巻の十 女の園は危険な香り?
「異母妹が? 琉花ちゃんを?」
「ええ。時折でいいから黒曜宮を訪れて欲しいとのことです」
淋しいから、話し相手として来てほしい。
「否」とは言えなかった。
(一人で暮らすのって、淋しかったり退屈だったりするもんね)
わたしの場合、香鈴が話し相手になってくれるし、女官の少ない菫青宮暮らしだから、なんでも自分でしなくっちゃいけなくって、淋しいとか思うヒマはないんだけど。公主さまみたいに、大勢の女官にかしずかれても、心を許して話せる相手がいなければ、つまらないんじゃないかな。
「玉蓉が……ねえ……」
フーンと、陛下が顎に手をやり考え込んでしまった。
なんだろう。兄妹仲、悪かったりするんだろうか。
それとも、わたしとの偽りの仲がバレることを危惧しておられる?
「陛下以外にご兄妹もいらっしゃいませんし。一人離れて暮らされて、心淋しいんじゃないでしょうか」
大勢の官女ではなく、身内にそばにいて欲しい。公主さまはそう願われてるんじゃないのかな。あけすけに話される豪快な公主さまだけど、淋しい、人恋しいだなんて、ちょっとカワイイ意外な一面もある方だなって思う。
「琉花ちゃんも淋しい? 親元を離れてここへ来て」
「へ? いえ、わたしは。香鈴もいますし」
別に淋しいと思ったことはない。まあそのうち家が恋しくなるのかもしれないけど、今のところ、その気配はない。
父さまのことは心配ではあるけど、それと里心は別物だと思う。
「じゃあ申し訳ないけど、琉花ちゃん、たまにでいいから、玉蓉のところに行ってきてくれるかな?」
「はい。わたしでよければ、お話し相手になってきます」
見せかけ義姉であっても、少しは役に立つだろう。
「ところで。どうして琉花ちゃん、そんなに背筋を伸ばして座ってるの?」
う。そ、それは……。
「……聞かないでください」
間違っても、胸を反らして大きく見せようっていうんじゃないですよ。ええ。公主さまと張り合おうなんて微塵も思ってもおりませぬ。
反らしすぎて、ちょっとだけ腰が痛い。
* * * *
「よく来てくれたの。歓迎するぞ、菫青妃」
数日後、香鈴だけ連れて、わたしは再び黒曜宮を訪れた。
理由はもちろん、「玉蓉公主さまのお話し相手を務めるため」。
「そうしゃちほこばらなくてもいい。妃のために人払いをしておいた」
「はあ、ありがとうございます」
ちょっと間抜けはお礼の言葉が出た。
実際、人が多いのは苦手だし、いつポロッとウソがバレるかと気が気でないのは確かだ。
だから、こういう「庭園の四阿で内輪的なおしゃべり会」はものすごく助かる。
警戒するべき相手は、公主さまだけだもんね。
他愛のない話をしながら、花を眺め、優雅に淹れられたお茶を堪能する。
後宮では参加しなかった「おしゃべり会」。
皇帝陛下の寵愛を得るため、周りはみんな敵!!だったからねえ。もちろん、「おしゃべり会」をしてた妃候補たちはいた。あでやかな衣装を着飾り、フフフ、ホホホと笑いさざめき合う。でもそれは、和やかに見えるだけで、実際は「腹のうち探り合い会」。誰か抜け駆けをしてないか、してたとして成功しているのかどうか。どんな作戦を立てているのか。
失敗してたのなら、思いっきり笑ってやる。ざまあみろ。華やかなのに、どす黒い空気が渦巻いていた。
その恐ろしさに、わたし、一回参加しただけでその後はずっと辞退してたもん。
それに比べて、この黒曜宮の「おしゃべり会」はどうよ。
静かな午後のひととき。花は清楚に咲き乱れ、小鳥のさえずりも聞こえる。
主が違えば、こうも雰囲気が違うのか。
あっちだと、どす黒空気すぎて、花、枯れそうだったもんなあ。小鳥も怯えて飛んでこないし。
卓に置かれた茶器も品がいい。白い花の絵柄。おそらく公主さまのお名前にもなった芙蓉の花だろう。
そういったところからも、余裕というのか気品というのか、妃候補と皇女の違いを見せつけられてる気がする。
うーん、女の優雅な午後のひととき。
なるべく音を立てないように茶器を手に取り、ふくいくとした香りを楽しみながら、お茶を飲む。
「そう言えば。異母兄上は、ちゃんと愛してくれてるかの?」
ブフーーッ!!
