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話はわかりました、と冷静に応じたのはリステアードだった。
「ですがそのために、クレイトス王女たるあなたがハディスに嫁ぐと?」
ひとまず話を軌道修正したリステアードに、フェイリスが頷く。
「それが最善と考えました。でなければまた争いが繰り返されるでしょう」
「だが、さっきから話を聞いていると、あなたの独断のように聞こえる」
まだ女神の器だのなんだのという話に理解が追いついていないだろうに、リステアードは会話の流れをきちんとつかみ情報を引き出してくれる。
「おっしゃるとおりです。わたくしは、兄がいない隙を狙って国から出てきました。兄が、ジルさまを追いかけてベイルブルグに向かった直後に。おそらく兄は今頃、わたくしをさがしているでしょう」
「あなたは病弱で、まだ幼い。よくひとりで決断なされたものだ」
リステアードは感心する素振りで、さぐりを入れている。だが、フェイリスはやましさのなさを証明するように、動じない。
「はい。お察しのとおり、わたくしを手引きしてくださった方がおります。エリンツィアさまもご存じなので、近いうちにご紹介致しますね」
ジルの脳裏に、元部下の顔が思い浮かんだ。
(……ちょっと待て。ロレンスは今、ジェラルド殿下の部下のはず……)
正直、どこまでフェイリスの話を信じていいのかわからない。その間にも話は進む。
「このお話を受けていただけるなら必ず兄は説得致します。――というか、そうせざるを得ない状況にしてしまえばよろしいのです。たとえば、わたくしがハディス様と婚約することを先に公表してしまう」
そう言ってフェイリスはゆっくり手を前に出した。
「少なくとも、クレイトスと手を組んだのかと帝都ラーエルムは必ず動揺します。その隙を突けば無駄な血を流すことなく、無血開城も可能なのではないですか?」
「そうなるとハディスは自国を敵国に売った皇帝という誹りを免れない」
「よき隣人。隣国ですわ、リステアードさま」
「あなたはしっかりなさっているからはっきり言わせていただこう。僕は叔父上の一件、クレイトスが――あなたの兄上が噛んでいるのではと疑っている」
ただの勘だがね、というリステアードにジルも内心で同意する。だがその懸念も、フェイリスはあっさり受け流した。
「そうだとわたくしも思います」
「なら、ますます話がわからなくなるな。あなたは、兄上と対立なさるつもりなのか」
「止めにきたとおっしゃってください。兄がどこまで今回の件に関与しているかわたくしにはわかりません。ですが、ゲオルグさまを焚きつけたのが兄ならば、わたくしが出向けば必ず止まってくれます。兄はわたくしが敗残者の婚約者になるなど、決して許しません。それはすなわち、ハディスさまを敗残者にしないということです」
苦々しい気持ちになるが、ジルはフェイリスの言葉の意味を理解できた。
ジルの処刑を決めたときと同じだ。ジェラルドはフェイリスの名誉を穢さないことを最優先にして動く。ハディスとフェイリスが婚約すれば、ジェラルドはフェイリスを敗北した男の婚約者にしないために動く、ということだ。
「リステアードさまのおっしゃるとおり、兄がゲオルグさまの背後にいるならば、兄は即座にゲオルグさまから手を引くでしょう」
「……ではもし、クレイトス王国やジェラルド皇子が叔父上の背後にいなかったら?」
「それこそ兄がゲオルグさまを潰しにかかるでしょう、わたくしのために」
にこやかに伝えるフェイリスの話を、リステアードが不可解なものを見る表情になる。エリンツィアが口を挟んだ。
「何より、叔父上は今のように強気でこれなくなるはずだ。兵力の差という、ハディスに対する圧倒的優位がなくなるのだから」
「それは……わかるが……」
「私は、フェイリス王女の申し出を引き受けるなら、喜んでハディスに味方をしたいと考えている。いちばん犠牲が出ずにすむからだ」
「返事は今すぐでなくてかまいません。わたくしも時間があるわけではありませんが、今、切迫しているのはみなさまのほうだと思いますので」
ですがと大人びた一呼吸を置き、王女の顔でフェイリスは皆を見回した。
「今のみなさまの状況と、わたくしの状況、そして未来を解決する最善の手段だとわたくしは考えます。女神の器であるわたくしと、竜帝であるハディスさまが結婚すれば、うまくことをおさめられるのではないでしょうか。おわかりでしょう、ハディスさま。女神の狙いは代々の竜帝――今この時点においては、他でもないあなたなのです」
ハディスは唇を引き結び、視線を斜めに向けて答えない。
気にした様子はなく、フェイリスは続けた。
「わたくしが信じられないという気持ちはわかります。わたくしたちはあまりにも互いに血を流しすぎました。――ですが、だからこそ、ここで止めねばなりません。そうでなければ、いつまでも終わらない」
「だが……その、あなたはまだ幼い。なのに政略結婚など……それでいいのか」
困惑から出ただけであろうリステアードの質問に、フェイリスはよどみなく答えた。
「愛などなくてもよいのです。わたくしのしあわせはそこにはないのですから」
愛の女神クレイトスの加護を受ける王女とは思えない言い草だ。それとも、愛の女神だからこそ言える理なのか。
「そうだろうな、馬鹿馬鹿しい。帰る」
「おい、ハディス」
エリンツィアの引き止めなど歯牙にもかけず、ハディスが立ちあがってしまった。




