表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

国外追放

シャイファー・エンブリアに起こった出来事

作者: 鷹村紅士

作中には児童虐待の描写があります。

ご注意を。

「面を上げなさい、シャイファー・エンブリア」


 嫌悪を隠さない声音で王女が俺に命じる。

 素直に顔を上げれば、王族の面々の冷たい視線。

 視界の隅に見える父や母、王子の側近たちの一部も、顔をしかめて俺を見ているようだ。


「シャイファー・エンブリア。あなたは栄えあるエルワイス王国筆頭公爵家の嫡男でありながら、血の繋がった弟であるファイカー・エンブリアを忌み嫌い、蔑み、虐待を繰り返すその腐った性根、私の婚約者には到底相応しくない。よって、わが父の許可を得てあなたと私の婚約は白紙になる」


 *****


 俺、シャイファー・エンブリアはエルワイス王国に三家ある公爵家の一つ、エンブリア公爵家の嫡男として生まれた。

 エンブリア公爵家は筆頭貴族で、国王の忠実な家臣であることを誇りとしている家なので、俺は幼い頃から公爵家の次期当主としての教育を受けてきた。

 俺の幼少期の記憶は泣いてばかりだ。

 全貴族の見本となる当主の父。社交界を牽引する母。そんな二人の息子として恥ずかしくないようにと付けられた家庭教師たちや、公爵家に長年勤める侍従たち。

 俺を取り巻く人々は、俺の一挙手一投足を監視し、その全てに対して叱責してきた。

 曰く、公爵家の者としてその立ち姿は美しくない。

 曰く、公爵家の者は歩く姿にも気品が必要。

 曰く、テーブルマナーは流麗にして華麗なのは当たり前。

 曰く、ペンを持つ姿は凛々しく。

 誰かに叱責され、直そうとしてもなんやかんやと文句を言われ、なんとか及第点を──まぁ仕方がないかぁ、といった不満げなものだが──与えられ、解放されたと思えば今度は別の人間にそれを叱責され、またなんとかすればまた別の人間が……の繰り返しだ。

