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 フェイリス・デア・クレイトス。ジルがジェラルドの婚約者であったとき、顔を合わせたのはほんの数度だけだった。それもフェイリスが生活のほぼ大半をベッドから起き上がれない、病弱な体だったからだ。

 それでも一目見れば皆が魅了される天使のような少女は、城中から――いや、国中から愛されていた。ジルも初めて会ったときはその可憐さに胸をうたれたし「ジルお義姉さま」と呼ばれて庇護欲をかき立てられたものだった。妹最優先のジェラルドにさみしさは覚えても、妹を守りたいという方針は当然だろうな、と思っていた。

 結果は禁断の兄妹愛だったが。


(それがどうして陛下に、婚約なんて……わたしのときと同じ、カモフラージュか?)


 ぎゅっと拳をにぎった。ジェラルドが許したと思えないが、それ以上にジルだってそんなこと許さない。

 ノイトラールの城塞都市に戻ったジルたちは、仮眠をとり身支度をととのえて、日が一番高くなる時間に竜騎士団の兵舎にあるエリンツィアの執務室に集まった。

 横長の応接ソファに座ったハディスは、さすがにエプロンを脱いでもらった。テーブルの向こうにあるソファに座る人物を相手にするのに、さすがにエプロンはない。

 その相手を、今、エリンツィアが呼びに行っている。


「どうする気だ」


 ジルの横に腰をおろしたリステアードが尋ねた。対するハディスは素っ気ない。


「どうもこうもない。僕のお嫁さんはジルだ。ジル以上にふさわしい竜妃はいない」

「後宮はあいているだろう。クレイトスの皇女が降嫁してくるのに、この少女が竜妃というのは無理がある。だがクレイトスの皇女が我が帝国の竜妃というのもあり得ん。クレイトスの魔女の中の魔女、言ってしまえば大魔女ではないか」


 そこまで言ってリステアードはちらとジルを見た。ふたりの間に挟まれる形になっているジルは、まばたき返す。


「それはこの少女も同じだが……待て、いくつだ、君は?」

「十歳です。フェイリス皇女殿下はわたしよりふたつ下です」


 両腕を組んで、リステアードがソファの背もたれに背中を預けた。


「政略結婚では珍しくもない年齢差だが……そもそもハディス、お前、本気でこの少女と結婚するつもりなのか」

「つもりじゃない。結婚してる。ラーヴェの祝福だって受けてる」

「……待て、初耳だぞ。そんなものあるのか」

「今までろくに僕の話なんて聞かなかったじゃないか」

「お前が話さなかったんだろうが。……今、言い合ってもしかたないか……」


 リステアードが諦めがちに嘆息していると、こんと扉を叩く音がした。

 部屋の出入り口をかためているジークとカミラが、ジルに目配せする。ジルが頷くと、扉が開かれた。


「待たせてすまない」


 エリンツィアが車椅子を押して入ってくる。車椅子に乗っているのは、ジルよりも幼い少女だ。リステアードが息を呑むのがわかった。

 ちらりと、ジルもその姿を見てみる。

 まっすぐ切りそろえられた柔らかそうな髪は、淡い亜麻色。長い睫がまばたくたびに、蝶の羽ばたきを思わせた。透明感のある白い肌が、美しさを際立たせている。

 スペースの関係上、自然と車椅子が上座に鎮座することになる。気負った様子もなく、両手を膝掛けの上に置いた少女は、可憐に微笑んだ。


「無理はしないほうがいいというお言葉に甘えて、車椅子を貸して頂いただけですので、心配はなさらないでください。みなさま、はじめまして。わたくし、フェイリス・デア・クレイトスと申します」


