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「お話はわかりました。――ジルさまは、ハディスさまがお好きなのね」
天使と呼ばれる少女らしからぬ笑みをフェイリスは浮かべる。
けれど薄く目を細めて微笑するその仕草は、決して気品を損なわない。
「ええ。ですから、まっとうに、正面からどうぞ。受けて立ちます」
「素敵だわ」
ぽんと両手を叩いて、フェイリスが理解を示した。
「運悪く戦禍に巻きこまれたわたくしを、ハディス様は守ってくださっている。確かに、それだけでもクレイトスを味方に引き込むことはできるでしょう。唯一の難点は、わたくしが人質にされているのだとお兄さまが怒らないかですが――」
「もちろん、説得してくださるんでしょう。本当に両国の平和を願っていらっしゃって、陛下との婚約をお考えなら」
ジルの念押しに、フェイリスはにこっと笑い返した。
「ええ、もちろんです。ではロレンス、そのように」
「――わかりました」
「ではわたくし、そろそろ失礼致しますわね。ジルさまもハディスさまを休ませてあげてください。さっきからずっと床に倒れてらっしゃいますので」
「え、いつから!?」
振り返ると、確かにハディスが床で悶絶していた。すっかり手慣れた様子で、ジークがその背中をさすっている。
「慣れたんじゃなかったのかよ。息しろ、息を」
「だ、だって不意打ちで、きたから……僕をわたさないとか、そんな……受けて立つとか、そんな、ひ、人前で恥ずかしいじゃないか!?」
「あ、ジルちゃんそのままね。近づかないで。陛下、心臓止めちゃうから」
「あ、はい。いつもの発作ですね」
カミラとジークにまかせておこうとジルはその場に踏みとどまった。
その横を、ロレンスが押す車椅子に乗ったフェイリスが横切っていく。一瞬ロレンスと視線が交差したが、会話はなかった。
ふたりの退室にやっと肩の荷がおりる。カミラが気遣って優しく肩を叩いてくれた。
「お疲れ様、ジルちゃん。かっこよかったわよ」
「確かにかっこよかった! でもジル、僕は納得したわけじゃないぞ……!」
ふと見ると、呼吸を整えたらしいハディスが、なぜかソファを盾にして半分身を隠しながらジルを見ていた。
「フェイリス王女と婚約なんて、僕は噂でも嫌だ」
「何言ってるんですか陛下、それはこっちの台詞です」
つかつかハディスの前まで歩いていき、仁王立ちした。
「陛下の条件に当てはまってますよね。十四歳未満、ラーヴェ様が見える女性」
今はジルの感知能力が鈍っているせいもあって断言できないが、フェイリスはラーヴェが見えてもおかしくない。ハディスがびっくりしたようにジルを見あげる。
「フェイリス王女はわたしのかわりになれるはずです」
「いや、そもそも彼女は――」
「十四歳になれば女神に体を操られるという可能性がある以上、同じです。むしろわたしのほうが不利です。わたしにはあと四年しかない」
思いもよらなかったという顔で、ハディスがまばたいている。それをジルはにらみ返した。
「フェイリス王女にむやみに近づいたり話したりするの、禁止ですよ」
「……」
「浮気したら寝室の窓から朝まで布団で簀巻きにして吊り下げてやりますから」
拳をバキバキ鳴らして威圧すると、ハディスは急いで何度も頷いた。複雑な乙女心も知らずに、子どもみたいなわがままばかりを言う夫にさすがに苛立って、ジルはふんと踵を返す。
「竜騎士団見習いの仕事行ってきます。ジーク、行きますよ」
「こんなときにまでか」
「こんなときだからこそです。わたしが竜妃だってことは伏せたまま仕事しましょう、そのほうが動きやすいので――」
「ジル」
じろりとにらむと、ハディスは気まずいのかそっと目をそらし、でも言った。
「僕は、君が十四歳以上になっても、一緒にいるって決めてる」
「だから?」
「えっ!? ……え、ええと、浮気も、絶対しない」
「それで?」
「そっ……それで――その……い、いって、らっしゃい……待ってる」
「当然のことしか言えてませんよ、陛下」
容赦なく駄目出しするジルに、ハディスがぐっと唇を噛んでから言った。
「こ……っ今夜の晩ご飯は、バターで焦げ目をつけた鶏肉のガーリックステーキ、ふかしたジャガイモとニンジンのグラッセ、デザートは生クリームをそえた焼きプリン!」
「陛下大好き! お仕事頑張ってきますね!」
「それでいいのかよ……」
「それでいいのよ……」
るんるんで歩き出したジルは、部下の声を聞きながら少しだけ内心で舌を出す。
(十四歳以上になっても、一緒にいるって)
あれだけ女神を嫌っているハディスがそう決めるのは、すごい進歩ではなかろうか。
でも甘やかさないと決めたので、ちょっと赤くなってしまった頬は隠しておくのだ。