巻の六 召喚!! 菫青宮!!
――李り 琉花りゅうか。汝は今宵、〈菫青宮〉へ訪おとない、皇帝陛下にお仕えせよ。
とんでもない通知が来た。
驚いたのは、わたしだけじゃない。後宮中が上へ下への大騒ぎになった。
「〈菫青宮〉って、陛下の夜伽の場所じゃないっ!!」
「あんな侍中ふぜいの養女が行く場所じゃないわよっ!!」
「どうしてあんな取柄もなさそうな平凡な子がっ!!」
「あんなブス、どこがいいって言うのっ!!」
ヒドイ言われようだ。
まあ、妃候補の皆さまが驚くのも、怒るのも無理はないと思うけどね。
わたしだって、突然訪れた現実に、まだ頭がついていかない。
バタバタと女官に言われるまま、〈菫青宮〉へと移動することになった。
――もしあなたにヤル気があるのなら、見せかけの月であっても、手に入れられるよう手配することもできます。
高 栄順と名乗った武官の提案に乗ったのが数日前。
まさか、こんな展開があるなんて、思ってもみなかった。
同じ側近である啓騎さんでもできなかったようなことを、やすやすと叶えてしまう武官っていったい。
(どういうコネを持ってるのよ、栄順さまって)
いっけん、タダのヒョロヒョロ武官に見えたけど。影でとんでもない実力を持つ人だったのかな。あの人の推薦なら、女嫌いの皇帝陛下も「いいよー」って軽く了承しちゃうぐらいの。
夕方、仕事の合間を縫ってか、慌てた啓騎さんがわたしに用意された部屋に飛び込んできた。
「琉花ちゃん!! 栄順殿と契約したって本当っ!?」
「ええ。『見せかけの月』を手に入れられるようにって、栄順さまが……、啓騎さん?」
わたしの答えに、啓騎さんが大きくため息を吐き出した。
なんだろう。わたしが啓騎さんの伝手ではなく、栄順さまを頼ったことに落胆されてるのかしら。
「見せかけの月……ね。まったくあの方は、なにを考えていらっしゃるのか……」
乱暴に髪を掻き上げる啓騎さん。
…………?
なにをそんなに呆れてるの?
「こうなったら、これも機会ととらえるしかないか。琉花ちゃん」
「はい」
啓騎さんが、至極真面目な顔してわたしを見る。
「今日の夜、陛下がこちらへお渡りになる。その時、何があっても驚かないでほしい」
え、と……。
それは、男女の営みとか、そういうことにでしょうか。
見たこともない皇帝に抱かれるのだから、驚くなっていうのはかなり無理があるけれど。
でも、ここでちゃんと一夜を過ごせば、五百五十貫もの借金は消えてなくなるわけだし。
怖くないかと問われれば、怖いと即答したくなるけど。
それでも、もともとここへ来たのはそういうことをするためなんだからと、腹をくくる。
「大丈夫です。何があっても驚きません」
それぐらいの度胸は持ち合わせてます。
* * * *
それからのわたしは、というかわたしの身体は、なにかと忙しかった。
皇帝陛下がわたしの元を訪れるということは、つまりそういうことをいたしに来るということで。
仮にも皇帝陛下に身を晒すのだからと、お風呂に連れていかれ、ありとあらゆるところを磨きあげられた。
お肌スベスベ、髪ツヤツヤ。
香鈴だけでは間に合わないので、他の官女たちから香油を塗りたくられ、粉をはたかれた。
最高級の紗で縁取られた着物を身に着け、なれない紅を唇にひかれ、髪を結われて簪を挿される。
おお、別人。
出来上がった自分を鏡に写して、自分で驚く。
「では明日、お伺いいたします」
そう言い残して宮女たちが退出していく。もちろん、香鈴もいっしょ。菫青宮、それもこれから皇帝陛下がお渡りになるであろう部屋に、侍女が残ることは許されない。
パタリと閉じられた扉。
ヒンヤリした空気の部屋に残されたのは、わたしと、生々しすぎる巨大な寝台。
そういう気分を高めるためだろう。焚かれまくった麝香の香りでむせそうになる。
(これ、窓、開けちゃダメかな)
換気したい。空気入れ替えたい。ハッキリ言って気分悪い。
わたし、あんまり香りのキツイの好きじゃないのよ。頭痛くなってくるし。
化粧もあまり好きじゃないし。なんていうのか、お面を着けてるような感覚になって、顔がこわばる。口紅、不味いし。
(こんなんで、皇帝陛下を迎え入れられるのかな)
それでなくても、人生初経験のことがこれから起きるってのに。せめて状況、環境だけでも改善したい。
そんなことを思っていたら、皇帝の居住区である思清宮から菫青宮につながる回廊のほうが、にわかに騒がしくなった。後宮へとつながる門の開く音も聞こえた。
(来た――――)
思わずゴクリと喉を鳴らす。
啓騎さんは、「何があっても驚くな」と言っていたけど、この状況で緊張しないでいることは不可能だ。
心拍が上がるぐらい、喉が干からびそうになるぐらいは許してほしい。
「皇帝陛下、おなりでございます」
部屋の外に控えていた官女の声。背筋に悪寒のようなビリビリが伝わる。
(いよいよだ――)
床に平伏し、首を垂れる。
コツコツと石床に響く皇帝の足音。ギイッと音を立てて閉められた扉。
床しか見えなかった視界に、華やかな紋様の描かれた沓が飛び込んでくる。――皇帝だ。
「お待ち申し上げておりました、陛下」
緊張しすぎて、心臓を吐きそう。
「面を上げよ」
その言葉に従うよう、おそるおそる顔を上げる。
後宮に訪れることのなかった皇帝。
せっかく開いてもらった宴でも、遠すぎて紗の向こうにいるのかどうかもわかんなかった皇帝。
その皇帝が、今、目の前に――!!
って。
「栄順……さん!?」
顔を上げ、見上げること数瞬。
わたしの目の前に立っていたのは、豪華すぎる絹の袍をまとった、あの高 栄順さんだった。
……どういうこと?