 昔はそれで泣いた。どうしていいのか分からないから。

 公爵家の嫡男が泣くなと全員に怒られる。

 ではどうすればいいのかと聞けば、公爵家の嫡男として完璧であれと怒られる。

 嫌だと言えば体罰を加えられ、泣いて謝れば公爵家の嫡男として簡単に人に謝るな、公爵家の矜持を持てとさらに怒られる始末。

 さらに成長するにつれて公爵家の人間は文武両道でなければならないと言われる。

 ただでさえキツイというのに、多岐に渡る学問の家庭教師が次々と知識を垂れ流し、武術の師範による扱きが与えられた。

 公爵家の人間ならばこれは必須だ。

 公爵家の人間ならばこれぐらいは簡単にこなさなければならない。

 公爵家の人間ならば。

 公爵家の人間ならば。

 公爵家の人間ならば。


 そうして俺は、倒れた。

 倒れた結果、皆から呆れられ、期待されなくなった。


 その頃、ちょうど弟が生まれた。

 皆の期待は弟に移った。


 なんとか起き上がれるくらいに回復したら、俺は公爵邸の敷地内にある離れに押し込められ、老齢の使用人夫婦によって育てられた。

 最初は虚脱状態で何もやる気が起きなかったが、使用人夫婦の優しさに触れるにつれて、何とか元気を取り戻すことができた。

 それからは貴族ではなく、庶民と同じ生活を送るようになった。

 着替えは元より、炊事洗濯、裁縫、その他諸々を夫婦に習い、技術を身に着けた。

 それ以外にも細々とした物の買い出しをする必要があったため、買い物についていって庶民の生活に触れた。

 公爵家は潤沢な資金を老夫婦に渡すだけ渡して、必要な物は自分たちで揃えろと命じたそうだ。

 だから世の中にどんな職業があるのか、どんなものが売っているのか、こういった時にはこうすればいい、ああすればいいといった事柄が学べた。


 老夫婦には感謝してもしきれない。

 そんな老夫婦も、俺が自活できるようになるくらいに成長したのを見届けて、二人とも穏やかな眠りについた。

 本邸の方の侍従にそのことを告げに行けば、とにかく驚かれて、次いで老夫婦の亡骸を墓に納める手続きを行ってくれた。

 そのまま墓に花を添え、俺は離れで一人の生活に戻ったのだが、変化はすぐにやってきた。

 生まれてから一度も会ったことがない弟が俺という存在に興味を示した。

 侍従長が離れに現れ、慇懃無礼に屋敷へ来いと、お願いという体の命令をしてきた。

 特に行く気はなく、即座に断った。

 この離れで生活し、街での生活に触れた俺は貴族らしくなくやさぐれていたから。

 それでも屋敷の警備兵にはかなわない。両腕を掴まれて運ばれていった。


 屋敷では久方ぶりにあった両親と、初めて見る子供が仲睦まじく椅子に座っていた。

 相変わらず俺を冷めた目で見る両親。

 その二人に挟まれて、こちらを珍しそうに見る、一見女の子にしか見えない弟。

 ファイカーという名の弟は俺の予想とは違ってかなり溺愛されていた。

 口をだらしなく開け、落ち着きなく体を左右に揺するなど、俺がすれば十人がかりで怒鳴り散らされるのに、弟に対しては両親も壁際に待機する侍従たちも何故か穏やかな表情だ。

 その表情は、俺が頑張って一つの事が出来た時、老夫婦がしていた表情と同じだった。

 意味が分からなかった。

 何故、俺と弟では対応が違うのか。

 そんな俺を置いて、両親は弟を撫で、菓子をわざわざ口へ運んでやって、食べかすを丁寧に拭ってやって……。


「あの」

「……っ!」


 耐えきれず、言葉を発すれば怒りに満ちた顔で睨まれた。


「あのね、にーさま、いっしょにいよ?」


 そんな両親を無視して、弟はそんな言葉を口にした。

 公爵家の人間として、言葉遣いは正しくと言われ、大人と同じように話さなければ叩かれて怒鳴られたというのに。

 これが年相応なのか俺には判断がつかないが、足をばたつかせながら弟は満面の笑みだ。


「ね、いーでしょ? とーさま、かーさま」


 俺がそんな風に話しかければ平手打ちの十発は飛んできそうなのに、父は弟に笑いかけながら頷いていた。

 誰だこいつは、と本気で思った。

 挨拶のために頭を下げれば、棒で叩いて角度を調節するような男が。

 歩いていれば扇で手足を打ち、指先にまで流麗にと叱責する女が。

 弟には何一つ言わず、その行動を肯定しているなど。

 理解できなかった。

 混乱し、固まる俺はこの時両親と弟の会話を覚えていないが、弟は嬉しそうに奇声を上げたと思えば部屋から駆け出して行った。

 公爵家の人間として、室内で走るなどもっての外だと言われていないのか?


「可愛いファイカーの願いだ。お前にこちらでの生活を許可する」

「……え?」

「なんだ? 不服だとでもいうのか? ファイカーがお前の事を気にかけているからこその恩情だ。ファイカーの優しさに感謝しろ」

「ええ、そうね。あの子はとても優しいから、例え公爵家の人間として不適格な者にでも慈愛の手を差し伸べる。正に聖人のよう」

「そうだな。私たちの子は本当に素晴らしい」


 全身の肌が泡立ち、抑えきれないほどの震えに襲われた。

 気持ち悪い。

 その後、俺を罵倒し、弟を褒め称えることを十分ほど繰り返して仲睦まじく退室していった。

 この時俺は本気で離れに引きこもりたかった。

 しかし警備兵に以前使っていた部屋へと連行され、渋々屋敷で生活を再開することになった。



 屋敷での生活を再開したら、また家庭教師に囲まれた。

 まるで俺を敵のように睨む教師陣。

 彼らは自分は一流で、仕事は完璧にこなさないと気がすまないらしく、再び俺を完璧で理想的な公爵家の人間にしたてるべく俺に教育をすると宣言した。

 朝から晩まで座学に武術の勉強や訓練。

 離れにいた時、老夫婦に基礎は大事だと言われ、教えられた範囲のことは毎日復習してきたことで当時は分からなかった事も理解したし、体力作りも欠かさなかったから一応は耐えられた。

