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巻の十二 荔枝と井戸と皇帝と。

 「やはり、見せかけは見せかけなのですね」


 「はい。すみません」


 菫青宮(きんせいきゅう)を訪れてくれた啓騎(けいき)さんのため息に、申し訳ない気分になる。


 「いえ、悪いのは琉花(りゅうか)さまじゃありませんよ。そこまで朴念仁な陛下がお悪いのです」


 わたしが妃になって以来、啓騎(けいき)さんは「琉花(りゅうか)さま」と、よそよそしい話し方をする。

 そして、陛下には辛辣。

 

 「笑い声が聞こえたと報告があったので、もしかしてと思ったのですが。まあ妃を置くことを了承してくださっただけ良しとしましょう。変なウワサも消えましたし」


 「ウワサ?」


 なにそれ。

 っていうか、先日のあれ、聞かれてたの?

 後宮って、ホント、どこに耳があるかわかったもんじゃないのね。


 「陛下には、『男色』、『衆道(しゅどう)』というウワサもあったんですよ。後宮に寄りつかず、紫宸殿(ししんでん)にまで文官武官を呼び寄せて政務を執り行ってましたからね。それも夜遅くまで」


 うわ。

 それはウワサになるわ。

 普通、皇帝陛下が臣下にお会いになるのは、〈紫宸殿(ししんでん)〉の先、公的空間、外廷にある〈宣政殿(せんせいでん)〉。門を隔てた先、〈紫宸殿〉は、あくまで皇帝の居住空間、内廷なので、よほどのことがない限り、臣下が入ることはできない。それも夜ともなれば、まあ、そういうウワサになるのも頷ける。


 (どこまで仕事中毒なんだろ、陛下)


 女を選んだとしても、その女の宮に仕事を持ち込むような人だからねえ。

 あれからずっと一緒の寝台で休んでいるけど、一度もそういうことになったことがない。

 初めのころは、寝てる間になにかされたのかって不安になったこともあったけど、夜着が不自然にはだけてたとか、身体に不調があるとかいうことはないので、おそらく本当に一緒に「寝た」だけなんだろう。


 「もしかして、啓騎(けいき)さんもそのウワサの一人だったり……?」


 「僕のことは気になさらずに、菫青妃(きんせいひ)


 あ、やっぱりそうなんだ。

 侍中だもん。ずっと陛下につき従ってるもん。キレイな顔立ちしてるし。そういうウワサ、筆頭格だよね。

 ピシャッとした言い方、少しだけイヤそうに顔を歪めた啓騎さんから、それとなく察する。

 もしかすると、陛下に女を勧めたのは、国政安定だけじゃなく、そういうウワサ解消のためでもあったのかもしれない。


 「でもこれから、陛下が真に愛する女性が現れるかもしれませんし、そう悲観することもありませんよ」


 後宮嫌いの女嫌いの陛下からしてみれば、わたしという見せかけでも妃を置いたのは、大きな一歩だもんね。わたしをキッカケにして、女って怖いもんじゃないよ~って再認識してもらえればいい。


 「菫青妃(きんせいひ)がその女性になってくだされば、一番いいのですけどね」


 や、それは無理でしょ。

 一緒に寝ても、なにも起きない間柄だよ?

 ムラムラすることもなければ、ハアハアすることもない。

 くすぐられたりとか、子どもの悪ふざけ的なことはあるけど。言ってしまえば、それだけ。恋愛対象として見られてないもん。

 

 「あの方は、あまり人を寄せ付けようとしません。政務上、必要なことをやり取りしますが、それだけです。見せかけだけとはいえ、そばに妃を置いたことは奇跡に近い。だから、どうしてもその先をと期待してしまうのですよ」


 そうなんだ。


 「まあ、いきなり愛の手ほどきは難しそうですから、ここは一つお友だちから始めていただくしかないですね」


 あ、愛の手ほどきって。

 すごい言葉が啓騎さんから出たもんだわ。

 驚くわたしの前に、啓騎さんが果物の入った器を取り出した。


 「今朝届いたばかりの荔枝(ライチ)です。陛下の好物でもありますので、冷やしてご一緒に召し上がってください」


 まずは一緒におやつを食べませんか?

 それなら、わたしにも出来ることだわ。

 愛の云々はまだまだ先になりそうだけど。


 「僕は期待してます。諦めてませんからね、菫青妃(きんせいひ)


 不穏な言葉を残して啓騎さんが退出していく。


 (甘いものは、政務でお疲れの陛下のお身体にもいいだろうし。なにより、好物なら喜ばれるよね)


 何を期待してるのか。何を諦めてないのか。

 考えたくなかったので、別のことで頭をいっぱいにする。

 目の前にある荔枝(ライチ)

 わたしの作った羹も喜んでくださったけど、それより喜んでくださるものがあるのはいい。

 啓騎さんが期待するような恋愛関係になれるかは微妙だけど、純粋にがんばってる陛下を癒して差し上げたいとは思う。


 (そうとなれば……)


 夜までにこの荔枝(ライチ)、冷やしておかなくっちゃ。


*     *     *     *


 「荔枝(ライチ)だね、珍しい」


 その日の夜。大量の仕事と一緒に訪れた陛下が、卓の上に置いた器に目をつけた。

 やっぱり好物なんだなあ。目ざといなあ。

 

 「今日、啓騎(けいき)さんが持って来てくださったんです。陛下もご一緒にどうぞって」


 「ふーん。啓騎が、ねえ……」


 あ。もしかして、その裏の真意に感づいてる?

