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「ではハディスさまは、これからどうなさるおつもりですか?」
フェイリスが静かに問いかけたが、ハディスは無視してひょいっとジルを抱きあげ、さっさと執務室を出ようとする。カミラとジークがどうするのだとジルに目線で問いかけているのだが、ジルもすぐさま判断がつかない。
(フェイリス様を信頼できるかどうかはともかく、悪い話じゃない)
十四歳になれば女神に喰われるというのが本当ならば、同情はできる。それでも女神と同一視して目にも入れないハディスは少し、過剰反応ではないだろうか。きちんと判断できていない気がする。
(それとも、目に入れたら何か変わるから、怖いのか)
ひっそりとこびりつく影のような考えを、ぶるぶる首を振って追い払う。
出て行こうとするハディスの腕から背後を見ると、腰をあげかけたエリンツィアをフェイリスは目で制していた。愛の女神の加護を受ける王女は、ただ花のように微笑んでいるだけだ。
逃げるハディスすら許すと言わんばかりに――それがひどく、勘に障った。
「陛下」
引き止めようとジルが声をあげた直後、ハディスが開く前に扉があいた。
カミラとジークが反射で武器をかまえたが、扉をあけた相手は目を丸くして両手をあげる。
「申し訳ありません、ノックすべきでした。時間なのでお迎えにあがりましたよ、フェイリス王女」
「……ロレンス」
つぶやいたジルを見て、ロレンスが目を細めて笑う。
「やあ。やっぱり俺の勘は当たっていたみたいだね、ジル・サーヴェル」
「何者だ」
「先ほど話に出た、わたくしをここまで連れてきてくれた従者です、リステアード殿下。もうそんな時間なの、ロレンス」
ソファから立ちあがったリステアードがフェイリスに制止される。だがリステアードは厳しい顔を崩さなかった。
「だがその格好、竜騎士団の見習いだろう。それが、クレイトスの王女の従者とはどういうことだ?」
「エリンツィア殿下のご厚意で、こういう形で竜について学ばさせてもらってます」
ロレンスがしらっと笑顔で答え、フェイリスの車椅子のうしろに回る。リステアードはあからさまに顔をしかめたが、間諜という言葉を使うべきではないとわかっているのだろう。ただエリンツィアを横目でにらんで批難する。
「僕でこりたと思っていましたよ、姉上」
「そう言うな。クレイトスも当然、フェイリス王女の居場所をさぐっている。まずは竜騎士団内へ出入りするだろうから、彼に内偵をさぐってもらいやすくしたんだ」
「王女様との話はもうすみましたか?」
ロレンスの確認に、エリンツィアが頷く。
「十分だと思う。時間をかけて申し訳なかった」
「では部屋にお連れします。――ああそうそう、帝国軍からの問い合わせがこちらに届いたみたいですよ。偽帝をかばっていないか否か。そして、今後の焼き討ち順についても声明が出たそうです」
エリンツィアが立ちあがり、リステアードもはっきり顔色を変えた。フェイリスが顔をくもらせて尋ねる。
「それは確かなの、ロレンス。焼き討ちなんて続ければ批判されるでしょうに」
「面白いものでなぜかこういうとき、出てこない竜帝陛下のほうに批判が向くんです。我が身可愛さに、というやつですね。しかも自分の領土が対象になっている諸侯は必死になって捜索を始める。なかなか悪くない案ですよ。時間がたてばたつほど向こうが有利になる」
ロレンスはフェイリスの質問に答える体で、あきらかにこちらを煽っている。
(だが、ただでさえ後手に回っているのは本当だ。これ以上手をこまねいていれば、陛下が勝ってもそのあとにひびく)
婚約者を奪われた。それがなんだ、そんなもの過去の話だ。
全身で嫌悪と拒絶を示しているハディスを説得できるとしたら、自分しかいない。それだけでも十分じゃないか。
「そう言えば僕が頷くとでも――」
「陛下、フェイリス王女のお話、お引き受けしましょう」
ハディスが愕然とした顔でジルを見た。
ジルはその腕から飛び降りて、エリンツィアを見つめる。
「そうすればエリンツィア殿下は竜騎士団を動かしてくださるのですよね?」
「あ、ああ……それは、もちろんだ」
「では決まりです。早急にこの事態を打破するにはそれしかありません」
エリンツィアとリステアードが意味ありげに視線を投げているのは、おそらく沈黙しているハディスに向けてだろう。
だがジルはフェイリスのほうを向いたまま、言い切った。
「宜しくお願い致します、フェイリス王女殿下」
「こちらこそ、英断に感謝致しますわ、ジルさま。では、ロレンス。わたくしたちも本国に連絡し、至急婚約についての契約書を整え――」
「――ジル?」
優しげな語りかけ方だった。だが、ずっと穏やかだったフェイリスが口をつぐむほど、ハディスの声は怒気と嘲笑に満ちている。
びりびりと背中に伝わる威圧を受けたままジルは前を向く。
「君は僕をこの女に売る気か。こんな程度の劣勢に怖じ気づいて?」
「婚約を了承したと陛下が言わなければすむだけの話です」
恐ろしいほどだった圧が、戸惑うように鎮まった。
「陛下を口説くくらい、フェイリス王女の自由にさせてあげてはいかがですか」
フェイリスはぱちぱちと大きな目をまばたく。周囲が整えた椅子に座るのが当然の王女様には、ぴんとこない単語らしい。
唯一、ジルの考えを見抜いたらしいロレンスが唇に薄い笑みを浮かべた。
「フェイリス王女の名前だけを使って終わらせる気か」
「現状をそのまま説明するだけです。フェイリス王女は両国の関係改善を求め、エリンツィアさまを頼った。そこでこの偽帝騒ぎが勃発。たまたまノイトラール地方に潜伏していた陛下と出会い、争いを憂えて協力を申し出てくださったのです。婚約話のひとつやふたつ、噂話が持ちあがるのは当然のことです」
フェイリスは、冷静にジルを見ていた。八歳のしっかりした天使のような可憐な少女。庇護されるのが、愛されるのが当然の、女神の末裔。
それだけの女ではないことを、ジルは知っているではないか。六年後、ジルのあの処刑の早さは、長年の手回しがあってこそだった。きっと彼女が十四歳になる前からの。
「物語の定番だと、陛下とフェイリス王女が惹かれ合って婚約に至るんでしょうね」
好きなようにさせてなるものかと、ジルはハディスの前に立って、笑った。
「でもわたしはあなたに陛下を渡しませんよ、フェイリス王女殿下」
ジルを見つめるフェイリスが、唇の端を持ちあげた。