 けれどすぐさま次のステップへと移って、また叱責と仕置きの日々に逆戻り。

 それだけでも憂鬱なのに、今度は弟という新要素まで追加された。


「にーさま! あそんで!」


 難しい課題を与えられた時、師範に扱かれて地面に転がされている時、ほんのわずかな休憩時間。

 時と場所を弁えず、弟は突撃してくる。

 俺には厳しい教師や師範も弟が来ると手を止め、穏やかに笑う。

 態度の豹変に気持ち悪さを感じつつ、弟の誘いを断る。

 ただでさえ早口でどんどん進んでいって追いつかず、それを叱責されるという悪循環の座学。習ってもいない事柄に関するレポートを何の資料もなく書き上げろという課題の数々。公爵家の人間ならば戦場で武功を上げなければならないと日々限界を超えても行われる訓練。

 それらを無視して弟の遊びなど出来る訳がない。

 そうすると、弟は泣く。

 顔を歪ませ、涙が滲んだと思えば大声で泣きわめく。

 俺が泣いた時には情けないと取り合わずにいた大人たちは、弟が泣けばすべてを投げうってあやしにかかる。

 ついには母が走ってきて弟を抱きしめて連れ去り、残った者は俺を人の心がない畜生だと決めつける。

 意味が分からない。

 座学も訓練も本当はやりたくない。けれどやらなければ飯にもあり付けないから優先せざるを得ない。

 これで弟の相手などしたら、その後がどうなるかなど恐ろしくて考えたくもない。

 だから断るのだが、断れば俺は人でなし。

 本当に意味が分からない。


 それからは本当にキツくなった。

 弟を泣かせた事を聞いた父は俺に対して烈火のごとく怒り、暴力まで振るってきた。

 武術の師範の扱きに比べれば撫でられるようなものだったけど。

 大人たちの俺に対する扱いはどんどん厳しくなった。内容もそうだけど、本の持ち方にまで文句を言われて叩かれるようになった。

 それでも弟が突撃してくると皆人格が変わったように大人しくなる。

 弟は変わらず遊ぶことしか考えていない。

 断ってひどい目にあったので二回目は了承したら、今度は教師たちが弟を言いくるめ始めた。

 意地悪だー! なんて泣いて出て行ったと思えば教師たちは俺に対して公爵家の人間としてうんたらかんたらと説教をしだし、怠惰な人間だなんだとマイナスの評価になった。

 泣いて出て行った弟はどういう事を言ったのかは分からないが、両親は俺を人でなしと罵倒し、さらに険悪になった。

 なので次からは遠回しにだったり、有耶無耶にしようと色々手を尽くしてみたが、結局弟は泣いて出ていき、大人たちは俺を悪とする。

 ここまでで分かったことだけれど、どうやら大人たちは弟の美貌に魅了されているようだった。

 侍女たちが話しているのを聞いたが、女の子のような顔立ちに鍛えていないせいで華奢な体。人好きのする笑顔に天真爛漫な性格が可愛げがあるそうだ。

 逆に弟を泣かせる俺のことは、よくもまぁそこまで語彙があるなと感心するくらい悪し様に罵っていたが。

 両親も侍従たちも教師陣も、果ては出入りする商人たちですら弟を可愛がっているそうだ。

 気持ち悪いな。


 月日はあっという間に流れて、十の歳になった時、父に呼ばれて執務室に行けば、俺の婚約が決まったそうだ。


「お前には勿体ないことだが、お前に王女殿下との婚約を陛下より賜った」

「はい」


 正直な話、婚約などしたくはなかった。

 そもそもの話、もう公爵家だのなんだのとウンザリしていた。

 本気で家を出る準備をしていたが、弟を泣かしているせいか侍従たちが俺を監視しているせいでできなかった。


「ふん、可愛げもないのか」


 もう当たり前になった罵倒は聞き流すと、父はこの婚約がどれだけ大切なものなのかを滔々と語りだした。

 要約すれば自国も含めて周辺各国はおおむね仲良く、さらに言えば王女が降嫁するに相応しい家格でちょうどいい年頃の人間が俺だということだ。

 後で知ったことだが、国王は王女を溺愛していて、他国に嫁がせずにすぐに会える公爵家を選んだそうだが。

 ここで断ればまた面倒なことになるから了承すれば、すぐさま顔見せの段取りが組まれることになった。

 初めて着る礼服で両親と初めて馬車に乗って初めて城に向かった。

 馬車の中では両親に延々と無礼なことはするなと言われ続け、城に到着してからもぶつぶつと言われ続けた。

 会場となる応接間につき、王女との顔合わせは、予想に反して穏やかに終わった。

 王女は知的で、俺を終始罵倒しなかった。

 これだけでも好印象だ。

 さらに王女の振るような話題は教師陣に叩き込まれていたのでスラスラ答えられ、俺が庶民の生活も知っているのに大変驚かれた。

 時間になったので気分よく帰宅できるかと思えば、馬車ではカップの持ち方だの視線の動かし方だの難癖つけられたが。


 その後、何がどうなったのか知らないが王子たちとも顔を合わせ、侯爵家や伯爵家といった他家の子息たちとも交流が始まった。

 この時点で俺は王子の側近候補に選ばれていたようだ。

 王子や側近候補との交流は、はっきり言って楽だった。

 罵倒がない。

 普通に会話できる。

 むしろ知識量としては俺が圧倒しているので頼られる。

 初めての感覚にえらく戸惑った。


 けれど、どうやら俺の休憩時間は短いらしい。

 王女が公爵家に訪れることになり、応接間で話をしていたら、弟がやはり突撃してきた。

 俺にはあれだけ礼儀がどうのと躾けてきた大人たちは弟には一切躾をしていない。

 優しく諭しても泣き出す弟に、誰も彼も途中で甘やかす。

 下らない。

 無礼な弟に冷めた口調で退出を告げれば、すぐに泣きだした。

 これで後でぐだぐだ怒られることは決定だが、すぐにいなくなるので良しとした。

 のだけど、王女が庇った。


「こんなに可愛い子を追い出すなんて可哀そうだわ」


 そう言って、王女は弟を自らの隣に座らせて愛で始めた。

 末の娘である王女は自分より年下の子供との交流が初めてで、楽しそうだった。

 弟も存分に甘やかしてくれる王女を気に入ったようだ。

 それ以降、弟は王女はいつ来る? 明日来る? ねぇねぇ。とうざったかった。

 来ないと言えば泣きわめいて意地悪と叫び、大人たちが俺に激しく当たり散らす。

 王女に呼ばれたり、王子や側近たちとの交流のために城へ行こうとすればずるい! ついていく! と裾を掴んで泣き喚いて、無視して出発すれば帰宅した時には屋敷の人間たちから冷たい対応と両親からの大激怒。

