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巻の二十七 この気持ちに名前があるならば。

 そして迎えた〈講武(こうぶ)〉の日。

 わたしは、啓騎(けいき)さんが用意してくれた〈伝令〉という立場で、狩り場に潜入することができた。もちろん、男の格好で。

 〈伝令〉はそのままの意味で、皇帝陛下の出された指示を狩り場に散らばった兵士に伝える役目のこと。伝えに走ることもあれば、銅鑼を大きく鳴らして知らせることもある。

 ようは、皇帝陛下に一番近い位置で待機する立場。

 もちろん、その役はわたし一人じゃなくって、他にも数人本物の〈伝令〉が居並んでいる。銅鑼の脇に立ってる人なんて、もう鳴らす気満々で今か今かと待ち受けてる状態。


 「大丈夫ですよ。落ち着いて立っていればいいんです」

 

 緊張し始めたわたしにそっと声をかけてくれたのは、この日のために啓騎さんが用意してくれた〈細作(さいさく)〉の啓明(けいめい)さん。普段は諜報活動とかで不在なことが多いらしいんだけど、今日は特別にわたしを守るために、〈伝令〉に身をやつしてそばにいてくれるらしい。


 (こんな〈細作〉まで用意できるって。啓騎さん、スゴイ人なんだな~)


 狩り場に来てからというもの、一度も啓騎さんに会ってないけど。


 (きっと、あの天幕の向こうに控えてるんだろうな)


 陛下が立たれる場には、大きめの天幕が張られている。周囲には、陛下の存在を示す旗がたなびいてる。少し高い丘の上に建っているので、そこから狩り場を眺め、指示が出せるという寸法だ。天幕のなかは少し薄暗くて、人がいることはわかるんだけど、誰がいるのかまではよくわからない。


 「琉花(りゅうか)さま、始まりますよ」


 そっと隣から啓明(けいめい)さんが声をかけてくれた。

 おっと。

 わたしが気にすべきは天幕のなかじゃなくって、天幕の外。

 怪しい人とか近づいてこないか、見張っていなくっちゃね。


 ジャーン、ジャーンっと大仰な銅鑼の音が鳴り響く。

 それと同時に勢子が追い立てた獲物に向けて、騎兵と歩兵が動きだす。

 天地を揺るがすような馬蹄の響き。風に乗って伝わる鬨の声。

 

 (スゴイ。これが本物なんだ)


 実際の戦場とは違うけど、それでも、物語で描かれる戦とはこのようなものなのかと、ちょっとワクワクしてしまう。

 お隣のお兄さんでしかない啓騎さんと仲良くなりたくて戦記物を読んでたんだけど、わたしの性に合ったのか、母さまたちが読む恋愛物よりそちらの方がずっと面白いと感じていた。


 「左翼に騎兵展開!! 弓兵は遊撃として、森へと大きく回り込め!!」

 「伝令!! 黄将軍に、その場にて陣容を整えるように伝えよ!!」

 

 天幕より命が飛び、伝令が走り、銅鑼が鳴らされる。

 次々に伝令が飛び出していくのを見て、わたしも走ったほうがいいのかなって思ってたら、啓明さんに肩を掴まれ、首を横にふられた。ここにいろ、ということらしい。

 まあ、わたしみたいなド素人が走っていったら、それこそ馬にでも蹴飛ばされるのがオチだ。

 獲物となった動物たちが狩られるたびに、どこかしらから歓声が上がる。猪や鹿、兎や鳥などが獲物として仕留められた。獲物は、この後、夜に行われる宴の料理として饗されることになる。これだけ仕留められると、今日の台盤所は大忙しとなるだろう。

 

 (スゴイなぁ)


 的確な指示。正確な動作。

 物語でしか知らない世界が、目の前に広がってる。

 

 (これをすべて動かしてるの、陛下なんだ)


 陛下の采配が素晴らしいのか、号令に迷いなく従う兵が素晴らしいのか。それともそのどちらも素晴らしいのか。

 わからないけど、ドキドキと心臓が早鐘を打つ。


 (ん……?)


 そんな時、ちょうど正面から何かがこちらに向けて駆けてくるのが見えた。

 砂塵が舞い、兵が弾き飛ばされる。


 「あれは……」


 ――猪?


 背中に矢を受けながらも一直線に走ってくる猪。その姿は鬼気迫るというか、異様な殺気と興奮に包まれていた。背中の矢も、周りの兵も目に入ってない。ただひたすらにこっちに向かって走ってくる。


 「逃げろっ!!」

 「あぶないっ!!」


 誰かが叫ぶ。


 ――あの猪が向かう先にあるのは……。


 「琉花(りゅうか)さまっ!!」


 背後で啓明(けいめい)さんの声がしたけど、そんなこと気にしてられない。


 「陛下っ!!」


 薄暗い天幕のなか、ひときわ豪華な衣装を着た人に飛びつく!!


 「琉花ちゃんっ!?」


 「け、啓騎(けいき)さんっ!?」


 なんてこと。飛びついた相手は、金糸で龍が刺繍された紅色の袞衣(こんえ)をまとった啓騎さんだった。その頭上には、皇帝の証でもある冕冠(べんかん)

 もしかして、また身代わり?


 「啓騎っ!! その跳ねっかえりをシッカリ守ってろっ!!」


 天幕の外から聞こえた声。

 

 「陛下っ!!」


 逆光で顔はわからない。でも天幕の外、猪にむかって立ちはだかり、馬上の人となっていたのは、わたしが縫いあげた啓騎さんの衣装をまとった陛下本人。


 「……悪いな」


 馬上の陛下が矢をつがえる。それもただの矢じゃない。鏃の代わりにあったのは、炎。

 ビュンッと空気がうなり、矢が猪めがけて飛んでいく。


 ブオォッ……!!


