けがいるほど暮らしに困ることはない。

 後宮で、他の妃候補と一緒に暮らしてた時は、自分でなんでもやっていたし。

 わたし、深窓のお姫さまじゃないから、そこまでなにもできないわけじゃない。


 「ハハッ。それは頼もしいけど、少しは贅沢もして欲しいかな」


 「贅沢? ここで暮らしてるだけで、充分に贅沢なんですけど」


 家にいて、父さまの商売を手伝ってたことを考えれば、ここで妃然として暮らすのは、最高の贅沢だと思うんだけど。


 「本当にきみは、欲がないよね」


 欲?


 「そんなのだから、『新しく選ばれた妃は、皇帝の愛以外求めない、純真な乙女』とウワサされるんだよ」


 ブハッ……!!


 思わず、吹き出してしまった。

 誰っ!? 純真な乙女って。

 皇帝の愛以外求めないって。


 「アハッ、アハハハハッ……」


 ダメだ。笑いが止まらない。

 どこをどう見たら、そういう結果になるのか。

 それも、皇帝の愛って。

 言ってる人のほうが純真すぎるでしょ。

 あー、ダメだ。笑いすぎてお腹がよじれそう。

 

 「琉花(りゅうか)ちゃん、笑いすぎ」


 「すっ、すみません。でも面白くって」


 目じりに浮かんだ涙をこする。


 「陛下はこの後もお仕事ですか?」

 

 「ああ、ちょっとね。目を通しておきたい事案があってね」


 机の上に雑然と置かれた書類。

 菫青宮(きんせいきゅう)、わたしの元で過ごすかぎり、陛下は周りの雑音を気にせず政務に打ち込める。お金とか利益のあることだから引き受けた〈見せかけ形だけ妃〉だけど、こうして国のために役に立っているのなら、そう悪い気はしない。


 「では、先に休ませていただきますが……」


 「うん。あとで私も行くけど、気にせず寝てて構わない」


 そう言うと、陛下はすぐに書類に没頭しはじめた。わたしがいるとかどうとか、ここがどういう場所なのか。そういうことは、スッパリ頭にないんだろう。まるで、水のなかに潜るように、仕事の世界に潜っていく。

 わたしが寝台にではなく、そっと部屋から出たことにも気づいていない。


 (多分、このまま夜遅くまでお仕事をなさるんだろうな)


 国のためには素晴らしいことかもしれないけど、少しはゆっくり休んで欲しい。


 (夜食でも、作ってあげよう)


 お腹空くだろうし。

 (あつもの)でも作ってあげよう。野菜をふんだんに使った、胃に優しい羹。

 羹程度なら、わたしにも作れるもんね。


 見せかけ形だけ妃であっても、これぐらいは応援して差し上げたい。

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