巻の十三 小説は事実より奇なり。
「やはり、皇帝陛下はお優しい方ですわ。愛されておりますよ、お嬢さまっ!!」
荔枝事件を知って、一番興奮したのは香鈴。
「あんな井戸を見つけてしまって、あたしも申し訳ございませんが、それよりなにより、陛下が最高すぎて……」
両手を組みながら、ウットリとあらぬ方向を見つめちゃったよ……。
「さすがは、物語のような出会いで菫青宮に召されるだけのことはありますわね。『凶』となるような出来事を『吉』に変えてしまう、すばらしい強運をお持ちですわ」
そ、そうなんだろうか。
「殿方の心を得るには、まず胃袋を掴めと申しますが、これは悪い方向から掴んだ好例と言えますわね」
「悪い方向から? 掴む?」
というか、そんな方法があるの?
「ええ。一生懸命彼のためになれない料理をする主人公。あきらかに失敗、不味いに違いないのに、『お前が作ってくれたんだから』と食べてくれる彼。その優しさに、こちらも『ドキンッ!!』って胸が高鳴っちゃうんでございますわよ。『どうして彼は、私に優しくしてくれるの?』って、ときめいちゃうんでございますよ!!」
キャーッ!!
香鈴が、一人ダムダムと卓を叩き始めた。興奮、止まらない。
(まぁたこの子、母さまからお借りした本を読み漁ってるわね)
人の恋愛に関する視点が、ますます母さま化してる気がする。
「良い方向から掴むには、お嬢さまに異なる世界の料理を披露していただかねばなりませんが、悪い方向からなら、なんとかなるものですね」
「ちょっと待って。〈異なる世界〉って……何?」
なんか、とんでもない言葉を聞いた気がする。
「言葉のとおり、〈異なる世界〉ですわ。最近の流行りですのよ。異なる世界から生まれ変わってきたり、この世に突如現れた女性が、この世にない変わった料理を作ることで、殿方の胃袋をガッチリ掴んでいくという話ですわ。城下でお店を開くと、すぐに大繁盛するのだとか」
「生まれ変わる?」
「ええ。どうやらその女性たちは生まれ変わっても、〈前世の記憶〉というものを持ち合わせていらっしゃるそうなんですの」
「へ、へぇ~。記憶力いいんだ」
わたしなら、三つや四つの時の記憶だってあやしいのに。それよりさらに昔、前世となれば、とんと見当がつかない。自分にどんな前世があったかすら覚えてなのに。前世にあった料理を作れるのは、記憶力以上になにか天与の力が働いてるようにしか見えない。お店を開くとすぐに大繁盛っていうのは、商人として見逃せないけど。その方法は、ちょっと(かなり?)教えて欲しい。
「階段から落ちたり、高熱を出したりすれば思い出すそうですわよ。他にも、理不尽に婚約破棄されるなど、衝撃的なことが起きると思い出せるそうです」
「うわ。そんな目に遭わないと思い出せないの?」
大変そうじゃない。
ケガするか、下手すると死にそう。
理不尽な婚約破棄もかなりイヤだ。
「まれに、フワッとなんとなく思い出せる方もいらっしゃるそうですわ。お嬢さまもどうです? 一度そういう目に遭って、思い出せるか試しませんか?」
「遠慮します。それで思い出した前世が『猫』とか、『ネズミ』だったらどうにもならないもん」
異なる世界かどうか、それ以上に人であるかどうか。
わからないことに一か八か賭ける気はない。痛い目に遭いたくないし。思い出す保証もないわけだし。
それぐらいだったら、普通にこの世界の料理を極めて、陛下に気に入られる方が近道な気がする。
「それより、もうちょっと別の方向から好きになってもらう方法はないの?」
「それでしたら、『わたくし、陛下には興味がありませんの』って態度をとってみてはいかがでしょう」
「は? なにそれ」
「『菫青妃に選んでいただきましたが、わたくし、本を読みたいだけでしたの』とかなんとか、陛下に興味がありませんってふりをしていただくんです」
「本? 本ならいくらでも読めるじゃない」
陛下のいらっしゃらない日中とか。別に夜に陛下のお相手をすればいいだけだから、困らないと思うんだけど。
「違うんですよ。『陛下に興味がない』、これが大事なんです」
いいですか?
