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クレイトス王国は女神クレイトスの末裔が、ラーヴェ帝国は竜神ラーヴェの末裔がそれぞれおさめている。それを疑う者など、この大陸にいない。
さすがにジルも、深呼吸を繰り返さねばならなかった。
そしてどうしてハディスが辺境に追いやられ、呪いをかけたと言われ、ラーヴェ皇族に受け入れられなかったかを理解した。
(泥沼の身内争いの根本原因は、これか……!)
ハディスが皇帝であり、竜帝であるという事実は、今のラーヴェ皇族の正当性と存在意義を失うことなのだ。
「……いつから、ですか。いつから、そんな」
「さてな。最悪、天剣を失った三百年前からかもしれん」
既に受け入れているのか、淡々とゲオルグが答えた。うなだれたまま、リステアードが地面で拳を握る。
人一倍、ラーヴェ皇族であることを誇りにしていたリステアードだ。その衝撃ははかりしれない。
「そんな、では、もう、何百年も……僕達は、民を、だまして」
「黙れリステアード! 我々はラーヴェ皇族だ。そうでなくてはならぬ」
「だが、それでは……!」
「なら貴様のみ、その首を民にさらせ」
リステアードが喉を鳴らした。皇族だと僭称したなら、当然そういうことになる。本人達の思惑など関係ない、世の流れだ。
血統が正しいから、民は従う。疑いなどあってはならない。可能性だけで争いを招く。
ハディスという真に正しい血統が存在してしまった今、絶対に。
「理由はわかったな、リステアード。わかったら、そこの小娘を捕らえよ」
びくりとゆれるリステアードの肩を見た。ジルは拳を握る。
せかすようにゲオルグが叫んだ。
「リステアード! お前の兄は無駄死にだったと笑われたいのか。お前の兄は皇太子として立派に死んだ、そうだろう!」
リステアードの五本の指が、地面をえぐる。土をつかむその拳を、ジルは祈るように見ていた。どうしようもないのだろうか。
結局、ハディスはラーヴェ皇族と称されていた者を、全部殺して回るしか。
「――兄上は……立派な、皇太子だった。腑抜け共が皇位継承権を放棄して逃げ出す中、死ぬのを覚悟で、皇太子になった」
「そうだ、ならばその死を無駄に――」
「兄上なら、俺にこのまま偽れとは、言わない……っ皇族であればこそ!」
血のにじむようなゆがんだ顔で、リステアードが叫ぶ。エリンツィアが、気圧されたようにあとずさる。
「公開すべきだ! そして民の、竜帝の裁断をあおぐべきだ! 僕達が過ちならばそれを正すために!」
「ではお前は、処刑台に妹を送る覚悟があるのだな」
泣き出しそうな顔でリステアードが返答に詰まったあと、拳を地面に叩きつける。
エリンツィアがそっとその肩を抱いた。
「リステアード。ハディスはまだ知らない。だから今ならまだ、大きな争いを起こさずにすむ。そして、ハディスの命だけでも守ろう」
エリンツィアの裏切りの理由もわかった。彼女はこの話をゲオルグから聞かされて、弟や妹たちを守る方法を変えたのだ。
(でも、それじゃあ、あんまりだ……)
震えて地面にうずくまるリステアードも、その肩を抱くエリンツィアも、犠牲に選ばれたハディスも、誰も――救われない。
「あれが死ねばすむだけの話だ。……お前たちが動けぬのであればしかたない」
ゲオルグの視線がジルに向いた。顔をあげたジルは、魔力を帯び始めた天剣に身構える。
「ひとまず竜妃だなどと偽るその娘は殺しておかねばなるまい」
「待て! もしそれが争いの理由なら、陛下と話し合えばいいだろう!?」
「話し合い? 皇族を呪った奴と何を話し合う。彼奴は害悪! これが結論だ。ラーヴェ帝国をゆるがす、許されない存在。そもそも生まれてきてはならなかったのだ!!」
「そんな言い方――!」
「あれさえ生まれてこなければ、誰も不幸にならなかっ――」
脅えたように、偽物の天剣を振りかざすゲオルグが唐突に動きを止めた。
その原因を背中で感じて、ジルは振り返る。
「へい、か……」
「……面白い話だったよ。まさかの真実にラーヴェもびっくりだ」
黒竜が檻を壊したらしい。たったひとり、ハディスがさわやかに笑いながら一歩一歩、こちらへ歩いてくる。
「よく、わかった。……本当に、よく、わかった」
「へ、陛下」
「確かに話し合う余地もない。生殺与奪権を握っているのは僕なんだから」
リステアードとエリンツィアが青ざめる。ゲオルグだけが唇を引き結び直した。
「これでも僕にはあったんだ。幸せ家族計画っていってね。呪われてるなんて言われてもいつかきっと、わかり合えるって」
「ハディス、私は」
「黙れ裏切り者」
鋭い目を向けられて、エリンツィアがすくみあがる。それをハディスは嘲笑った。
「ここにいる全員が、薄汚い逆賊じゃないか」
「竜帝を騙る不届き者め、今ここで処刑してやる!」
ゲオルグが握った剣が爆風と一緒に魔力を放つ。だが顔をあげたハディスの目の前で、それは爆散した。ゲオルグが、あとずさる。
「お前、なぜ魔力が……封じられているはずだろう……」
「ああ。女神はこの状況が楽しいんじゃないかな。僕も、とんだお笑いぐさだと思うよ」
咄嗟にジルは壁と帝城の尖塔だけが見える背後を振り返った。フェイリス王女は別の道から既に帝都入りしていると聞いている。
(魔力封じの効力を操っているのか、まさか……あの天剣を通じて?)
口元をわななかせたゲオルグが、唸る。
「我々を散々呪って、今なお笑うか、この化け物め……!」
「僕が化け物なら、お前らはなんだ」
物騒に光る金色の目が嗤いながら、怒りと殺意でゆがんでいる。どこでもない場所を見ている。きっとジルのことも見えていない。
「処刑? 笑わせる。処刑されるのは、僕じゃない。お前らに決まっている!」
ものすごい魔力がハディスの足元から噴き上がった。激震が走り、地面がひび割れる。気圧された全員が身震いで動けない。
このままでは女神の思うつぼだ。
ジルはゆれる地面を蹴った。嗤い損ねた泣き顔をゆがめている、焦点の合わない金色の目に自分をうつすために。