 幼いが鈴のように可憐な声が、桃色のふっくらした唇から紡がれた。ぱっちりとした蒼天の瞳が、皆を順に見ていく。


「エリンツィアさま、リステアードさま、ハディスさま。――そしてジルさまですね」


 最後に呼ばれたジルは、ついフェイリスの顔を見てしまう。フェイリスはにこっと無邪気な笑みを返して、ジルの疑問を先取りした。


「存じております。兄が、あなたと婚約すると言っておりました。逃げられてしまったようですが」


 くすくすとフェイリスが笑う。おとなびた仕草だが、小鳥のように笑い声も愛らしい。ジルは顔をしかめてしまった。


「……お怒りではないんですか?」

「兄にはいい薬です。お兄さまったら、自分はなんでもできると思っておられるところがあるんだもの」

「フェイリスさまはわたしとの婚約に反対ではなかったのですか」


 ついついさぐりを入れてしまう。フェイリスはあでやかに微笑み返した。


「反対だなんて。年齢も近いと聞いて、わたくしは楽しみにしてました。お義姉さまができると思っていたのに、残念です」


 確かに、ジェラルドの婚約者だったジルに、フェイリスがつらく当たったことは一度としてない。むしろなついてくれていたと思っている。可愛くて優しい、賢い子だった。

 今だってジルに対する悪意などみじんも感じない。とても八歳の少女とは思えないたたずまいと理解力、振る舞い。できた皇女だと持ちあげる人間が出るのは致し方ないだろう。

 だからこそ、女神が実在すると知った今のジルはわかる。


(女神の器の適合者。いちばん可能性が高いのは、クレイトス王族に決まってる)


 ハディスは体が弱い。竜神の膨大な魔力が人間の体に負担をかけるせいだ。同じように、フェイリスも体が弱い。この符号の一致が、偶然のわけがない。


「わたくしがハディス様に嫁いだら、お姉さまとお呼びしてもいい?」


 のまれてなるものかと、ジルはぎゅっと膝の上で拳を握る。


「わたしは」

「結論から言う。君が僕に嫁ぐことは絶対にあり得ない」


 横でハディスが吐き捨てるように言った。嫌悪を隠さないその顔に、フェイリスよりエリンツィアが焦る。


「ハディス、ひとまず話を聞いてからでも」

「なぜかなんて、その子がいちばんわかってる。女神クレイトスの末裔、女神の器になる可能性がもっとも高い女と結婚なんて」

「――やはり、そうなのですね」


 目を伏せたフェイリスに、ハディスが口をつぐむ。リステアードが顔をしかめた。


「なんの話だ?」

「わたくしが女神クレイトスの器である、ということです。竜神が見えるハディスさまと同じように」


 淡々と告げるフェイリスの話を遮ってはいけないとリステアードは考えたようだった。黙っているエリンツィアは知っているのかもしれない。


「わたくしの周囲は何も教えてくれないので、確信が持てなかったのです。ですが、今、わかりました。わたくしは女神の器として、十四歳になったときに自我を喰われる運命にあるのでしょう」


 ひたすら警戒していたジルは、拍子抜けのような衝撃を味わっていた。だがじわじわと納得が内側から溢れてくる。


(そうか、ラーヴェ様と陛下が別人格なように、女神と器は別人格だから……フェイリス様が女神の器だったとしても、女神と同一の考えとは限らない……)


 十四歳になれば女神になる。ラーヴェとハディスを見ているせいで、女神に喰われるという発想に思い至らなかった。

 周囲に蝶よ花よと大事に育てられてきたのも、体が弱いからというだけではなく、女神の器になる少女だったからだとしたら納得がいく。あのジェラルドの過保護ぶりも、妹との禁断愛だと思っていた。

 だが、フェイリスの言い方だと、ジェラルドは妹が女神の器であることを知って隠しているということになる。


(わたしが知ったのは、フェイリス様が十四歳の誕生日を迎えたあとだった)


 妹と女神、どちらが相手だったのか。

 まさかと喉を鳴らしたジルの目に、儚げなフェイリスの顔が映る。


「ですので、わたくしに残された時間はあと六年。――その間に、長年にわたるクレイトスとラーヴェの因縁に決着をつけたいのです」


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― 新着の感想 ―
[良い点] フェイリスは金髪青眼、女神本性の色もこれか。 判明してすっきり! ジルを刺した時を覚えている女神(槍)。自我を喰らった後で槍になるなら、その間は器は空っぽか。 そんな無防備なこと、女神が…
[気になる点] >>「ジルお義姉さま」と呼ばれて庇護欲かき立てられたものだった。 →庇護欲をかき立てられたものだった。若しくは、  庇護欲がかき立てられたものだった。 ではないでしょうか? [一言] …
[気になる点] 私を人質にしてください。なのか? 戦争を起こすきっかけにしてください。なのか? どっちにしろジェラルド王子の策だよね 本当最初から、皇女と結婚してたら問題なかったのに〜てラーヴェ帝…
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