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夢を見ていた気がする。優しい未来の話だ。
だが現実は薄暗い檻の中、重罪人を護送する強固な魔術をかけられた馬車の中だった。物音も何も聞こえない。視界も痛覚も遮断されている。常人では数日と持たず廃人になる、鉄箱の移動結界だ。
だが体の内に竜神という神を飼っているハディスは、意識を保っていられる。
(帝都まであと少しだな……)
自分が囚われた場所と移動時間を計算して、弾き出す。どこへ向かっているかなど考えるまでもない。偽帝の処刑場は帝都に決まっている。
まだ魔力も体力も、ジルを助けようとしたときの半分にも届かない。処刑がすぐさま執り行われた場合、逃げるのがせいぜいだろうか。
(……いやそれも、あの女神の器がいた場合……)
「ハディス、起きているか」
魔術が少し和らぐ気配がした。檻を隠していた馬車の幕が持ちあげられる。ひたすら体力の回復に努めていたハディスは、目をあける。
「――食事をとってないのか。体を壊すぞ」
「今から処刑する人間に、食べろと?」
気遣うような声をあげたエリンツィアが、はたかれたように黙った。食事をすすめようとした手を止め、胸の前で握りしめる。
「……そうだな、すまない……だが、私もヴィッセルと一緒にゲオルグ叔父上を説得するつもりだ。せめてどこかで、お前が普通の人間として暮らせるように……」
「僕は竜帝だ。お前たちがどんなに否定しようとも」
見据えたエリンツィアは、震えているように見えた。わかっているのだろう。
ハディスの護送に竜を使わない時点で、誰が竜帝なのか、わかっているのだ。
「どうしてジルは、お前を殺すななどと言ったんだろうな」
答えを期待しないひとりごとだったが、エリンツィアが目をそらしたまま苦笑い気味に答えた。
「それは、お前が可哀想だからだよ。……姉に裏切られて姉を殺すお前が、あんまりにも、可哀想だからだ」
「別に僕は、可哀想じゃない。そもそもお前を姉などと思ったこともない」
「……許されると思ってない。だが……私はせめて、ジルに殺されるべきなんだろうな」
「命乞いか」
「お前の姉でいられなかったことへの贖罪だ」
泣き笑いのような笑顔に嘘がない気がして、ふと疑問がわいた。気にも留めていなかったことが、泡のように。
「……どうして裏切ったんだ、姉上」
ハディスの呼びかけに驚いたようにエリンツィアがまばたく。泣き出しそうな顔だった。
「……お前は、悪くないんだ。なにひとつ。悪いのは、私達だ。お前は、悪くない」
「……」
「すまない。不出来な姉で、本当に、すまない……」
姉でないと言ったり、姉だと言ったり、なんだか面倒だ。それでも聞きたい気がした。
たとえ口だけで終わってしまうとしても、間違いなく自分を弟として慈しもうとしたこのひとが、裏切ったその理由を聞かねばならない気がした。
「――敵襲! エリンツィア殿下、敵襲です!」
「どこからだ!?」
「竜、竜です! リステアード殿下が……っそれと、黒竜が向かってきます!」
目を見開いたのはエリンツィアだけではない。ハディスもだ。体の中でハディスと同じように眠っていたラーヴェが応じる。
『黒竜、紫目だ。現存する竜の中では最高位の竜。――認められたな、嬢ちゃん』
当然だ、とハディスは笑う。彼女は竜妃。
自分に選ばれ、竜神ラーヴェに祝福を受けた竜帝の花嫁なのだから。