旧家のご令嬢にいきなり告白される話
ある日を境に大人になる。歳をとったから、何かを経験したから、成人式を経たから…そんな取ってつけたような理由で大人にはならない。黄色から山吹色をへて橙色となりそこから紅色、赤色となっていくようにグラデーションの如く変質していくのだ。毎日の変化が少しずつだから気付かないだけできっと昨日より人は大人になっている。
けれど大人の階段が垂直だとは誰が想像しただろうか
「私、昔は今みたいにお淑やかじゃなかったんですの」
「……え?」
唐突な告白だった。
「昔の私はよく喋る女の子でしたわ」
懐かしむような目つきだ。その瞳には僕ではなく過去の自分が見えているんだろう。
「いつも友達に囲まれて、明るく楽しく過ごしていましたの。でも、ある時気付いてしまったんですのよ。皆んなが思っているほど自分が特別ではないってことに」
「…………」
「私は特別な存在ではなかったのですわ。周りにいる人たちはみんな同じように笑ったり泣いたり悩んだりして生きていますもの。それに気付いた時、私の世界はガラリと変わってしまいましたわ」
彼女は目を細めながら言う。まるで遠くを見るかのように。僕という存在を透かして後ろの景色を見るように
「だってそうでしょう?特別なんてどこにもいませんのよ?誰かにとっての特別は他の人にとってはただのその他大勢ですわ。結局みんな同じ人間なのに一人だけ違うなんてことありませんわよね」
「……」
僕は彼女の話を聞き続ける。決壊してしまった感情は無理やり堰き止めても無駄でもはや蓋をしても溢れ続けるだろう
「それに気付いてしまってからはもう駄目でしたわ。何をしても心の底から楽しめなくなっていましたの。それでも何とかしようと思いまして、自分を偽ることを覚えましたのよ。誰に対しても優しく、丁寧な態度で接するようにしましたの。そしたらどうなったと思います?」
「さぁ……」
「周りの人たちが褒めてくれましたわ!『貴女はとても素敵ね』とか、『こんな素敵な女性と一緒に過ごせて嬉しいわ』とか言ってくださいますの!」
「それは良かったですね……」
「本当に嬉しかったですわ!!それまでずっと馬鹿にされてきた私が認められた瞬間でしたもの!!」
……あーそういう事か。何となく分かったぞ……。
要するに承認欲求が強いんだ。それも他人からの評価を気にしてしまうタイプの。だから自分の努力を認めてくれる人が欲しくて、それをくれる人に依存的になってしまうタイプなんだろう。まぁ……少し危うい感じではあるが。
「でも、私は満たされませんでしたわ。どれだけ優しい言葉をかけてもらっても心の奥底では満足できていなかったんですの。だってそうでしょう?いくら頑張ったところで自分以外の人間は全員同じようにしか見えないのですもの。結局私のしてきたことは無駄だったのです」
……ふぅ。やっと核心に近づいてきたようだ。
「そんな時に貴方が現れましたの。最初はとても不思議な気持ちになりましたわ。今まで誰も認めてくれなかった私を貴方だけが見てくれたのですから。でも、すぐに違いに気付きましたわ。貴方は他の人とは明らかに違ったのです。何故なら貴方は私が他の人から言われるような良い意味で言ったのではなく悪い意味で言っていることに気付いていたのですもの」
そこまで聞いて僕は確信した。やはり彼女はあの時の女の子だったのかと。
「貴方のおかげで私は変わることができましたの。自分でも驚くぐらい劇的に変わりましたわ。そして気付きましたの。私に必要なものは貴方だと。だからこうしてお願いしているのですわ」
「……一つ聞かせてください」
「はい。何でも答えさせていただきますわ」
「僕を選んだ理由はそれだけですか?」
「どういう意味でしょうか?」
「いえ、僕のことを好きになったのは何かきっかけがあったんじゃないかと思いまして」
「いいえ、ありませんわ」
即答だった。
「嘘じゃないですよね」
「本当ですわよ。確かにきっかけはありましたけど理由ではありませんわ」
ますます分からなくなった。どうしてこの子はここまでして僕を手に入れようとしているんだろう。
「分からないという顔をしていますわね」
「はい、正直分かりません」
「ふふっ、簡単なことですわよ」
「教えていただけるんですか?」
「えぇ、もちろんですわ」
彼女は妖艶な笑みを浮かべた。その表情はどこか官能的で美しい。