 これをきっかけに仲良くなってください作戦だって。

 

 「今朝届いたばかりの荔枝(ライチ)なんだそうですよ。ほら、まだ棘が鋭い」


 荔枝(ライチ)は、二日もすれば香りが失われ、三日もすれば香りも味も損なわれると言われるぐらい、新鮮さが勝負の果物。

 南方でしか採れない上に、そんな鮮度第一の果物だから、そうそうお目にかかることはできない貴重品。これが好物ってあたり、陛下は贅沢な暮らしをされてるんだなって思う。

 そんな荔枝(ライチ)に含まれる真意に気づかないふりをして、赤い珊瑚のような皮をむく。

 

 「ほら、ずっと井戸水で冷やしておきましたから、とても美味しいですよ」


 むき終えた荔枝(ライチ)をポイッと口に入れる。

 うーん。軽い酸味と深い甘み。それにヒンヤリとした冷たさが加わって、正直、陛下でなくても好物になりそう。

 

 「井戸水……?」


 「はい。香鈴(こうりん)と見つけたんですよ。すごく澄んでてヒンヤリした井戸」


 話しながら次の荔枝(ライチ)の皮をむく。

 ここで、皮をむいて陛下に「あーん」とかして差し上げればいいんだろうけど、わたしにそんなことできるはずないので、そのまま二つ目も自分の口に入れる。


 「黒玉宮(こくぎょくきゅう)の東側にあった井戸なんです。あれだけキレイな水なのに、誰も使ってないのが不思議で。後宮のなかでも少し外れたところにあるからですかね。ちょっともったいない気がします」


 わたしの他愛のない話に、ピクリと陛下の肩が揺れた。

 同じように荔枝(ライチ)をむいていた手も止まってる。


 「……陛下?」


 「琉花(りゅうか)ちゃん。悪いけど、この荔枝(ライチ)はちょっと……」


 「どうしたんですか?」


 荔枝(ライチ)、好物ですよね?


 「その井戸、なんて呼ばれてるか知ってる?」


 「え? たしか〈劉貴妃(りゅうきひ)の井戸〉って……」


 その昔、黒玉宮(こくぎょくきゅう)に暮らしていた(と思う)劉貴妃(りゅうきひ)。その彼女が見つけた井戸とか、そういう意味じゃないの? 干ばつの時に、貴妃が龍神に祈って湧き出でた井戸とか。


 「その井戸はね、かつて劉貴妃が『投げ込まれた井戸』なんだよ」


 え?

 投げ込まれた?

 見つけたとか、湧き出でたとかではなく?


 その言葉の衝撃に、三つ目の荔枝(ライチ)がポロリと手からこぼれ落ちた。

 

 「時の皇帝の寵愛を一身に受けていた劉貴妃(りゅうきひ)に嫉妬した皇后の仕業だろうって。貴妃は子を孕んでいたしね。まあ表向きは、『井戸への転落事故』とされてるけど……、琉花(りゅうか)ちゃん?」


 「ゴホッ、ゴホゴホッ、ウェッ……!!」


 慌てて部屋の隅に走って、思いっきりえずく。吐き出したいのに、お腹に収まった荔枝(ライチ)はなかなか頑固に出てきてくれそうにない。


 「ゴメン。こんな話、しなかったらよかったね」


 涙目になったわたしの背を、陛下が撫でさすってくれた。

 

 「いっ、いえ、陛下は悪く、ありません」


 知らなかったわたしがいけないのだし。

 どうりで誰も使ってなくってヒンヤリしてるはずだわ。

 そんな井戸の水、使おうと思うのはなにも知らないわたしぐらいだろう。

 皇帝の寵姫が投げ込まれ、殺された井戸。考えるだけでまたえずきそうになる。

 えずいても出てこない荔枝(ライチ)を諦め、代わりに水をがぶ飲みする。こうなったら下からでいいので、早くお腹から押し出したい。

 どうにか気分を抑えて、卓に戻る。

 器のなかには、まだいくつかの荔枝(ライチ)

 さすがに、これ以上食べる気はないけど。正直、もったいない。

 高級品だし。洗ったら平気? いやいや、気分的に食べる気がしない。

 用意してくれた啓騎さんへの申し訳なさと、好物をダメにしちゃった陛下への申し訳なさと、高級品なのに食べられなくしてしまった申し訳なさと。いろんな申し訳なさで頭がグルグルする。

 もったいないけど、仕方ないよね。

 諦めて、器を持つ。


 「琉花(りゅうか)ちゃん、それ、貸して?」


 言うなり、陛下に器を取られた。そして――。


 「えっ!? 陛下、どうして……」


 むきかけの荔枝(ライチ)をヒョイッと口に入れた陛下。

 驚くわたしの前で、次々に皮を剥いて食べていく。


 「せっかく琉花(りゅうか)ちゃんが用意してくれたんだしね。もったいないよ」

 

 「や、でも、そんな……」


 「過去は過去。今も劉貴妃(りゅうきひ)が浮いてるっていうのなら別だけど、そうじゃないんだし。水だってずっと湧き出でてるんだから、入れ替わってるだろうし。問題ないよ」


 あっという間に平らげちゃった陛下。

 ……お腹、壊さないんだろうか。


 「さて、と。腹もふくれたことだし、仕事にとりかかろうかな。ごちそうさま、琉花ちゃん」


 一つ大きな伸びをして、卓に置かれた書類を取り上げた陛下。

 

 「では、お先に休ませていただきます」


 「うん、おやすみ」


 殻の山となった器を抱え、急ぎ足で部屋を出る。これを片づけて、サッサと寝よう。

 いつも通りに。いつものように。いつもの……。


 回廊を曲がりかけた足が止まる。

 なんだろう。胸がドキドキして、今日はすんなり眠れそうな気がしない。

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