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今までで一番真剣な顔をして、わかりきったことを尋ねたロレンスに、ジルは首をかしげた。
「そうですけど」
「これを、君に、洗えって?」
「はい」
「……君、意味わかってるよね。これ――」
「洗濯は見習いの仕事だっていう理屈はあってますし、変態なんかどこにだっていますよ。いいから早くこの中に入れてください。いちいち相手にしたくないので」
「いやしよう! 相手にしよう! 嫌がらせって範疇じゃないだろう!」
再会して初めてロレンスが顔色を変えて怒鳴った。何が衝撃だったのか、両手を見て真剣に考えこんでいる。
「こんなこと、どいつがやったんだ。こんな女の子に? 信じられない」
「調べたいですか? 複数いるみたいですけど」
「調べたくない……」
ロレンスがこれ以上ないしかめっ面で唸った。ロレンスから洗濯籠を奪い返したジルは、タライの中に洗濯物をばさばさ放りこむ。
「大丈夫ですよ、ちゃんと洗うときに力をこめて全部穴をあけてやります」
「待つんだ。君、さすがにこれは皇帝に進言していい事案じゃないか? 言いにくいなら、エリンツィア殿下にでもいいから――なんなら俺が根回ししてもいい」
「馬鹿言わないでください。陛下に知られたら大事になります」
「確かに皇帝に進言すれば君が竜妃だってばれるかもしれない。問題が大きくなるだろう。だがそれは当然のことだ。それに君のことだ、心配もさせたくないとか言うんだろう。でもこういう隠し事は必ずマイナスに働くよ」
「違います。いいですか」
ジルはロレンスに向き直って、人差し指をそのおりこうな顔に突きつけてやった。
「わたしが嫌がらせされてるなんて陛下が知ったら、悲しんで泣くかもしれないじゃないですか! もしくは変な方向に走るかもしれません。どっちにしてもどれだけなだめるのが大変か……!」
「……。君、そんな役立たずのどこがいいんだい」
「料理がうまいところです!」
二度目の宣言に、ロレンスは空をあおいだ。
「ひょっとして煙に巻かれてるのかな、俺は。……わかった。なら、俺がやるよ、洗濯」
「え?」
「君をクレイトスに戻ってこいと勧誘するなら、株をあげておかないとね」
冗談か本気かわからないことを言ってロレンスはしゃがみ込み、服の裾をまくりあげて、洗濯板を持って洗い始めてしまった。
手持ち無沙汰になったジルは結局、水の入れ替えくらいで、指一本触れさせてもらえなかった。
(こういうところ紳士だったなあ、こいつ)
しかもそのあと、ロレンスはジークに声をかけ、洗濯物の持ち主をひとりひとり特定し物陰に呼び出して対処していってくれた。物陰で何が起こったのかはお察しである。
何はともあれ、いざとなれば蹴っ飛ばしてやればいいと思っていたものの、後処理が苦手なジルとしては助かった。ハディスに知られるのがいちばん大変だと思っていたからだ。
だが、その夜、隠れ家からエリンツィアやリステアードが寝泊まりする上官の兵舎に移ったハディスの寝室にこっそり報告と挨拶にきたジルは、部屋の隅で三角座りをしていじけている夫を見つけた。
「……どうしたんですか、陛下は」
ハディスのそばにいたカミラが、肩をすくめる。
「あーよかった、ジルちゃん。ほら陛下、ジルちゃんきたわよ。ね? 大丈夫だって言ったじゃない。あんなのただの噂だって」
「噂?」
首をかしげたジルに、ハディスが三角座りのままでこちらを向くという器用な動きをした。
だがその視線は、じっとりと不信で満ちている。
「……君に、つきあってる男がいるって。竜騎士見習いの少年と……」
「は!?」
「しょ、食堂で聞いたんだ……恋人だから手を出すなって脅されたって……ジ、ジークに聞いたらそういうことにしたって言うし……!」
「ど、どういうことですか!?」
仰天したジルに、ジークはおうと悪気なく答えた。
「隊長に何かとちょっかいかける奴を牽制するには、それがいちばん手っ取り早いって言われてそりゃそうだと思ってなー」
「いや待ってください、恋人って、それまさかロレンスのことですか!?」
「そうそう、そういう名前の奴。俺だと無理あるけど、あいつまだ十五だっていうし、ありかなって」
「いやないでしょう!? わたしまだ十歳ですよ!? それでなんでそんな話に――まさかあの馬鹿、嫌がらせのつもりか!」
「やっぱり知り合いなんだ……」
ねっとりと地を這うようなハディスの声に、ジルは固まった。
カミラが嘆息し、ジークは素知らぬ顔で口笛を吹いている。
「ぼ、僕は……君を、不安にさせてはいけないと思って、料理長になって……な、なのに、ひどいじゃないか。か、肝心の君が、勤め先で、う、うわ、浮気」
「ち、違います陛下! 落ち着いて」
「どうせ料理ができる若い男だったら誰でもいいんだろう!? そう聞いた!」
「あージルちゃんそういうとこあるわよねえ」
「ロレンスってやつも料理できるって言ってたなあ」
部下が無責任に横やりを入れてくる。面白がるなと怒鳴ろうとしたら、ぶあっとハディスの目いっぱいに涙がもりあがった。
「ぼ、僕以外の男の料理を、もう食べたのか……っ!?」
「そりゃ食べたことはあるに決まって……って違います陛下、そうじゃなくて……そうだ、わたしは陛下の料理がいちばん好きです!」
「やっぱり僕とは料理だけの関係か!」
「めんどくさいな!」
「めんどくさい!? 今、僕のことめんどくさいって言った!?」
「つい本音が出ましたすみません! とにかく、いちから説明しますから……!」
さらに面倒なことになってしまったことに反省しつつ、ジルはじと目でこちらを見ているハディスに説明する。
確かに隠し事などするものではない。
洗濯の一件から流れを聞いたハディスがちょっかいをかけた連中を身体的に首だけにしようとし、それを止めたリステアードに黙っていたことを怒られ、エリンツィアにはかばわれつつすまなさそうに「一応規則だから……」と苦手な報告書の提出を求められ、理不尽の連鎖を味わいながら、強くジルは反省する。
――ひそかに派遣された援軍の引き渡し場所と日付をヴィッセル皇太子から指定されたのは、この直後だった。