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「陛下、だめです!」
全身でぶつかるようにハディスの腰に抱きついた。だがジルなどいないかのように、ハディスは吼え続ける。
「僕が何をした! 僕が何をしたんだ!? そしてお前達は何をした!? 勝手に遠ざけ、呪いだとなんだと都合のいいときだけ僕を使う!」
「陛下だめです、こっちを見てください! わたしが――」
「生まれてこなければよかったのはお前らのほうじゃないか!」
怒りで放出される稲光のような魔力に、そこから巻きおこる風圧に、弾き飛ばされそうになった。止めるには魔力が足りない。だが踏ん張った。
(しっかりしろ、女神の魔力封じがどうした! そんなもの折れ!)
愛で負けてたまるか。
歯を食いしばって、絶望に進もうとする体を押し返す。全身が焼けるように熱い。でも目をそらさず、その顔を見あげた。
虐殺を命じたときと同じ、愉悦と絶望にゆがんだ顔を。
「殺してやる、全員だ! 全員、生まれたことに絶望しろ――僕がそうされたように!」
「わたしが陛下の子どもを十人、産みます!!」
ハディスの周囲に走っていた魔力が、いきなり止まった。
しん、と恐怖で染まっていた空気が静まる。
「……」
「……。…………は? 今、なんて?」
真っ先にハディスが冷たい反応を返した。
その腰に両腕を精一杯回して、ジルは叫ぶ。
「まかせてください、うちは多産の家系ですから! わたしも兄弟七人いますし、姉ももう三人子ども産んでます!」
「……。ジル、なんの話かよく……」
「そしたら、リステアード殿下に娘を嫁がせましょう! そしたら義理の息子です!」
「――は!? ちょっと待て、それは何歳差だ!?」
衝撃的すぎたのか、リステアードが間抜けなことを叫ぶ。ジルはかまわず、次にエリンツィアを指さした。
「そして息子と結婚してもらえば、エリンツィア殿下は義理の娘です!」
「わっ……私もなのか!? それは何年後の話だ!?」
「みんなそれで、家族です!」
ハディスが見開きっぱなしだった金色の目をまばたいた。ジルは胸を張る。
「どうですか、完璧でしょう! 陛下とわたしの幸せ家族計画です!」
だからどうか、諦めないでくれ。
力が抜けたハディスの体に顔を埋めて願う。
「……わたしだって血がつながってませんよ、陛下。でも家族になれます」
血統の正統性は国をゆるがす問題だ。軽視できないことはジルにだってわかっている。どちらかが消えるまで徹底的に争ったほうが、後腐れもなくてすむ。
でも、エリンツィアもリステアードもいい姉と兄だった。
だったら、ハディスの姉と兄として、ラーヴェ皇族を名乗ったっていいではないか。
(道はある。わかってるはずなんだ、陛下だって)
ゲオルグの言い様から察するに、ヴィッセルとも半分しか血がつながっていないことになる。
だからひとりぼっちだと知って、もう血のつながりという言い訳もなくして、悲しくて怒っただけ。ちゃんと冷静に考えれば、わかるはずなのだ。
「竜帝よ。……赤竜二頭が、赦免を求めている」
すべて聞いていたのだろう。空からカミラとジークとロレンスをつれた黒竜が、ハディスのうしろに降り立った。
「我からも証言しよう。そこの皇女は、竜妃を守ろうとした。そこの皇子は、竜帝を助けるためこの隊列に加わった。そこに偽りがあれば、赤竜達は協力しなかった」
「……」
「そも、大昔のラーヴェ皇族から分岐した三公の血を引いている者達も皇族には多い。ならば皇女と皇子は、ラーヴェ皇族たる資質は十分にそなわっていると、我は考える」
「……ラーヴェ。お前はどうだ」
ハディスの問いかけに、エリンツィアやリステアードだけでなく、黒竜ですら緊張を走らせた。だが、ラーヴェなら、先ほどのハディスを止めようとするはずだ。
「かまわないか。……そうか」
思った通りの返答だったのだろう。嘆息と一緒に、ハディスがジルの前にしゃがんだ。
いや、ひざまずいた。
「十人?」
「十五人でもいいです。頑張ります。だから、陛下」
「――そんなに大勢なら、遊んでくれる伯父や伯母がいたほうがいいんだろうな」
ぱっとジルが顔を輝かせると、ひょいと抱きあげられた。
「魔力もろくに使えないまま僕を止めようとするなんて、無茶をする」
「へ、陛下が大人げなくキレるからですよ」
「そうだな。……でもすごいな、君は。あと二ヶ月はかかると思ってたけど」
何もない右手を、ハディスが振った。当たり前のように、天剣が現れる。
『よー、嬢ちゃん! おひさ』
「ラーヴェ様!」
「女神の魔力封じがゆるんだ。――叔父上。いや、反逆者ゲオルグ」