 どんどん冷める俺。

 ついには両親が弟同伴で城に行けと言ってきた。

 渋々連れて行けば礼儀作法など身についていない弟は好き勝手に動き回り、窘めれば大声で泣き喚く。

 王宮侍従に事情を説明して送り返そうとすれば王女が聞きつけて連れていく羽目になる。

 王女もすっかり弟の可愛い外見に絆されたらしく、軽い口調で俺を酷い人間だ、などと口にした。

 この時点で王女に対して冷め始めた。


 その一件以降、王城では俺は可愛らしい弟をわざわざ城に連れてきて虐げる底意地の悪い男という不名誉な呼び方をされるようになった。

 その話を聞いて公爵家の大人たちは安定の大激怒。

 悪いことは続くようで王子に呼び出されて事の次第を根掘り葉掘り聞かれ、正直に礼儀作法が出来ていない事とすぐに泣く事を告げたのだけれど、信じてはくれない。

 自分たちが弟と同じ年齢の時には泣き喚く事などなかったし、公爵家の人間として教育を受けていればそんな事にはならないとのこと。

 正論だ。

 正論だけど実際には教育は施されていないし、すぐに泣き喚く甘ったれなんだ。

 いくら言葉を尽くしても、尽くすだけ俺がいい訳しているように思われていく。

 さらに王女も俺よりも弟の味方らしく、顔を合わせたら冷たい眼差しと失望したと言葉を賜ることになった。

 下らな過ぎて乾いた笑いしかでない。

 帰宅すれば発狂した両親に謹慎を告げられ、侍従たちに部屋へ文字通り放り込まれた。


 数日間、謹慎という名の煩わしい事柄から解放された自堕落な生活を堪能していたら、唐突に侍従たちに連行され、身嗜みを整えられて馬車に乗せられた。

 行先は王城。

 馬車が止まれば城を守る騎士たちが俺を取り囲み、連行される。

 心は乱れなかった。

 むしろ俺のような子供に騎士が複数で、しかも敵意剥き出しにしている光景に溜息しかでない。

 連れてこられたのは、謁見の間。

 そこには国王に王妃、二人の王子に王女と王族勢ぞろい。

 さらに両親と弟が右手側に並び、左手側には王子の側近候補とその親が並んでいる。

 突き飛ばされるように前へ進まされて、力強く跪かされる。


「さて、では始めよ」

「はい、陛下」


 何をしたいのか理解できない俺を放置して、陛下の声に王女が答える。


「面を上げなさい、シャイファー・エンブリア」


 嫌悪を隠さない声音で王女が俺に命じる。

 素直に顔を上げれば、王族の面々の冷たい視線。

 視界の隅に見える父や母、王子の側近たちの一部も、顔をしかめて俺を見ているようだ。


「シャイファー・エンブリア。あなたは栄えあるエルワイス王国筆頭公爵家の嫡男でありながら、血の繋がった弟であるファイカー・エンブリアを忌み嫌い、蔑み、虐待を繰り返すその腐った性根、私の婚約者には到底相応しくない。よって、わが父の許可を得てあなたと私の婚約は白紙になる」


 何を言っているんだろうこの人は。

 そう思った。


「何か申し開きは?」

「……私は、常識的に対応しただけですが」


 俺が答えた瞬間、場が殺気だった。

 両親はもとより、王族全員と側近候補たち親子までそんな対応をすることに純粋に驚いた。

 どうやらここにいる人間たちは全員弟の味方らしい。


「貴様……恥を知れ!」


 王子が歯を剥き出しにして俺を威嚇してくる。

 そして始まる、罵倒の嵐。

 聞き取れる範囲で情報を纏めれば、俺が謹慎している間にここにいる連中は弟と交流を持ったようで、何やら弟の天真爛漫さを気に入ったそうだ。

 こんないい子を泣かせるなんて。

 こんな素直なのに。

 ゲスが。

 家庭教師連中による長年の罵倒になれた俺からしてみれば、なんて語彙力のない人たちなのだろう、という感想しか出てこない。

 昔から公爵家の人間は国王陛下に忠誠を誓い、命令には絶対服従。王国の法と正義を遵守し、民を護り導く存在で、王から与えられた領地とそこに生きる民を富み潤し、戦いになれば先陣を切って戦場を駆け抜け、傷一つなく敵将を討ち取る者でなければならないとずっと言われてきた。

 今現在当主として活躍する大人たち、また他家の嫡男たちもそれに相応しい修練を積んでいると。

 贅肉がたっぷりついている父も外見だけ見れば弱そうに見えるが、戦場では一騎当千であると。

 公爵領はこの国でも一番富んでいて、大国ですら賄えるほどの豊かさで。

 公爵家次期当主ならば今以上の働きをしなければならないと。

 だから、他の家の人間たちはとんでもなく素晴らしい人間なのだと。

 そんな貴族たちの上に立つ王族はとても素晴らしいのだと。

 そう思っていたのに。

 勉強も、鍛錬も、なにもしていないで泣くだけでこれだけの人間を味方につける弟。

 泣くだけの弟をこれだけ信頼する王侯貴族。


 馬鹿らしい。


「私は、公爵家の次期当主として相応しくあるべく精進してまいりました。ただ泣くだけの、甘ったれた者に関わる暇はございません」


 きっぱりと言い切れば、王子に蹴り倒された。


「人の心を持たない人間が! 僕の側近になど必要ない!」


 熱を持って疼く頬。

 独特の苦みが口の中に広がる。


「血を分けた弟すら慈しむことができないような者を、次期当主として、いや公爵家の者として認めることはできん。貴様は我が家より放逐する。命までは取らん。どこへなりとも好きに行け」