「だって、貴方は私と同じ匂いがしますもの」
「……」
なるほど、そういうことか。
「……つまり、あなたは自分が特別になりたいということですか」
「はい、その通りですわ」
やっぱりそうだ。特別になりたがっている。要は普遍的な誰かとは違う存在になりたいのだ
「でも、安心してくださいまし。私は貴方と違って唯一になろうとは思っていませんわ」
「そうなんですか」
「はい。私はただ貴方と一緒が良いだけですの。私と同じような方と。それに“抜けた一”になるなんて面倒なことするつもりは毛頭ございませんわ」
「……」
「あら、その顔は納得していないようですわね」
「当たり前です」
「ふふっ、当然ですわよね」
彼女はくすりと笑う。
「特別って面倒なんですよ。特になりたての頃は。特別であるためにやらなければならないことが多くて大変なんですの。私はそんなの嫌ですわ。だから私は特別にはならず貴方と一緒にいる道を選びます」
「それがあなたの望みなんですね」
彼女は微笑む。それはまるで聖母のように慈愛に満ちたものだった。
「えぇ、そうですわ。だからどうか一緒にいてくださらない?」
「……」
彼女の瞳に見つめられて思わず息を飲む。
きっと彼女は分かっていたのだ。僕が彼女を拒むことはないということを。だからこそあえてあんな言い方をしたのだろう。
ここで断ったところで結果は変わらないと思わせるためだ。
「……」
僕はどうすれば良いのだろうか。彼女の言う通りにするのが最善なのは分かる。
でも、どうしても引っかかってしまうのだ。
本当にそれで良いのかという疑問が。
「……」
「どうしました?何か迷っていることがありますか?」
「……えぇ、あります」
「それは一体何でしょう?」
「……それは言えません」
「あら、残念ですわ。でも、私は諦めが悪いですから、これからもずっと言い続けますわよ。私を選んでくださいと」
「……そうですか」
「はい。覚悟していて下さいませ」
そう言って彼女はまた微笑んだ。
「……一つ聞いてもいいですか?」
「何でしょう?」
「どうして、そこまでするんですか?」
「貴方が好きだからですわ」
「……そうじゃなくて」
「あぁ、そういう意味でしたのね!てっきり他に何かあるのかと思っていましたわ」
「……」
「そうですねぇ……。簡単に言えば、私が貴方を忘れられないから。それだけの理由ですわ」
「忘れられないんですか?」
「はい。絶対に忘れられませんわ。だってこんなにも胸が高鳴ったのですもの。これは一生忘れられませんわよ」
「そうですか」
「ふふっ、貴方も私と同じ気持ちになってくれて嬉しいですわ!」
「……」
「大丈夫ですわ。心配しないで下さい。ちゃんと責任は取りますわ。私の全てを捧げますわ」
「そこまでしなくてもいいですよ」
「いえ、私がしたいのです。だからさせてくださいまし」
彼女は真剣な眼差しで言う。
「……」
「お願い致しますわ」
「分かりました。よろしくお願いします」
「ありがとうございます」
彼女が僕の手を握ってくる。
僕はそれに応えるように握り返した。
「では、早速行きましょうかしら」
「行くってどこにですか?」
「決まっていますわ。お父様とお母様に挨拶に参りますのよ」
「はい!?︎ちょっと待ってください!」
今この子とんでもないこと言った気がするんだけど気のせいかな。うん、多分気のせいでしょう。気のせいだと思いたい。
「いきなり過ぎませんか?」
「いいえ、全く問題ありませんわ」
「大ありですよ。もう少し時間を置いてからでも」
「何を言っているのです。時間は有限なんですのよ。早く行動に移した方が良いではありませんか」
「いや、だからと言って急過ぎるというか」
「もう、焦れったいですわね」
すると彼女は僕の手を引っ張り、自分の胸に押し付けた。その瞬間、彼女の柔らかい感触が伝わってくる。
「ちょっ、何してるんですか!」慌てて彼女の腕を離そうとするが離れなかった。
「あら、貴方はこういうのは嫌いですか?」
「い、いや、別にそういう訳じゃないですけど」
「なら良かったですわ」
「良くないです!とにかく離れて下さい!」
「嫌ですわ。せっかく貴方と恋人になれたんですもの。もっと堪能させていただきますわ」
彼女はさらに強く抱きしめてきた。
「……」
「ふふっ、照れてますのね?可愛いですわ」
「……」「それにしても本当に大きいですわね。羨ましいですわ」
