第2話
整形外科で20針ほど縫うことになった。
縫合してくれるのは顔馴染みの整形外科医だ。30代半ばの短髪の男性。学生時代に柔道をしていたそうで、引き締まった身体をしている。
看護士が私の腕に麻酔を注射する。冷たい液体が腕の静脈に沿って流れて行き、危うく身震いしそうになる。針が折れたら大変だ。歯を食いしばって何とか我慢する。
脱脂綿で注射の跡を抑えていると、腕がじーんと腫れぼったくなってきた。麻酔が効いてきた証だ。
精神科医はボールペンのお尻で、私の腕を上から下まで満遍なく突いていく。痛くありませんと言うと、今度は針のようなものでちくりとやる。
「痛くないね?」
私が頷くのを見て、整形外科医は縫合器具を手にする。
「それでは縫っていきます」
ピンセットと魚釣りのような特殊な針で器用に縫っていく。雑巾でも縫い合わせるようにして、わずか数分で私の腕は縫合された。
縫合中に怪我の原因を聞かれたが、無意味な質問だと思った。
この総合病院の整形外科で、私はこれまでに何度も手首を縫合をしてもらっている。当然原因は解っているだろう。
「実は私は美術大学の学生で、課題の彫刻を彫っている最中に腕を滑らせてしまいました」
信じるだろうか? よっぽどおめでたい医者でない限り信じない。
私が無言をとおしていると、整形外科医は包帯を巻きながらふんと鼻を鳴らす。そして併設する精神科に寄るように勧めてきた。無論任意だろうが、口調は断固とした響きが伴っていた。
「ありがとうございました」と、丁寧にお礼を言って診療室をあとにする。またお世話になることを考えて、あまり印象を悪くしたくはない。
外来のソファで、裕也は本を読んでいた。診察室から出てくる私に気付くと、彼は立ち上がって近づいてきた。
「どうだった?」
「傷は少し残るみたい。あと、精神科に寄るように勧められた」
そう言った後で後悔する。精神科にはちょうど一週間前に赴き、薬を処方されたばかりだった。いま来院したら、腕の包帯について執拗に尋ねられるのは目に見えている。
「そうか。じゃあ、すぐに行こう。この時間なら、あまり待たなくてすむかもしれない」
治療費を支払った後、裕也は私の手をとり精神科の方へ向かう。気乗りはしないがしかたない。私たちは階段を上っていった。
総合病院の精神科には月1回のペースで通院している。
初診の頃は毎週来院するようにと言われていたが、しばらくすると隔週になり、現在では月1回で落ち着いている。容態が安定してきたという見立てだろうか。
通院時刻は朝一か閉院間際と決めていた。主義やゲン担ぎではなく、ちゃんとした理由がある。
基本的に私は、薬を処方してもらうために精神科にきている。100パーセント実利的な理由と言っていい。医者に話を聞いてもらったり、アドバイスを受けたりといったことにはあまり興味がない。医者が無能と言うつもりはないが、特に信用も信頼もしていない。それだけのことだ。
そして、どこの病院もそうだろうが、通常朝一の外来は何人もの通院患者が待っている。患者数が多くなると、医者はひとり当たりに費やせる時間が少なくなる。つまり面倒な診察時間が短くなる。
閉院間際というのにも理由がある。
精神科の医者というのは、基本的にナーバスな患者の診察をしている。ナーバスな患者のナーバスな悩みに耳を傾けているうちに、精神科医自身がナーバスになってしまうようだ。故意あるいは無意識かは分からないが、閉院間際にはあまり話しかけてこなくなる。結果、お定まりの質問に適当に相槌を打つだけで、簡単にで薬を処方してくれる。
日本全国の精神科医がそうだとはいわないが、少なくともここの精神科の医者はそんな感じだ。
3階の一番奥にある精神科に辿り着くと、すでに8人もの先客が待っていた。雑誌や新聞を読んだり、あるいは居眠りをしたりして、診察の順番を待っている。
受付で診察券を渡し、裕也の隣のソファに腰を掛ける。
現在は昼前の時間帯だが、診察人数が多いので3分診療で済ませられるかもしれない、外来を見渡しながら希望的観測をする。
裕也は足を組みながら文庫本を読んでいる。
何の本だろう? かがみ込むようにして本の表紙を覗き込むと、髪が流れて床についてしまった。手で髪を抱えるようにして、もう一度本の下に顔を潜り込ませる。
文庫本の背表紙には『異邦人』と書かれている。カミュの代表作。精神科の外来で読むのに、これほど相応しい本もないだろう。
「金曜日だから、授業あるんでしょう? 一人で大丈夫だから、裕也は大学にいってきて」
私は本の表紙を見上げながら、裕也に小声で話しかけた。裕也は文庫本を持ち上げて、やさしい目で私を見下ろす。
「今日は休校」
「休校って、なんで? 今日は金曜日でしょう?」
「大学の創立記念日」
裕也は文庫本で顔を隠すと、それきり会話を打ち切ってしまった。私のために自主休校するつもりだろう。これまでに何度か聞いた台詞だった。
ソファの背もたれに深く腰を下ろす。安っぽい黒革のソファはギィと軋みをたてて沈み込んだ。積み重ねられた精神の叫びのような軋みだった。
天井付近に設置されているスピーカーからは、やわらかなクラシック音楽が流れている。モーツァルトのピアノソナタ第11番の第一楽章だ。この曲の第三楽章は有名な『トルコ行進曲』なので、トルコ行進曲付きともばれている秀逸なピアノ演奏曲だ。起伏に飛んだ第三楽章とは対照的に、第一楽章は繊細で優雅な旋律をしている。
目を瞑って音楽に耳を傾ける。
ゆったりとした調べを聴いていると、全身の緊張がほぐれていくようだった。モーツァルトの作曲した音楽には精神を安定させる効果があると聞く。
以前本で読んだのだが、精神治療のひとつに音楽療法というものがあるそうだ。自閉症や統合失調症などの精神病患者に対し、音楽を聴かせることによって精神を安定させていくという、嘘のような本当の療法である。
その療法においても、モーツァルトの音楽はよく用いられている。眉唾療法の一つだと思っていたが、本当に何がしかの効果があるのかもしれない。聴いているだけで精神が安定していくように感じる。
ソファにもたれてうとうとする。昨夜は2、3時間ほどしか眠れていない。少しでも睡眠をとっておこう。
どれくらい経過しただろうか、「倉本紗枝さん」と受付の女性が私の名前を呼ぶ声で、はっと気が付く。時計を見ると、ソファに腰掛けてから30分以上経過していた。8人いた先客はいつのまにかいなくなっており、外来は閑散としている。
バッグを肩にかけ、モーツァルトにさよならを告げて、私は診察室に入っていく。