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「ジル」
眉をしかめたハディスが反対しようとしているのはわかったが、ジルはあえて無視した。
「あなた方は陛下のご兄弟であると同時に、この国の臣下のはずです。このまま偽帝をのさばらせるのは本意ではないでしょう」
「それはもちろん」
「リステアード、不用意な発言をするな」
答えかけたリステアードをエリンツィアが制する。
「子どものほうが正しいことを言う、というのは世の常だな。だが、現実はそうは甘くない。さっきハディスも言ったとおりだ」
「甘いのはあなたです、エリンツィア殿下。もし、わたしがここに陛下がいると公表したらどうなると思いますか? ここは本当に中立でいられるんでしょうか」
エリンツィアの顔色がはっきりと変わった。その手がゆっくりとうしろに回り武器を取る、その前にジルは今使えるありったけの魔力を使って床を蹴る。
「ジーク、カミラ!」
そのひとことで伝わると信じたのは甘えかもしれない。だが心得たようにカミラは矢をつがえ、ジークはリステアードに剣先を向ける。
「なんの真似だ!?」
ジルが仰天したエリンツィアの頭をつかみ、腕をひねりあげて執務机に押さえつけるまでは数秒とかからなかった。ジルに蹴り飛ばされたエリンツィアの短剣が床をすべって壁にぶつかる。
今は制御がきかないので、乱暴になってしまったことだけは申し訳なく思った。
「本当に平穏にすごしたいなら、あなたはわたしを拘束し、陛下への人質に使うべきでした」
「姉上! おい、どういうつもりだハディス!」
「あらぁ、動かないで、皇子様。手がすべっちゃうかも」
弓矢で狙うカミラの一声に、リステアードが舌打ちした。ジークが首元に剣を突きつけたまま告げる。
「魔力も大声もなしだ。助けがくる前に首と胴を切り離す」
「選んでください、エリンツィア殿下。リステアード殿下、あなたもです」
ジルに視線を向けられたリステアードが、気圧されたのか息を呑む。
「陛下につくか、偽帝につくか」
必要な答えはそれだけだ。エリンツィアが額に汗を浮かべながら、口を動かす。
「――断ったらどうする?」
「わたしは陛下ほど甘くありません。あなたたちを見逃すなんてことはしませんよ」
「だが、ハディス本人はどうかな? うしろから刺されたくないんだろう。あいにく、私もリステアードも同じことを思っている」
「わたしの陛下はそんなに弱くない」
そう信じているから、ハディスの顔は見なかった。静寂を許さず、ジルはエリンツィアを拘束する手に力をこめる。
「さあ、返事を――」
「起きておられますか団長、緊急事態です!」
扉の向こうで乱暴な叩扉と一緒に声が響いた。皆が気を取られた瞬間、エリンツィアが身をひねって逃げ出し、机の上にあったペーパーナイフを突きつけた。
「部下を引かせろ。――入れ」
エリンツィアが出した入室許可にジルは慌てて叫ぶ。
「カミラ、ジーク、陛下を隠して!」
「陛下ごめんね!」
カミラが天井から下がる長いカーテンの向こうにハディスを突っこみ、ジークと並んで人の壁を作ったところで、兵が入ってくる。ほっとして、ジルは息を吐いた。
いきなり解放された格好になったリステアードは、複雑そうにしているが、騒ぎ立てたりはせずに静観している。
「どうした、何があった」
「ゲオルグ様が――いえ、帝国軍が近郊の村を焼き討ちしたとの、報告が入りました!」
震える声を押し殺して報告した兵に、エリンツィアが両眼を開く。
「ここはノイトラール公爵領だ、なぜそんなことになる!」
「偽帝を隠しているという情報があったとのことで……それ以上は、今は」
ばあんと派手な音を立てて突然開いたテラスの窓が、報告を遮った。
部屋の中に強風が吹きこむ。竜の羽ばたきと、鳴き声が聞こえた。リステアードが外を見て目を剥いた。
「ブリュンヒルデ!? お前、なぜ……ローザも、他の竜まで」
「いってくる」
竜をテラスに呼んだのは、カーテンの中から出てきたハディスだ。ジルは慌てる。
「陛下、わたしも行きます!」
「待て、ハディス」
呼び止めたのはエリンツィアだ。その名前に報告にきた兵がまばたく。
ハディスが目を眇めて振り向く。ハディスからかすかに漏れ出る敵意に、思わずジルは手に汗をにぎった。
「僕を拘束するつもりか?」
「違う、私も行く。うちの領地の話だ」
「僕も行くぞ、ひとりで行かせられるか!」
顔色が悪い異母姉兄の言葉にハディスは一瞬、不可解そうな顔をする。
だがすぐに目をそらして、好きにしろとひとことだけ告げた。