 父は弟の方がいいようだ。


「私の降嫁先は公爵家なのは変わりません。先ほども言ったように私とあなたの婚約は白紙になり、私の婚約者は可愛いファイカーになりました。あなたはもう必要ありません」


 王女も泣くだけの弟を選んだのか。


「……王として、わが娘の婚約者をファイカー・エンブリアとし、シャイファー・エンブリアの公爵家放逐を認め、国外追放の刑に処す。連れていけ」


 国王も、王妃も、顔をしかめて俺を見ている。

 騎士たちは俺の胸倉を掴んで持ち上げ、まるで荷物のように運んでいく。


「おおよしよし、もうお前を虐める人間はいなくなったからな」

「安心しろ、ファイカー」

「そうよ。笑って」


 謁見の間からは、そんな、弟を甘やかす声が聞こえてきた。


 *****


「そういえばシャイ、なんかエルワイス王国が結構ゴタゴタしているみたいだぞ?」

「そうですか。それが?」

「え? いや……」

「そんな事より手を動かしてください」


 弟を泣かせたというだけで追放されてから、早五年。

 十二歳だった俺をわざわざ縄で雁字搦めに縛り上げて国境砦の間にある空白地帯に放り出した騎士を見送り、師範に殴られ続けて命からがら習得した縄抜けで自由になった俺は、即座に隣国へ向かった。