呆然としているゲオルグにきらきら輝く天剣を突きつけて、ハディスが宣言する。
「僕の姉と兄をたぶらかし、竜帝を名乗った罪をつぐなってもらおう。投降するなら、ラーヴェ皇族として処刑してやる。その偽物を持ち続けるより、ましな死に方ができるはずだ」
「ど……どういう、意味だ……」
「竜帝を名乗るだけならまだしも、天剣を偽る。それは竜神の怒りを買う行為だ。お前、そう遠くないうちに全身を腐らせて死ぬよ」
だから放っておけばいいとハディスは言っていたのか。
青から赤に顔色を忙しく変えて、ゲオルグが首を横に振る。
「いや、でも。それでもだ。お前を信じるなど……ッもう一度魔力を封じて、その時間だけあればいい!」
眉をひそめたハディスの前に、リステアードが出た。
「叔父上、もうやめるんだ! ハディスは僕らを、ラーヴェ皇族として認めようとしてくれているのに、その厚意を――」
「どこにそんな証拠がある! この先、どこにこいつが裏切らない証拠がある!」
怒鳴られたリステアードが顔をしかめる。
「……私は信じます、叔父上。いえ、信じるべきだ」
立ちあがったのはエリンツィアだった。
「自分達のことばかり考えて、保身に走ったのは私達です。それを赦すハディスは、立派な皇帝です。私達に必要なのは、それを信じる強さだけだ」
「そんな甘い考えで、何が守れ――……っ!?」
突然ゲオルグが口元を押さえた。ぎょろりとその目が動き、自分が持ちあげたままの偽物の天剣を見る。
そこからものすごい勢いで右腕が膨れ上がっていった。
「なんっ……」
変化は一瞬だった。右腕が分厚い鎧からはみ出る。目が裏返り、肩、首、全身が膨張と破裂を繰り返し、鎧を弾き飛ばした。皮膚が黒ずみ、体積を増していく。足も手も、頭もおぞましい肉の塊に埋もれていく――。
「私たチは、排除、セねばならナイ……竜帝ヲ、デナケレバ。殺さレル」
どんどん大きくなっているゲオルグの影に飲まれながら、ジルは叫ぶ。
「陛下、これラーヴェ様の呪いなんですか!?」
「違う。あの偽物の天剣が、叔父上を喰ってるんだ」
「娘モ、兄モ、家族ガ、甥モ姪モ皆、竜帝の裁キを、受ケテ、シマウ」
リステアードとエリンツィアが息を呑んで、変化し続ける叔父だったものを見つめている。
「助ケ、ねバ。救わ、ネバ」
「叔父上……叔父上、もういい! その偽物を離すんだ!」
「――たとえ、後世にそしられようとも」
偽物の天剣が沈んでいく。手足が生え直し、四つん這いになった背中から青い翼が飛び出た。
それは、竜もどきの、化け物だ。
「わタシが守る、守るマモルマモル壊セ殺セ皆殺シだ、我ハ竜神ノ末裔! 女神ト戦ウ者!」
ぎょろりとひとつになった目が開き、斜めに裂けた口が言葉ではなく悲鳴に似た奇声をあげた。
振動波になったその声に両耳を塞ぐ。黒竜が炎を吐いたが、ゲオルグだった化け物は翼を動かして空に羽ばたいた。そしてまっすぐに、ものすごい速度で帝都へと向かって飛んでいく。
突然現れた化け物の姿に、こちらへ向かっていた軍から悲鳴があがるのが聞こえた。
「まさか帝都を攻撃するつもりか!? ローザ!」
「ブリュンヒルデ、こい! 叔父上を止めるぞ。姉上は帝国軍をまとめてください!」
エリンツィアとリステアードが竜を呼んで飛び乗る。ジルも叫んだ。
「ロレンス、カミラ、ジーク! 帝都の住民の避難誘導をまかせる! 陛下は――陛下?」
ゆっくりとおろされて、ジルはまばたいた。緊迫したこの状況に不似合いな優しさで、頬を大きな手でなでられる。
「いってくる。黒竜、竜妃をまかせた」
「請け負った」
「ラーヴェ、いくぞ」
『あいよー』
陛下、と呼ぼうとしたときはもうハディスは地面を蹴っていた。
まっすぐ帝都に飛んでいく化け物に追いつく勢いで飛んでいくハディスに、慌ててジルも黒竜に乗せてもらい追いかける。
化け物になったゲオルグが先ほどと同じ、口から出る音波で帝都の魔法障壁と城壁を破壊した。建物が崩れ落ちる音、帝都からあがる悲鳴と怒号。響き渡る警鐘のは、敵襲の合図か。
だがその横を追い抜いた皇帝が、帝都の上空に立ちはだかる。
「あなたはこの国を、家族を、僕から、女神から、守ろうとしたんだな」
その手に持つのは天剣。白銀がきらめく、竜帝の持ち物。
それが苛立ったように悲鳴と魔力を吐き出す化け物の攻撃を一閃する。
「だからこれは手向けだ。心配しなくていい。僕はきっと――」
なんと言ったのか、追いつくのに必死だったジルには聞こえなかった。けれど、昼間だというのに星屑のように輝く白銀の魔力を見て、微笑む。
あれを見て、誰が疑うだろう。
彼こそが、この帝国を守る皇帝。
竜神の加護を受けた、竜帝なのだ。