香鈴が、ズイッと人差し指を立てて迫る。
「本がお嫌なら、『美しい後宮の女性たちを観察したかった』でもいいですし、『ほのぼの後宮暮らしがしたかった』、『三食昼寝つきがありがたかった』でもかまいません。とにかく、皇帝陛下には微塵も興味がございませんってふりをするんです」
美しい後宮の女性とか、ほのぼの後宮とか……。ナニソレ。あんなどす黒い駆け引きだらけの後宮でほのぼのって。真逆すぎない?
「まあ、わたしの場合は、借金返済が目的だったから、陛下に興味はなかったんだけど……」
「そう、それです!! それが重要なのです!!」
香鈴、力説。
「殿方は、自分に感心のない女性に興味を惹かれます。特に、陛下のように女性に群がられて辟易とされてる殿方には、『この私になびかないとは』って、新鮮で斬新な女性に思えるのですよ。逃げられれば、追いかけたくなる。離れれば、捕まえたくなる。それが殿方の性分なのです」
うーん。
一理あるんだか、ないんだか。
確かに、後宮の女性から、「子種!!」「権力!!」「地位!!」と言い寄られてる陛下にとってみれば、「陛下に興味はありませんの」って言葉は斬新かもしれない。
「でも、『興味ありませんの』って言って、『あっそ。じゃあお前、もういらないわ』って捨てられたらどうするのよ」
かけ引きのつもりで、本当になっちゃったら。
「その場合は、運命としてあきらめるしかないんじゃないでしょうか」
あきらめるんかい。
「それじゃあ、啓騎さんや、公主さまの期待に応えられないじゃない。もっと別の方法はないの?」
陛下に好かれたいわけじゃないけど、期待には応えたい。
陛下が誰かを好きになるキッカケになればいい。
「では、他の殿方から惚れられるっていうのはどうでしょう」
「は? 他の殿方?」
後宮にいて、そんな出会いがあるとでも?
「はい、自分のものだと思っていた女に、誰かが想いを寄せていると知り、恋の自覚を促す作戦です。それっぽい匂わせかたをしておいて、陛下の心をかき乱すんですよ」
「その場合『誰か』って、誰がやるのよ」
「そうですねえ。啓騎さまにでもやってもらいましょうか。思わせぶりな手紙でも書いていただいて、陛下の目に留まるような所に置いておくとか」
「ダメよ、ダメ、ダメッ!! そんなことしたら、啓騎さんの首がチョーンッ!! って飛ぶわよ!! 仮にも皇帝の妃に懸想したなんて、絶対に許されることじゃないんだからっ!!」
啓騎さんだけじゃない。わたしの首もチョーンッ!! だ。
そういう危険な作戦は、物語のなかだけにしてほしい。
「そうですか。仕方ありませんね」
わたしが思いっきり否定すると、香鈴に、大げさなぐらい嘆息された。
香鈴。物語脳になってから、発想が過激になってない?
「でしたら、お嬢さまが城下で暴漢に襲われるとか、お嬢さまが後宮の妃候補たちに妬まれて命の危機に晒されるとか。そこをすかさず助けに来る陛下って方法もありますけど……、どうしました? お嬢さま」
「だーかーらー。もっと温和な方法がいいのっ!! なにその命の危機ってっ!! 陛下がいらっしゃってくださらなければ、わたし、死んじゃうよ?」
陛下の救出を期待して、なにもなければ、そのまま死んじゃうじゃない。
「うーん。物語的には、そうしてお嬢さまに危険な目に遭っていただかないと、話が進まないんですけどねえ」
困りました。
香鈴が、真面目な顔で悩む。
……本好き、物語好きに相談するんじゃなかった。