それぞれの戦い
京都に別れを告げた宮野は故郷北九州へ戻った。新チームを率いての一年が今始まる。
第三話 始動
始業式と就任挨拶を終えた宮野は、2、3年生と、既に推薦で入部が決まっている1年生が待つ大谷陸上競技場へ向かった。
私立高校ということもあり、練習環境は整っている。宮野自身、15年振りの母校のグランド。高鳴る鼓動もあれば、少し恥ずかしさも混じり、浮わつきそうな感情であった。
「お帰り。宮野君。」前監督の酒井寛先生が出迎えてくれた。宮野が帰ってくることを知るや、監督の譲渡を決意し、コーチとして宮野を支えていくことを買って出てくれた。
「御無沙汰しております。先生が僕を受け入れてくれたこと。とても感謝してます。」
「いや、感謝しなければいけないのはこちらの方だ。もう、二度とこの世界に戻って来ないと思っていた。ありがとう。」
酒井は多くを語らなかった。恐らく、宮野の気持ちを察したのだろう。今はこれで良い。これから先に、宮野の答えがあるのだろう。そう思ってくれてたのかもしれない。
「行きましょう。」そう言って宮野は真っ直ぐにグランドへ向かった。
「整列!!」
宮野たちが姿を見せると、キリッとした声と共に、部員が集まってきた。
「礼!」
「こんちは!!」
全員、いい声だった。低迷しているとはいえ、県屈指の強豪校であることは間違いない。声を聞く限りは、今も昔も変わってなかったことに宮野は少しホッとした。
「こんにちは。はじめまして。今日から陸上部の監督をすることになった宮野渚です。よろしく。」
「よろしくお願いします!!」
「早速だけど、渡しておいたスケージュル通り、みんなの走力を確認したから、30分後に3000mのタイムトライアルをする。各々、それに合わせるようにアップを開始してくれ。」
「各々ですか?」
「そうだ。今までみんなでアップをしていたかもれないけど、俺の指導方針は自主性を重んじる。もちろん、指示を出しながらになるけど、基本的にはアップは個人に任せる。一人一人が、その日のコンディションを確かめながら合わせてくれ。」
日本人は、規律を重視するあまり、個人の感覚や感性を狭めてしまっていることがある。陸上競技は孤独との戦いであり、誰も助けてはくれない。だから、自分のコンディショニングに責任を持つことを基本軸にしたいと宮野は考えていた。
「あぁでも1年生はちょっと集合ね。じゃぁ始めてくれ。」
「はい!」
各々がウォーミングアップに散らばる。
「誰?」
「お前知らないの?宮野渚。この高校の大先輩。高校長距離界じゃぁ超有名だったんだぜ。」
「でも、急に姿を消したってこと聞いたなぁ。」
「女を作って、逃げたとかなんとかって噂聞いたぜ。」
いくつか散らばったグループに、こんな会話があったことは、宮野の耳に入る由もなかった。
宮野は1年生を集め、自己紹介を受けた。
「今年の1年は5名か。これに明日から一般入学のメンバーも入って6名で出発するからな。」
「一般入学の生徒がもう陸上部に入ってくれるのかね?」と酒井が問う。
「はい。僕が事前にスカウトしてきた生徒がいます。楽しみにしててください。」宮野の表情に少し笑みが浮かんだ。そして再び1年生の方を向いてこう切り出した。
「1年生は、これからフォアフット走法をマスターしてもらう。」
「えぇ?フォアフット?」
ざわつきが起こる。
「そう。フォアフットだ。正確には少しニュアンスが違うけど、基本的にはその意識で走ってくれたらいい。もう出来る人もいるかもしれないが、それもそれでいい。そのまま力を付けていってくれ。出来る人はいるか?」
「はい!」「はい!」
数人が手を挙げる。
「よし。出来る人はそれぞれ明日に向けた調整をしてくれ。フォームはチェックする。行っていいぞ。」
「残りは基礎練習するから芝生に行こうか。」
現代の陸上界は、スピードがより重視されている。後々、世界で渡り歩く為にも非常に重要な能力である。しかし、アジア系の特に日本人は、下腿三頭筋の発達や骨盤形状に関して、骨格形成上の不利がある。スピード能力を上げるためにはどうしてもフォアフットが欠かせない。だが、ヒールストライクやミドルフットしかできなくても、決して駄目ではない。それぞれにあったフォームを承認していくこと、それにあったトレーニング方法もあることを伝えた。
