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「起きろ! 敵がきてるのにどうするんだ!? っていうかさっき船室から甲板にじゃなく、帝国に転移すればよかったんじゃないのか!? この船、ひょっとしてお前の魔力だけで動かしてたのか!? まさか他に誰もいないのか!? 大事にするとか守るとか言っておいて、いきなりこの体たらくはどういうことだ!!」
「すげぇつっこみの嵐だな」
「つっこまずにいられるか!」
いくらゆさぶっても、ハディスは死んでしまったように青白い顔で目をさまさない。
そして船が停まっても誰も顔を見せなかった。
しんとした静寂に、ジルは青ざめる。
海の上に、動かない船と使えない皇帝と竜神もどきの蛇。最悪だ。
(わたしとしたことが、情報収集を怠るなんて……!)
ラーヴェもハディスも身内の犯行を示唆していた。ということは、これはラーヴェ帝国内の政争だ。
きちんとハディスから事情を聞けていたなら、防ぐ手立てはあったはずなのに、幼女趣味とかケーキとか攻略法だとかに目がいってしくじった。
「あー、本人の名誉のために解説しとくとだな。こいつが転移じゃなく船を選んだのは、お嬢ちゃんの魔力が不安定だったからだぞ」
「……さっきも陛下から同じようなことを言われましたが、意味がよくわかりません」
「魂って言い換えてもいい。嬢ちゃん、それは本当の姿か?」
ぎくりとしたジルに、ラーヴェが背伸びをして目線を合わせる。
「魔力も魂もその体にだんだん定着してきてるから、そのうち馴染むだろうけど。そんなときに長距離の転移なんてしたら体と魂が分離するかもしれないだろ」
「では、皇帝陛下はわたしのために転移を使わず、危険を覚悟で……」
「いや、そりゃ残念だがこいつが自己管理のなってない馬鹿だからだ。昨日は求婚されたって浮かれまくって、一睡もしてないし」
そうか、そんなに喜んでいたのか。喜べばいいのか呆れればいいのか、複雑だ。
「体弱いんだよ、こいつ。竜神の魔力なんて人間の器におさまりきるもんじゃねぇからな」
「……ラーヴェ様がそのように別の姿をとっているのは、魔力を少しでも分散させるためですか?」
「大雑把にはそうだな。ま、話はあとにしようや。俺が転移させてやるよ。でも、どいつに嬢ちゃん預けたらいいもんかねー。こいつの周り敵だらけだからなぁ」
「待ってください。わたしがいなくなったら、皇帝陛下はどうなるんですか?」
「言ってただろ、本人が。このまま、置いてって平気だ」
正気を疑う発言にラーヴェの小さな目を見返す。
「化け物だからな、俺たちは」
それは、よく知る線引きだった。
軍神令嬢だから、大丈夫。さすが軍神令嬢だ、頼りになる。知っている――本当は裏で、化け物と呼ばれていたこと。
軍神令嬢なんて、聞こえのいい化け物の代名詞で、ジルを利用するだけ利用していること。
「……わたしが、なんとかします」
「へ?」
拳を握ってジルは甲板で立ちあがる。今の体で十六歳のときと同じ魔力が振るえるとは考えるのは楽観がすぎるかもしれない。体だって動くかどうか。
(だがこの皇帝は、わたしを助けようとしてくれた)
今ここで助ける理由も信じる理由も、それで十分ではないか。
ハディスを起こして、鉄柵にもたれかけさせた。船から振り落とされないよう鉄柵と一緒にぐるぐるに縄でしばりあげる。
作業の途中でふっとハディスが目をあけた。
「……なぜ、まだいる? ラーヴェは何をして……」
「お前を助けるつもりらしいぞ、ハディス」
「心配しないでください。わたしが守ります」
ぱちり、とまばたきを返された。澄んだ金色の目がまん丸になっていて、小気味いい。そういえば虐殺を命じた目をこちらに向けさせたときも、誇らしくなった。
(うん、この目がわたしだけに向くのは気分がいいな)
だから金色の両眼に、もう一度約束する。
「しあわせにすると言っただろう?」
とん、と甲板を蹴った。
ふわりと浮いたジルは船尾へと向かう。ラーヴェ帝国に向かっていたのだから、向きはこのままでいいだろう。
転移というのは時間をねじ曲げる魔法だ。時間を止めたり戻したり進めたりするような、時を動かす魔法は神の技に近い。だから普通の人間には使えない。
だが――腹をくくって、深呼吸をする。
船尾を持ちあげた。思ったより軽い。
これなら、十六歳のときと同じ感覚でいける。
「せえのお!」
両手で勢いよくボールを投げるように、船をぶん投げる。風を切り裂き、海を渡る鳥よりも早く、高く、船が空を翔る。
ハディスが甲板から滑り落ちないか心配だったが、ちゃんと鉄柵と縄でくっついたままなのを、船を追いかけて飛びながら確認する。
ほっとしたその瞬間、目の前を銃弾がかすめていった。
すかさず旋回し、いつもの動作で腰の剣を引き抜こうとしたジルは、それがないことに舌打ちした。
(素手か。まあいい)
目の前にとんできた銃弾を魔力で覆った手でつかみとり、握りつぶす。
慣れた戦いの匂いに、高揚するのはおさえられない。
それでこそ自分だ。
「さて、お前はわたしより強い男か?」
それは戦場を翔る軍神令嬢の常套句。
不敵に笑ったジルは、銃弾の嵐にむかってつっこんでいった。
■
真昼の空に、魔力がきらめいている。
鉄格子に背を預けたまま、ハディスは放心状態でそれを眺めていた。
「けけっ竜帝様がいいカッコだな、縄でぐるぐるまきとかどんなプレイだよ。いきなり尻に敷かれすぎだろ」
「……ラーヴェ。ひょっとして今、僕は、守られているのか?」
「そーじゃねーの?」
「……信じられない……胸が苦しい……」
「ときめきで死ぬとか馬鹿すぎるだろ。ここからが勝負だってのに」
わかっている。だからこの胸の高鳴りを止めねばと思うのだが、止まらない。どうしてしまったのだろうか。
空を舞い、自分に仇なす敵を海へと落としていく。その戦う姿の、尊く、美しいこと。
「……だめだ、多分なんかもうだめだ。あんな子どもに……」
「お前、体調悪くなると情緒不安定になるよなぁ……がんばれー己にまけるなー」
「だって、ラーヴェ。全身が熱いし、ほわほわするし、ぐるぐるする……」
「えっお前まさかマジになるの? やめろよーそれ地獄だからさ、なんのための竜妃だよ」
「地獄……そうだな、地獄だ。こんなに胸が苦しいなんて……」
小さな背中に、しなやかな女の背中が重なって見える。あれが彼女の本当の姿だろうか。
まるで戦場を駆ける正義の女神だ。まぶしくて、見ていられない――つまり。
「絶対に船酔いだ……」
「そっちかよ!?」
大事にしよう。その気持ちは嘘じゃない。
彼女は竜帝の花嫁。
自分が守り抜かなければ死んでしまう、哀れな囮なのだから。