「なっ、なんの話しをっ……!!」
飲みかけのお茶を噴き出しそうになった。
優雅な午後のひととき、ぶち壊し。ここは下世話な井戸端ですか?
「ほら異母兄上は、仕事の虫だろう? 仕事に夢中になってお主をないがしろにしていないか気になっての」
「だっ、大丈夫です。ちゃんと愛してくださいますからっ!!」
ウソだから、つい声を張ってしまう。
というか、本当だったとしても、そういう男女の機微みたいなものは、あまり訊ねられたくない。
「そうか。それならばよい」
ニッコリ笑う公主さま。
慌てはしたけど、ウソが通じてホッとする。
「ならば、世継ぎ誕生もそのうちじゃの」
ブブッ……!!
ゲホッ!! ゲホゲホッ……!!
再び、お茶噴出。ついでにむせた。
なっ!! なんちゅーことをっ!!
キレイなお顔をされてるのに、話すことが下町おばさん。
どす黒くはないけど、桃色空間ではあったみたい。
「異母兄上には、まだ子はおらぬからの。兄弟もおらぬ。奏帝国の安定のため、一日も早い皇太子の誕生を願うばかりじゃ」
あ、そうか。
そういことか。
下世話なネタ話かと思ったけど、そういう意味ではないみたい。
後宮に興味を示さない皇帝、栄順。
彼になんとしても世継ぎを作ってもらい、その治世を盤石なものにしてほしい。
考えたくはないけど、陛下に子がないまま崩御となれば、後継者争いが起こり、下手をすれば国家が転覆する事態となる。せっかく陛下が寝る間も惜しんで政務に携わっておられるのに、その努力の結果も水泡に帰す。
子がいれば、とりあえずは政権は安定する。子が幼い頃に崩御されれば、後見人となった(多分)わたしの傀儡政権となるだろうけど、帝国の命脈はつながる。
啓騎さんをはじめ、臣下たちが後宮をグイグイ推したのには、そういう政治的な意味合いもあったんだ。
一人混乱してのぼせ上がってた頭が、スーッと冷えていく。
「ところで、菫青妃。どうして今日は、そうも背筋を伸ばして座っておるのじゃ?」
……どうして兄妹して、そういうところに目がいくんですか。
「……聞かないでください」
無駄なあがきだってことは、百も承知ですから。
* * * *
その頃の後宮、玻璃宮。
皇帝に召されることのないまま暮らす妃候補、宮女たちのなかで、ちょっとした騒ぎが起きていた。
「どうしてなの? どうしてあのチンクシャだけが陛下に愛されるのっ!?」
「信じられないわ、あんな子が陛下に――」
「黒曜宮の公主さまにも気に入られたそうよ。頻繁に宮を訪れてるとか」
「きいいぃっ!! わたくしのほうが妃にふさわしいのにっ!!」
「あのペッタンコぐあいがよいのかしら。未成熟なかんじが男心をくすぐるのかもしれませんわ」
「そうですわね。女は殿方に愛されることで美しくなると申しますもの。きっと陛下は、見劣りする娘をどこまでご自身の手で育て上げられるか、挑戦しておられるのですわ」
見初めた女を長い年月をかけて自分好みに育て上げ、我がものにして愛する。
そのためには、未熟で不完全な女が必要。
男性にそのような願望はない……とは言い難いが、のちの史家に言わせれば、実際とはおおいにかけ離れた推測である。
チンクシャでペッタンコで、化粧っ気のなかった妃候補、李 琉花。
その彼女が皇帝に愛され、その異母妹からも大切にされたことで、玻璃宮では、新たな装いが流行することとなった。
すなわち。
化粧をなくし、晒を巻いてでも胸を平らにする。
菫青妃となった琉花を真似た装いであることは言うまでもない。