一通りの解説と基礎トレーニングを終え、1年生達は走りを馴染ませる為に酒井コーチと共に場所を移した。
「よーし!2、3年生集合!」
「はい!」
「じゃぁ早速タイムトライアルするぞ。」
「アップは見させてもらった。もちろん、ストレッチの姿も確認した。」
皆は一瞬ドキッとした。(1年生を教えながら、俺たちのことも見てたのか。)
宮野の言葉で、上級生たちの表情が更に引き締まった。
第四話 闘志
「ヨーイ!はい!!」
3000mのタイムトライアルが始まった。
先行争いは3年の和田唯斗と2年の橋田裕紀。二人とも、5000mの自己ベストは学年一位。距離が短い分、ハイペースな展開の様相を示した。
全国を目指すなら、3000mの走破タイムの目安は8分30秒以内が必要になってくる。宮野の頭の中では、ここで上位が8分40秒そこそこで走ってくれればとの思いで観ていた。
1000mの入りは2分50秒台。相変わらず二人の先頭争いに変わりはないが、その後方でキャプテンの小島傑が虎視眈々と勝機をうかがっていた。
小島は全体では7番目の持ちタイム。決して飛び抜けた実力の持ち主ではないが、理論派で、冷静な物腰。それでいて面倒見の良さがあることから、前年度のキャプテンから引き継ぎの指名を受けた。その小島が実力では上位の二人に余裕を持って付いていっているようにみえた。
全体が縦長になってきた中盤、ペースはあまり落ちていない。2000mの通過は5分43秒台。3000mは苦しくなるポイントがラスト1000mにくる。5000mなら中盤だが、3000mではラストになるため、ここでの一踏ん張りが、後の5000mや10000mでのデッドポイント克服に重要となる。
先頭の二人は、激しくやり合った影響で表情に険しさが出始めた。息を潜めていた実力上位の谷口たちがじわり差を詰める。その反応を待って、小島がスパートをかけた。残り600m。前は5人の混戦となった。流石に余力が残っていないか。必死に腕を振る。
「この1周が大事だぞ!息を吐け!腕を目一杯引け!」
宮野が鼓舞する。
向正面で小島が出た。このまま押し切れるかという所だったが、最後の直線で和田が意地の差し返しでゴール。タイムは8分38秒台。5秒以内に5人。下降ラップではあったものの、このタイムは全国500傑に入るタイムであり、悲観するような内容ではなかった。全体でも、8割りが9分を切っており、やはり低迷しているとはいえ、実力者が集まる学校ではある。
そして、おとなしいと聞いていたキャプテンの小島の闘志が見れたことに宮野は嬉しく思った。
練習終了後、宮野は小島を呼んだ。
「小島!ちょっといいか?」
「はい。」
「今日のトライアル。惜しかったけど良い走りだった。手応えはどうだ?」
「ありがとうございます。勝ち気な二人を見ながら進めたいと考えてたので、思った走りはできました。ただ、和田の方が底力が上でした。」
自己ベストの更新なのに、小島はあまり嬉しそうではなかった。
「悔しいか?」
「...はい。うちのエースは和田で間違いなと思います。アイツは、1年の時から、上級生にも負けず劣らずの気迫があって、1年生では唯一駅伝のメンバーでした。」
小島は続ける。
「キャプテンを任せられたからには、一回くらいは勝ってみたいなと思ったのですが、こっちは溜めていって、アイツは始めから競り合っていて、それでも負けた。」
「完敗です。」
肩を落とす小島に宮野はそれでいいと伝えた。
小島は大人しくて面倒見がいい。それが、周囲を気にしすぎてのことなのかどうなのか確かめたい思いもあった。日本人の特性として、周囲を気にしすぎて、本来あるはずの実力が出せない場合が多くある。もし、小島がそうであるなら、宮野はキャプテンを外すことまで考えていた。しかし、キャプテンとしての責任感と勝負師としての心構えが小島との会話で感じ取れた今、キャプテンは小島で大丈夫と判断した。