 隣国の国境守備隊の隊員がそれを唖然と見ていたので、保護を求めれば慌てて受け入れてくれた。

 そのまま何があったかを素直に話せば、憐れんでくれて便宜を図ってくれた。

 ああ、子供というのはこういう場合有利だなと再確認。

 この時点で隣国へ入国したらどこかで住み込みの働き口を見つけて成人まで食いつなごうと画策していたのだが、どうしてか騎士団詰め所まで連行からの王都へ移送。

 騎士団本部で事情聴取された。

 いくら子供とはいえ、他国の、それも公爵家の人間が弟を泣かせただけで国外追放にはならんと言われ、間諜として疑われ、牢屋に放り込まれた。

 もちろん地下牢だ。

 この時、俺は安堵していた。

 煩わしい人間がいない。口うるさい家庭教師もいない。人を殴る蹴る師範もいない。

 静かに過ごせる状況は、話に聞く天国ではなかろうか。

 数日、食っちゃ寝を繰り返していたら、天国から連れ出され、また騎士団のお偉いさんと顔を合わせることになった。

 王国へ表と裏、二つのルートを使って確認を取って、俺が追放されたただの人間だと証明された。


「……本当に、この程度の理由で追放されたのか? ……そうか」


 騎士団のお偉いさんがかなり疲れた表情をしていたのが印象に残っている。

 そこから報告を聞いた隣国──ステラトッタ王国の王子が俺を面白いと宣い、部下に取り立てるなどと宣言してきた。


「お断りします」

「なぜだ!?」

「私は平民なので、街で働き口を探します。どこかの下働きにでもなれば御の字です」

「我が配下となれば、安泰だぞ?」

「無礼を承知で申し上げますが、王侯貴族とは一切関わりあいたくないのです」

「……不敬罪で処刑する、と言ってもか?」


 脅してきたが、怖くとも何ともなかった。


「平民に誘いを断られたくらいでその者を処刑するのがこの国の法でしたら、どうぞ遠慮なく」


 そう告げれば、王子は黙った。

 なのでその場を辞そうとすれば、王子の指示で動いた騎士たちに拘束され、国王の前に引きずり出された上に俺が承諾するまで延々と勧誘され続けた。

 腹も減って、うんざりした俺は結局王子の部下として働くことになった。

 ステラトッタ王国は実力主義を謳っているようで、平民でも高い能力を持っているならば高官になれるそうだ。

 どこまで本当なのかは知らないし興味もないが。

 それからは王子の部下というか秘書として働き、どこぞの勢力からの刺客を数人捕縛してからは護衛としても働きだす羽目になった。

 もちろんその分の給金は交渉してもらうようになった。


「お前、本当に無気力だよな。気にならないのか?」

「仕事の邪魔をする人間の誘いを断ったというだけで四面楚歌の状態になった上で国外追放の刑に処されてからその問いを自分にしてください」

「う……」


 この国の王子はフランクな態度が人気らしいが、どうも考えが浅い人間にしか見えない。


「はぁ、相変わらず冷たいなぁ。こんなのがいいのか、我が妹は。なぁ、お前は妹のことはどう思っているんだ?」

「私は平民ですので、恐れ多いことでございます」


 王子の部下として働いていたら、何やら王女の興味を引いたらしい。

 事あるごとに茶会だなんだと誘いがあるが、心の底から嫌だ。

 もう王侯貴族とは本当に関わりあいたくない。


「そろそろ陛下が勅命を出そうか本気で思案しているぞ?」

「……あなたを殺せば、立ち消えますよね」

