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第4話

 裕也の車でアパートに送ってもらう。

 車窓から見える銀杏並木が、萌えるような黄色に染め上がっている。道路は一面銀杏の葉で埋め尽くされ、黄金の絨毯のようだ。一ヶ月前に裕也の車で通った時には、銀杏はまだ青々と生い茂っていた。季節は残酷な速度で過ぎ去っていく。

 絵画のような風景とは対照的に、年代物のセダンはゴトゴト揺れる。

 5ヶ月前に裕也が購入した車だが、価格と燃費そして車検の残り年数を最優先した結果、これになったそうだ。驚くほど価格が安く、驚くほど燃費が良く、そして驚くほどよく揺れる。上下振動でお尻が痛い。車酔いになる。インドの力車はこんな感じなのかもしれない。いつかインドに行ったら乗り比べてみよう。

 なにかサントラが欲しい。

 私はバッグからMPプレイヤーを取り出した。車載スピーカーに接続し、指先で選曲する。ジャズミュージックが車内に溢れ出す。

「本当にごめんなさい。迷惑かけないようにって、いつも思ってるんだけど」

 ビートに乗って謝った。裕也は横目で私を見て、すぐにフロントに顔を向けた。

「いつでも電話してって言ったこと覚えてる? あれ、言葉どおりの意味だから。紗枝は何も気にすることはない」

 ちょっと救われた。赤信号で車が止まる。裕也はサイドブレーキを引き、左足でタップを踏む。停車時の彼の癖だ。

「お互い事情を知った上でつき合い始めたわけだし、万一にそなえてアパートの鍵を預かったのも、僕の考えだ。このくらいのこと、なんてことはない。紗枝は自分の身体のことだけを考えてればいい」

「ありがとう」

「どういたしまして」

 フロントガラスに反射した裕也と目が合った。彼が微笑んだので、私も笑顔でぺこりと頭を下げる。私たちは笑いあった。なんとなく幸せだ。

 軽妙なタップの音が消え、車は再び走り始める。手動式のオープンウインドウを回して窓を開けると、爽やかな秋風が流れ込んできた。しばらく雨が降っていないため、からっとした心地よい空気だった。助手席のシートで思い切り伸びをする。久しぶりに気分は軽い。

 5ヶ月前、私が自分のことを打ち明けたすぐ後に、裕也はこの車を購入した。

「紗枝と出会う前に購入した車なんだ。手違いで納車が遅れてたけど、これでようやくドライブができる」

 付き合い始めて最初のドライブで、裕也は穏やかな口調でそう言った。

「もしかして、彼女を作るために車を買ったんじゃないの」と私がからかうと、

「当たり。その結果引っかかったのが、紗枝」と彼はおどけて舌を出した。

 笑い話として冗談半分に聞き流していたが、実は半分当たっていた。

 彼がコンビニで飲み物を寄っている最中、悪戯っ気を起こしてダッシュボードを捜索したことがある。捜索するほど物は入っていなかった。懐中電灯と発炎筒、任意保険書と自動車購入の契約書類が置かれているだけだ。

 暇つぶしに契約書類を捲ってみた。購入金額はとんでもなく安い。座り心地の悪さも頷ける。契約締結日は、私たちが付き合い始めた後になっていた。鈍い私はそこで初めて、車の購入と私との因果関係に思い至った。書類をダッシュボードに戻して、笑顔で裕也を迎える。

「これ」

 手渡されたのは、ミネラルウォーターと酔い止めの薬だった。やさしい。

 それ以来私の通院の送り迎えやデート、そして昨夜のような緊急時の往来にと、このオンボロ車はフル回転している。

 さすがに申し訳なく思い、せめてガソリン代くらいはと、スタンドに寄るたびにガス代を差し出そうとした。しかし裕也は、私の手のお札に一瞥もくれず、さっさと自分で支払ってしまう。自分が好きでやってることだから、とすまし顔でタップを踏むのだった。

 頭を悩ませた末、誕生日にプレゼントを贈ることにした。彼が傾倒している作家の最新本と、百貨店で購入したブランド物の紐靴の2点を丁寧にラッピングして、メッセージカードを添えて渡した。彼は小さな子供のように喜んでくれた。


 車は国道を右折して、碁盤の目のように入り組んだ私道を進んでいく。

 右へ左へと曲がり角を何度か越えた所に、私の住んでいるアパートはある。

 築30年近い木造2階建て。1階、2階とも部屋が等間隔に横に並んでいる。壁は元々クリームだったようだが、何年も塗り替えていないため、ところどころ黒く汚れている。最寄駅までバスを使用など利便性もよくないが、その分賃料は安い。

 馬の嘶きのような音を立てて、セダンはアパートの前に止まった。

「上がっていって。コーヒーでも淹れるから」

 MPプレイヤーをバッグにしまい、車を降りながら裕也を誘う。裕也は腕時計に目を落とすと、気忙しげに首を横に振った。

「やめておこう。今から急いだら、午後の授業に間に合うかもしれない」

「あら、創立記念日じゃなかったっけ?」

 わざと冗談交じりに言った。裕也はちょっと首を傾げると、軽く微笑んだ。

「特別補講があるんだ。外国から有名な教授が来るっていう、とても重要な補講なんだ」

 裕也は軽く手を振ると、サイドブレーキを下ろしてセダンを発進させた。ダッダッダッと耕運機のような音を轟かせながらセダンは走って行く。エンストしないのが不思議な音だ。国産車とはすごいものだと、日本国の底力を感じさせるような音だった。

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