 目を炎に射貫かれても、まだ猪は走り続けてる。幾分速度は落ちたけど、〈突進〉してくるのは変わらない。


 「仕留めよっ!!」


 陛下の命に合わせ、周囲にいた兵が猪めがけて手にしていた槍を穿つ。


 ドォォン……。 


 炎に包まれ、槍衾になった猪が陛下の馬の手前で横倒しになる。バチバチと獣毛が燃える音と匂いがあたりに広がる。


 「汝ら兵に伝える!! 皇帝弑逆を企てた、丞相、(きょう) 陶昇(とうしょう)を捕らえよ!!」


 「電光石火」とはこういうことを言うんだろう。

 命じられた兵は、誰一人戸惑うことなく、丞相を捕らえに走っていった。そしてくり広げられた剣戟の音。ほどなくして騒ぎは治まり、荒縄で縛られた数人の中年の男たちが、陛下の馬前に転がるように引き出された。

 

 「伯父上、このような結果と相成って、まことに残念です」


 「陛下、これはいったいどういう仕打ちなのですか。わたしどもには、皆目見当もつきませぬ」


 草と泥にまみれた顔のまま、甥の乱心に戸惑う伯父。少し哀れを誘うような表情をしてる。


 「長庚(ちょうこう)


 陛下が短く一人の兵を呼んだ。啓明さんソックリの兵士。……まさか、この人も細作?

 その細作さんが荒縄で縛った一人の男を衆目集まる場に突き出した。


 「先ほどの猪、この者とその仲間が薬を呑ませ、こちらに駆けていくよう仕向けたと白状いたしました」


 「誰からの命だ?」


 陛下の冷たい問いに、ビクリと身体を震わせる男。答えていいのか、しかし、黙ったままでいることはできない。

 紙のように白くなった頬を痙攣させながら、血走った目で、縛られた丞相の方を見る。その視線が答えだった。


 「なるほど」


 「陛下っ!! これは誰かの罠でございますっ!! わたしどもは、このような男など存じませぬっ!!」


 口角から泡を飛ばしながら反論する丞相。


 「お前が命じたんだっ!! 猪に薬を呑ませ、こちらに走らせよと!! そうしなければ、オレの故郷の税をさらに重くするとっ!!」


 さっきとは違って、男が狂ったように叫んだ。


 「オレの故郷は、それでなくても税にあえいで、生きてくために娘を売って、子を殺して暮らしているのにっ!! それなのに、さらに税をっ!! これ以上税を増やされたら、オレたちは生きていけねえっ!! だから、こうして従うしかなかったんだっ!!」


 それは死を覚悟した者の最期の訴えだった。

 皇帝弑逆に加担した。どのような理由があろうとも極刑は免れない。

 万が一、生き永らえたとしても、このように露見してしまえば、丞相の一味によって殺されるかもしれない。故郷だってタダでは済まない。

 そう思ってるからこその訴えだった。


 「お主、名は?」


 陛下が男に問いかける。


 「(そん) 礼鳴(れいめい)と……」


 「孫よ」


 呼びかけながら陛下が馬から降りた。


 「そのような暴政、まかり通っていたこと、許せ」


 男の前で、陛下が膝をつく。

 縛られた男の後ろで、長庚(ちょうこう)さんがブツリと縄を斬った。解放された男の荒れた手を陛下が握った。


 「お主ら民が苦しんでいたこと、気づかなかった余の不明であった」


 「陛下……」


 「陛下っ!! そのような卑しい者の言葉に惑わされてはなりませぬっ!!」


 感極まったような孫と、驚き叫ぶ丞相。


 「――糠星(ぬかぼし)


 立ち上がった陛下が声を上げると、今度はたくさんの細作が、弓兵らしき男たちを縛り上げ、引きつれてきた。


 「猪で仕留められなかった場合、この男たちに弓で猪とともに私を射殺すつもりだったようだな」


 暴走する猪を止めるため矢を射かけた。その矢が不運なことに皇帝の玉体まで射貫いてしまった。そういう筋書きだろう。丞相たちは何重にも作戦を立てていたのだ。

 

 「のう、伯父上。この矢、少し腕に刺してみぬか? さほど苦しまずに、半刻ほどで心の臓が止まるようだぞ?」


 陛下が糠星(ぬかぼし)と呼ばれた細作の一人から受け取った矢の先を丞相の腕に当てる。


 「ひぃっ……!!」


 怯え、震える丞相。縄に縛られた身体で必死に逃げようとするけど、糠星の一人に抑えつけられた。

 つまり、それが答えだということ。

 矢で狙うだけでなく、確実に仕留められるように、鏃に毒が塗ってある。

 普通、猪が狂って走るなんてことを想定して狩り場に出ることはない。夜の宴で饗されることのある獲物を、毒で仕留めることはない。

 猪が狂うことをあらかじめ知っており、毒矢が用いられることを知っていた。

 この計画の首謀者でなければ知りえないことを。


 「――沙汰はおって言い渡す。この者たちをしかるべき場所へ連れて行け!!」


 陛下の言葉に、兵たちが荒々しく丞相一味を引っ立てていく。

 

 「常州については、あらためて詮議いたす。悪いようにはせぬから、安心するがよい」


 感涙し平伏する孫を置いて、陛下が再び馬上の人となった。


 「啓騎っ!!」


 言うなり、グイッとわたしの腕を掴み上げて、一緒に馬に乗らされる。


 「後のことは頼んだっ!!」


 って、え?


 「きゃああっ!!」


 わけがわからないわたしを乗せて、馬が走り出す。

 一礼し、見送ってくれる啓騎さん。

 ちょっとわたし、どこに連れてかれるのっ!?

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