第五話 勝負
初日の練習が終ったあと、宮野はとあるBarに出向いた。
<カランカラン>
「いらっしゃいま。。せ。。。って、渚くん!?」
「御無沙汰してます。里美さん。」
「どうしたの突然。。。まぁ、後ででいいわ。何か呑む?」
「スコッチをロックでお願いします。」
「何年振りだっけ。」
「15年です。」
「もうそんなになるんだ。初めてのとき、まさか高校生がうちの店に来るとは思わなかったよ。」
「僕もです。まさかこんなところに連れて来られるとは思いませんでした。」
「あの子お酒好きだったもんね。最後に会ったのは全国に行く前だったよね。今まで何処で何してたの?」
Bar「dezel」
宮野にとって思い出の場所。
宮野はこれまでの経緯を話した。
「そうだったんだ。。。そんなことがあったんだ。偶然とは言え、にわかに信じがたいわね。で、今は母校で陸上部の監督ってわけ。」
「はい。15年悩みました。でも、最後は背中を押されて吹っ切れました。」
「あんたにとっては特別だもんね。」
「はい。」そう言いながら、一本の瓶が宮野の目に止まった。
「The Beach。そんな銘柄ありましたっけ?」
「あぁこれ。あの子が付けたのよ。渚が成人を迎えたら、一緒に開けるんだって。」
「そうだったんですね。」
宮野はその瓶を手に取り、この一年の戦いが終った後に、乾杯することを誓った。
しばらく思出話に浸ったあと、宮野は相談を持ちかけた。
「あの。。ひとつ頼みがあるんです。」
「なに?」
「実は。。。」
翌日、宮野はクリニックでの業務を終え、部室へ向かった。今日は足立が初めて来る日。案内を小島に頼むべく来たのだ。ところが、部室に付くや否や不穏な声がが聞こえてきた。
「なんお前。新人?陸上の経験あんの?」
「高校の陸上部舐めたら痛い目合うけ帰ったら?」
「そうそう」笑
どうやら一足早く授業が終った1年生達が足立を茶化していた。
<トントン!>
ドアをノックしながら宮野が入ってきた。
「あまり良い出迎えじゃないね。新しく来る仲間に対して。俺がスカウトしてきたんだ。そして、部活動は誰に対しても平等だ。エリートでも雑草でも同じ。良い結果が出ていても、人間性が未熟じゃ一流にはなれないよ。」
茶化してた一年生はバツが悪そうに小声で「すみません。」と言うしかなかった。
「まぁ、今日は足立も一緒にトライアルに参加するから、そこで実力を知ってもらうといい。」
宮野が来たことで、足立の表情が少し緩む。高校生とはいえ、まだ精神的には子供っぱい部分もある。思春期で不安定でもあり、こういったいざこざひとつで、モチベーションを大きく低下させてしまうことも多い。ましてや、足立は陸上の経験どころか、部活動の経験すらない。いきなり強豪校の中に飛び込むには相当の勇気が必要だった。
場が落ち着いた所へ3年生達がやって来た。
「こんちは!!」
「先生すみません。遅くなりました。」
小島が駆け足でやってくる。
「いや。いいよ急がなくて。勉強お疲れ様。さっそくだけど、足立の案内を頼むわ。」
「わかりました。」
「はじめまして。小島傑です。部室内のこととか案内するよ。」
「足立公康です!よろしくお願いします。」
その場を小島に任せて、宮野はグランドへと向かった。
「集合!!」
「はい!!」
グランドへ全員が揃った。
「予定通り、2・3年生は時間走とサーキットトレーニング。1年生は3000mのタイムトライアルね。」
各自がアップへ散らばる。まだ勝手が違うからか、大きなグループもある。足立は戸惑っていたが、留学生のカイルが気さくに誘ってくれたようで、付いていっていた。カイルもまた、慣れない土地に来て頑張っているうちの一人。足立の心境を感じ取ったのだろう。
(カイルと足立)
その走りを少し離れた場所からさっき部室で茶化してた佐藤が見ていた。
「ねぇ。カイルと足立!勝負しようや!」
「えっ!」
驚く足立に対し、カイルは不敵に笑い返した。
宮野が見つけた原石とのプライドをかけた緒戦。戸惑う足立に勝機はあるのか。もうひとつのライバル物語が今火蓋を切った。