「あの、当たってるんですけど」「当てているんですの」彼女は妖艶な笑みを浮かべながら言う。
その表情は男心をくすぐるものだった。
「……」
「ふふっ、やっぱり貴方は面白い方ですわ」
「はぁー、もう好きにして下さい」
「えぇ、言われなくともそうしますわ。大好きですわよ」
結局この後彼女の両親に会いに行くことになってしまった。
僕達は今家に向かって歩いているところだ。なるべく時間がゆっくり経って欲しいと思いながら
「着きましたわ」
「……」
そしてついに着いてしまった。
ここが彼女と彼女の両親の住む場所らしい。とても大きい邸宅で見上げてしまう。緊張してきたな。彼女は躊躇うことなく戸を開ける。そして中に入っていった。僕もそれに続くようにして入る。
廊下はワックスがけをしてあるのか艶がありホコリひとつ落ちていない。掃除が隅々までされているのが分かる。きっと毎日欠かさずしているのだろう。僕はそう思った。
「ただいま帰りましたわ」彼女が大きな声でそう言うと、奥の方から足音が聞こえてくる。
「あら、おかえりなさい」「おぉ〜、帰ってきたか」
二人の男女が現れた。おそらく彼らが彼女のご両親なのだろう。
「初めまして。僕は……」
自己紹介しようとすると彼女によって遮られた。
「お父様、お母様。私達結婚することになりましたわ」
「え?」思わず声が出てしまう。
今なんて言ったこの人。けっこん……するって言ったよね。
「そうか!それはめでたいことだ!」「えぇ、そうね」
二人は嬉しそうな顔をしていた。
「それで彼をつれてきましたの」
「ほぅ、君が例の少年かね?」
「はい」
「そうか。娘から話は聞いているよ。色々とよくしてくれたようだね。これからも娘のことよろしく頼むよ」
「はい。こちらこそ」
僕は頭を下げる。
下げた拍子に彼女の顔が見えてしまった。何とも言えないもの恥ずかしさを覚えたが
そこには今まで見たことがないような満面の笑顔があった。こんなにも喜んでくれるとは思わなかった。そんなことを思いながらもう一度深く礼をする。今度はしっかりとした態度で出来たと思う。「ふむ、礼儀正しい子じゃないか。安心したぞ」
「えぇ本当に良い方を連れてこられたようですね」
「あぁ、そうだな」
「ふふっ」
彼女は終始幸せそうな表情をしていた。僕も嬉しい気持ちになる。
その後少しの間談笑した後、また正式に来ますと言い残し屋敷を出ることにした。「今日は楽しかったですわ」
「はい。僕もですよ」
「それではそろそろ私は行きますわ」
「え?どこにですか?」「どこって決まっていますわ。私のお城ですわよ」
「は?」
「私達の愛の巣に帰るんですわ」「え?」
「ふふっ、貴方は私が居ないと何も出来ないんですもの。しっかり面倒見て差し上げませんとね」「いや、あの、ちょっと待ってください」
「いいえ待ちませんわ」そう言って彼女は僕の唇にキスをしてくる。
「んっ……」
そのまま舌を入れてきた。
「ちょっ、まっ……」
「ふふっ、私の初めて貴方に奪われてしまいましたわね」
彼女は頬を赤らめて言う。その姿はとても可愛らしく見えた。
「でもまだ足りませんわ」
すると今度は首筋や耳元などにキスをしてきた。そして最後に軽く頬を舐められてようやく解放された。清楚な見た目で中身は肉食獣のそれだと思った。
「楽しみにしてますわね。次の“初めて”」彼女は妖艶な笑みを浮かべる。
「……」「あら?照れてますの?」
「べ、別に照れてないですから!」
「まぁ、そういうことにしておきますわ」
彼女はクスッと笑う。「じゃあそろそろ失礼します」
僕は逃げるようにしてその場を去った。
その夜僕はなかなか眠れなかった。零時を回っても寝れず結局寝たのは朝日が出てからだった。「おはようございます」
瞼をこすりながら昨日の出来事が夢であって欲しいと思いながら挨拶をした。しかし現実はそう甘くはなかった。
「えぇ、おはようございます」
彼女はいつも通りだった。
「どうかしましたか?」
「寝付けなかっただけです」
「私もです」
とくすくす笑う彼女。いじらしいほど可愛くて抱きしめたくなってしまう。そして彼女は僕に近づきながら言う。
「好きですわ」その言葉を聞いて僕は胸が熱くなった。嬉しくもあり恥ずかしくもある不思議な感覚だ。
僕は彼女に近づいて抱き寄せる。彼女は抵抗することなく受け入れてくれた。