「……や、止めてくれると助かる」

「私はさっさと放逐してくださると助かります」

「……もうしばらく、現状維持で頼む」

「きちんと給金を支払ってくだされば」

「あ、ああ」


・シャイファー・エンブリア

 主人公。

 両親から完璧超人になれと幼い頃から虐待とも言える扱いを受け、家庭教師から人以下の扱いをされ、師範からはサンドバック扱いを受ける。

 そのせいで子供ながら高い能力を持つが他人を信じない冷めた性格になる。

 例え王子であろうとも媚びへつらうことはせず、ビジネスライクな交流以外は断固として受け入れない。


 ・ファイカー・エンブリア

 女の子に間違われる男の子。

 その可愛らしさに周囲の大人が魅了され、甘やかされて育つ。

 なので自分の思い通りにならないと泣く。そうすれば皆が自分のいう事を聞いてくれるから。

 両親から果ては王族もその天真爛漫さで可愛がられ、受け入れられる。


 ・公爵夫妻。

 はっきり言って無能。

 自分たちで努力する気は全くなく、息子に全部丸投げする。

 家庭教師をよく調べもせず、厳しいという噂だけで雇い、放置。息子を嬲られていようが何しようが家庭教師の嘘八百を信じて息子をさらに追い詰める。

 次男の美貌にメロメロ。甘やかし、ついには長男を追い出して息子を後継者に指名する。


 ・王女

 国王に甘やかされて育った。

 最初は大人びた主人公に想いを寄せていたが、途中で出会った弟にハートをキャッチされてしまう。

 愛情を表現する方法は甘やかすこととしか知らないので弟をただ甘やかす。

 周囲から主人公の悪評を聞いて信じ込み、王に頼んで主人公から弟へ乗り換える。


 ・王子やら側近やら

 大人びた主人公を頼っていたが、弟の無邪気さにだんだんほだされていく。

 そうなると主人公の態度が気に入らなくなり、排除する方向にシフトしていく。


 ・家庭教師たち

 厳しいと評判の連中。

 実際は厳しいどころか高い自尊心と傍若無人さで嫌われている性格破綻者たち。

 公爵に雇われることを自分たちなら当たり前のことと言いつつ、恵まれた立場の主人公のことが気に入らず嬲り、痛めつけ、高い給金で豪遊を繰り返す。


 ・国王

 公人としても私人としても関わりあいたくない駄目人間。

 娘を溺愛し、いう事はなんでも聞いてあげる。

 だからよく調べもせず、娘のお願いだからと十二歳の子供を放り出すことになんら躊躇しない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 久しぶりに読み返したけど酷い国だねぇ 愚かな王族と無能な公爵、諌める者が誰もいない これでよく国が保ててるなって思う ……と思ったら隣国も大差なさそうだし、周辺国みんな似たようなもんなのか…
[気になる点] 王国も隣国も同レベルでクソ [一言] 隣国の王子が自分もある意味王国よりもクソな行為をしているのに、自分はまともで主人公と親しくなれると思っている頭お花畑にどん引く。どっちも等しく滅び…
[気になる点] 元の国は論外だとしても、隣国も中々のレベルでよろしくなさそう。 子供相手に承諾するまで国王自ら拘束して脅迫してるし、勅命まで匂わせて本人が正当な理由で断ってるのに婚約させようとするのは…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